韓国:大漢門前1年半チャン神父とキム支部長対談 | |
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大漢門前1年半、「いつまでここにいるのですか?」[対談]チャン・ドンフン神父とキム・ドクチュン新任双竜車支部長
ムニャン・ヒョスク記者 2013.09.27 18:59
仁川カトリック大学で教誨士を教えるチャン・ドンフン神父は、講義を終えた後に毎日、大漢門に向かう。4月8日から続いている「双竜車問題の早急な解決とこの土地の解雇労働者らのためのミサ」を奉献するためだ。ミサは9月26日で172日目になる。 キム・ドクチュン金属労組双竜車支部長(対談翌日の9月27日、単独立候補した キム・ドクチュン主席副支部長は、99.1%の賛成率で支部長に当選した)は、9月 10日に大漢門前で朴槿恵政権に対し、国政調査の約束の履行と双竜自動車問題 の解決を要求して、市民、労働組合の関係者と同調ハンストを始めた。断食17 日目。13kgも痩せた。がっしりしたからだはひと目見てもやつれ、しっかりした 物静かな声で話し続けていたが、対話が長くなると混乱を訴えた。 172日間、仁川から大漢門に駆け付けるチャン・ドンフン神父と、1年6か月、 大漢門を家のように守っているキム・ドクチュン支部長が出会った。 ▲大漢門前でチャン・ドンフン神父(右)とキム・ドクチュン双竜車支部長が対話をしている。(c)ムニャン・ヒョスク記者[出処:いまここ] チャン・ドンフン神父(以下 チャン):目がとても充血している。状態が良く ないように見えます。今日が17日目ですか? キム・ドクチュン支部長(以下 キム):はい。血糖が下がり、少し酵素を飲んで います。3日に一度「行動する医師会」が血圧、血糖を確認してくれています。 私はハンストに入る前、万一に備えて減食もしました。とても長引くかもしれず、 最後には私一人が残らないかもしれないと考えました。そのためか、本来 ハンスト三日目が一番辛いといいますが、私は最初の日が本当に辛かったんです。 頭も痛くて。 チャン:もう空腹感も過ぎましたか? なぜ家族が集まる秋夕の時にハンストを 始めたのですか。 キム:ハンストを考え始めたのは8.24汎国民大会が終ってからでした。双竜車の 問題解決のために、もっと力強い動きが必要だと思いました。会社が黒字に なって、正常化したという発表もあり、青瓦台でも国会でもこの問題について もっと反応を要求しなければならなかったんですよ。秋夕の前には切迫感も ありました。「今回の秋夕は家で過ごしたい」、そんな切迫感でしょうか。 チャン:では秋夕の時は、家族が大漢門に来たんですか? キム:いえ。家ではまだ私がハンストをしていることを知りません。ハンストの 3日前の週末に家に帰り、健康断食をするとは言いました。ソウルで闘争をして 1年6か月、不規則な生活でとても太りました。痩せなければならないので健康 断食をするといいました。妻は健康断食していると思っているでしょう。名節 に一緒に帰れないのは、解雇から五回目です。1年は私が拘置所にいて、出て からは1年6か月間ソウルで闘争をして3回程度。今度は妻が空しさを表現してい ます。だからここに期待とは思わないでしょう。 焼香所撤去の知らせで駆け付けた大漢門、一番切迫した場所と思う▲チャン・ドンフン神父 [出処:パク・サンジュン] チャン:4月8日です。4月4日に焼香所が撤去されたという知らせを聞き、5日に 飛んできました。5日、6日、7日は見ていました。6日の夜にナ・スング神父様 (天主教正義具現全国司祭団代表)がここで寝ていきました。撤去された日から ずっと見守り、ああ、でも本当にひどいと思って相談しました。突然決めたわ けです。4月8日から大漢門でミサを始めると、全国に回覧文をまわしました。 キム:神父様たちの間でいろんな意見があったのではありませんか? チャン:悩みました。一番初めにミサ始めた時はとにかく弾圧が激しくて、この 道端にただ座っていることも認められませんでした。一番切迫した場所でした。 私たちぐらいいなければと思いました。その上、玉砕ストライキのトラウマと 双竜車労働者二十四人の死もありました。もしかして切迫した選択をする状況 に行くのではないのか。それが一番心配でした。状況が安定するまで大漢門前 を守ろう、ということで始まったのです。これほど長く続くとは思ってもいな かったんです。 キム:最初に議論して決まった時、うまくいくだろうかといったことを判断する でしょう。私は個人的にはミサに力が集まっていると思いますが、神父様は どうですか? チャン:ミサを始める時、うまくいく、いかない、求心点になる、ならない、 たくさん集まる、集まらない、そんなことを考えたことはありません。ただ やったのです。現場に祭壇を作って、何か役割を期待していたとすればただ 一つ、「小さな慰めになればいい」でした。今も同じです。 表面的には私たちが助けを与えていますが、実は私たち自身もこの過程を通じ 鍛練されているのでしょう。個人的に私は「私がどんな神父であるべきか」と、 時間が経つにつれて、さらに強く悩んでいます。多くの神父様と信者が双竜車 問題をはじめ、さまざまな問題をもっとたくさん知ることができるようになる ようです。 もう一つは関係ができたことでしょう。長い戦いで、私たちが何かの役割を果 たすというよりも、友人として、友の縁ができたことに意味があると考えます。 ▲(c)ムニャン・ヒョスク記者[出処:いまここ] 司祭・修道者5146人が参加した双竜車問題の解決を要求する声明の発表キム:神父様、8月26日、5146人もの司祭・修道者が双竜車問題解決を要求する 声明を発表されました。ひとつの事業場の問題でこれほどまでするのは初めて だと聞きました。そのきっかけや過程はどうだったのでしょうかか? 困難は ありませんでしたか? チャン:大漢門に来る神父を中心に話が始まりました。ミサの他には何もできな かったんです。ここに来られる神父たちは、それを気にしていました。それで 少なくとも教会の中だけでも、もっとこの問題を知らせ、社会的な世論に力を 貸すような役割を果たさなければならないと考えました。双竜車問題は労使、 あるいは労労の問題を越えた社会問題ですからね。ひとつの事業場の問題を 超えています。宗教家としては生命の問題に直結します。 正義具現司祭団と、大漢門ミサに参加する神父の要請もあり、各教区の正義平和 委員会の委員長の意見も同じでしだ。前から教区の正評委次元で双竜車関連の 募金活動もしていましたし。それで汎教会的に署名を集めました。 署名運動では有り難いことが本当にたくさんありました。海外から広告費を カンパしたいと連絡してくる人たちもいましたし、一般信者だが参加できないか という問い合わせもありました。署名運動のおかげで初めて双竜車問題に 接する修道者も多かったです。 労働問題は、他の社会問題より鋭敏で複雑な問題でしょう。田舎の封鎖修道会 の修道女さんが資料を要請したので送ったのですが、チョン・ヘシン博士の 動画も見つけて関心を送って下さいました。気持ちがこもった手紙も送り、 カンパも送ってくれました。 強盗に会った人とサマリア人も、互いに知らない人でした。しかし、お互いに あのように手を差し出しました。署名運動をしながら、私たちが見えない糸で つながっているという感じを、本当にたくさん感じました。私や大漢門ミサに 来る神父さんたちのことをよく知らなくても、ここの知らせと安否を尋ね、 双竜車労働者たちの話をするのは本当に大きな慰労だという気がします。 キム:バカな質問かもしれませんが、いつまでする予定ですか? チャン:答はありません。どう状況が展開するか誰もわからないでしょう。ただ、 双竜自動車の仲間たちが大漢門を離れない限り、私たちも一緒にいたいですね。 ミサがなければ、ここを守るのは難しかった、
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