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韓国:[連続企画](2)半導体で隠された影労働-キム・ジンギ
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「半導体工場が一番清潔だと思いました」

[連続企画](2)半導体で隠された影労働-キム・ジンギ

ヒジョン(執筆労働者) 2011.11.01 15:23

キム・ジンギ。73年生まれ、97年ハイニックス・マグナチップ半導体(LG半導体- ハイニックス-マグナチップに所属が変わる)に入社、14年間クリーンルームの インプラント工程で勤務、2010年に白血病と確診。2011年死亡。

「死ぬ3日前にまともな精神状態が戻ったのです。自分が集中治療室にいること が分かったのです。泣きました。泣いて話もできず、私の手を握るだけです。 私が『あなた、最後まで頑張ってね』というと、最後まで頑張るって、頭をこ くんとこくんとしながら。そして労災(申請)をしろと。最後の言葉でした、 それが」。

「いつも家族のことを気にしている人でした。外食をしようと『自分は何が食 べたい?』と聞くと、『おれに聞くな』と言います。『お前が食べたいもの、 お前が行きたいところに行けば良い。私が家族に合わせなくちゃ。息子と夫人 が最高だ』。夫はそうでした。だからもっと気持ちがつらいのです。自分がし たいことを少しでもして暮らしていたら... タバコも吸わず酒も飲まなかった から。ただ会社、家、これしか知らなかった」。

▲キム・ジンギ氏と子供の姿[出処:パノルリム(http://cafe.daum.net/samsunglabor)]

三十後半の男がいた。彼は病気だった。白血病だった。彼は放射線に露出すれ ば白血病にかかる可能性が高いという事実を知っていた。自分が14年間放射線 に被曝していたことも知っていた。しかし白血病と診断された後に、彼は何が 悪かったのかを知った。

それでも会社を止めなかった。大きな手術を受けるには、お金が必要だった。 病気が治ってもしばらくは働けないからだった。息子はまだ幼かった。彼は、 通院治療を受けながら会社に出かけた。しかし結局、病院の集中治療室で命を 終えなければならなかった。

自分の死を認めた瞬間、彼は家族に頼んだ。労災申請をしろと。自身の病気は 職業病だから、職業病補償を受けろと。彼の妻、イム・ジンスク氏は、半導体 職業病問題を知らせてきた〈パノルリム〉に連絡した。今回の文はイム・ジン スク氏の口述で進められる。

最後まで頑張るよね?

「最後に呼吸が止まりました、5分間。その時、心臓に負担がかかったそうです。 それで集中治療室に移すようになったのでしょう。午後に目が覚めたのですが、 人がわかりませんでした。何だろう? 知的障害の子供がいるでしょう。そんな 行動をするのです。脳に損傷を受けたようだと。皮膚も損傷して、皮がむけて。 それを表現しようとすれば、魚や肉が腐っていく時、皮がはがれるでしょう。 そうなったのです。顔がみんなむけて血が流れて。

夫は生きるという希望は捨てませんでしたが、それを見た瞬間、だめかもしれ ないと思いました。それで子供にこいといいました。『はやく連れてきて。 一度顔ぐらい見せたい』。子供を呼んで、面会させました。でも子供に見せては いけないのに... 私はまた最後だと思ってお父さんを見せたのです。子供の 衝撃はかなり大きかったのではないかと思います。叫びました。それで子供を すぐ病室の外に連れ出しました。

また病室に入り、夫に『入ってきた子供は誰?』と聞くと、自分の友人だって。 『あなた、息子じゃないの』というと、『分からない』というの。驚きました。 愛する子供はわかると思っていました。

私がまた『私は誰?』というと、わかるというのです。『分かる、赤いジャン パー』というのです。それでもその姿がとても愛らしいのです。空が崩れ落ち そうなのに、その姿も可愛いのです。そんな状態でも家に連れてきたい。一生 こうしていても一緒にいたいから。私が『最後まで頑張るよね?』と聞くと、 脳に異常が生じても、その言葉は忘れなかったんですよ。

6人室で精神が完全な時、常に二人がした対話がそれでした。『最後まで粘るよ ね? 頑張らないの?』と言うと、『最後まで頑張らなきゃ、最後まで頑張って 健康に前のようになる』と言いました。脳に異常が発生し、私も、子供も分か らない状況なのに、その言葉は覚えていました。『頑張るよね? 頑張らないの?』 というのです。『頑張るよ、私ができるのはそれだ』と言いました。その言葉 は忘れずにいましたよ」。

キム・ジンギ氏は今年の5月に亡くなった。

「葬儀から一週間は完全に死んだ人同然でした。何も食べませんでした。子供 がいなかったら、多分私はどうかなっていたでしょう。子供がおかしいのです。 泣き喚いて。そして話をしなくて。お父さんもいないし、お母さんも病院に行 くと言っていなくて、子供が心に傷を負ったようです。私がこうしていれば、 子供もいなくなってしまう。夫が残した宝物でしょう。夫はいつも、『宝物、 宝物』と言っていました。だめだ。起きました。起きて、実家の母にこう言い ました。『お母さん、買い物をしに行こう。スーパーに行こう。オレンジがと ても食べたい』。」

どんな所かわかりませんでした

イム・ジンスク氏は労災申請をすることに決心した。夫の最後の要請だった。 生前、夫は〈パノルリム〉に連絡をした。パノルリムと会った後に、彼女は夫 が会社でどんな仕事をしていたのかを知った。夫は放射線が出る設備を補修し、 ホスフィンのような有毒ガスを扱っていた。結婚前に彼女は『半導体工場の エンジニア』という夫の職業が何を意味するのかを知らなかった。

「そこがどんな所か知りませんでした。私は世の中で半導体工場が一番清潔で 良いところだと思っていました」。

夫を失い、彼女は半導体クリーンルームの実態を知った。だが、半導体労働者 は職業病を認められないという。すでに労災申請をして、結果の通報を受けた 18人のサムスン半導体労働者がいた。彼らは全員職業病ではないと判定された。 勤労福祉公団の疫学調査は彼らの作業場に病気を起こす危険がないという結論 を出した。それはとても妙で疑わしいことだった。イム・ジンスク氏は話した。

「以前に私が通っていた会社も調査があるといえば、お客さんがくるときは、 せめて汚いものを片づけました」。

その調査をそのまま信じる人々が妙だった。彼女は夫の死をめぐり、妙に流れ る世の中を見た。

「こんな苦痛が誰かを狙ってくるのではないでしょう。夫の会社だけでなく、 半導体にはいろいろな会社があるでしょう。半導体の会社に通えば誰もがかか る病気ですよね。それでも人々が病気が恐いからと、みんな会社を止めること はできないでしょう。生計手段で暮らさなければならないから。それでは仕事 させる会社が対策を用意するべきです。なぜ誰もやろうとしないのですか?」

労災が何かも知らない人も多かったんです

9月、彼女は夫キム・ジンギ氏の労災申請をした。労災申請のためにあちこちを 飛び回り、夜遅く家に帰ることが多い。ある日は家に帰る車の中で泣いたと言 う。一日で変わった自分の人生が悲しいという彼女だ。その一方で彼女は話す。

「労災が何か知らない人も多かったんです」。

その人たちに説明する。職業病認定がなぜ必要なのか、予防と補償がなぜ必要 なのか、隠蔽された作業環境がいかにして生命を奪い、家庭を壊すのか。イム・ ジンスク氏は寂しくて泣くが、世の中に出て変わって行く自分を発見する。

「これまで人を害することもせず、嫌うこともせずに暮らしてきました。もち ろん、苦しんでいる人のことを考えることもありませんでした。ただ自分の家 族だけを大切にして、私が他人に被害を与えずに暮らせば良いと考えていまし た。しかし大変なことを体験して、私より苦しい人を考えなければと思います。 白血病、小児癌にかかった人を後援するのです。1か月に1-2万ウォン払います が、コーヒーの値段でしょう。食べたいパン一つ買って食べず、コーヒー一杯 買って飲まなければ十分に他人を助けられる金額です。前はそんなことを考え ませんでした。この頃は子供を連れて外出すれば、魔法瓶に湯を入れて家にあ るティーバッグを持っていくんです。外出する時、みんなまとめていきますよ。 荷物が多くなりました」。

世の中を見る目が変わった自分が立派なようでもあり佗びしくもある彼女は、 今日も労災申請に忙しい。暇があれば夫がいる納骨堂に行くことも忘れない。 子供との時間を過ごすことも重要だ。夫の宝物だった子供は相変らず話をしな い。彼女は労災申請が一日もはやくできて、以前のような平穏を取り戻したい と言う。しかしひとことを付け加えた。

「夫がいないから、以前のようにはなれないのでしょうか?」

マグナチップ エンジニア 故キム・ジンギ氏

マグナチップ エンジニア キム・ジンギ氏が働いていたインプラント工程は、 放射線はもちろん、発ガン物質のヒ素と猛毒ガスのホスフィンなどが使われる 有害危険工程だ。ここで彼は14年間、維持補修業務をしてきた。彼は、仕事の 特性上、毎日10回以上設備に出入した。それで設備の搬送装置側はいつもイン ターロック(開閉装置)を解除していた。彼が補修に入った設備搬送装置の空間 は、高電圧放射線に被曝する空間だが、単にパーテーションで分離されている だけだった。

2010年、会社が内部的に実施した放射線測定があった。キム・ジンギ氏は自分 が使う設備に放射線測定検査機を2か月間取り付けた。検査の結果、約30mSvの 放射線が測定された。これは、放射線作業従事者の被曝基準の9倍に当たり、 一般人の露出基準の180倍に当たる高線量の被曝だ。

マグナチップ半導体は、2004年にハイニックス半導体の『非メモリー半導体 事業部門』が分離独立してできた会社だ。事業場は清州と亀尾にあり、年間 約7億ドルの売り上げを記録している。

  • 被害情報提供:http://cafe.daum.net/samsunglabor

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2011-11-02 02:03:22 / Last modified on 2011-11-02 02:03:23 Copyright: Default

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