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サムスン半導体「多発性硬化症」希少病被害者が労災申請

白血病被害者労災認定の後に被害者増える...「ストレスと有害物質」で発病

ウ・ヨンヘ記者 2011.06.30 10:24

サムスン半導体白血病被害者労災認定の後、サムスン半導体器興工場で勤務し 多発性硬化症で闘病中の女性労働者2人が6月29日、勤労福祉公団に労働災害を 認定申請し、結果が注目される。

半導体労働者の健康と人権守備、パノルリム(以下パノルリム)は6月29日11時、 勤労福祉公団のロビーで「もうこれ以上の労災不承認はあってはならない」とし 『多発性硬化症』被害労働者労災申請記者会見をした。

彼らは「サムスン電子の職業病の疑いがある疾患の被害労働者数は100人に迫り、 死亡者数は40人にのぼっており、20〜30代の労働者は多様な有害化学物質や重 金属、放射線、交代勤務、過労とストレスに露出する有害な作業環境で働いた」 とし、「2011年6月23日に行政法院で1審一部勝訴の判決を受けたサムスン電子 半導体白血病事件も同じケース」とし、今回も労災と認めるよう要求した。

記者会見には被害者の女性労働者キム某氏が参加し、もう一人の被害者の女性 労働者A氏は健康上の理由で参加できなかった。彼らは記者会見の後、勤労福祉 公団に労災認定申込書を提出した。

希少病「多発性硬化症」類似工程で現れる

パノルリムの活動家、コンユ・ジョンオク氏によれば、多発性硬化症は全国で およそ4000人程度の患者がいる希少病だ。コンユ・ジョンオク氏は、「多発性 硬化症は、多発的に中枢神経の硬化と変成が生じる症状で、自己免疫の発動で 発生すると推定されている」と症状を説明した。だが、多発性硬化症の原因は 正確にはわかっておらず、発病の原因もはっきり証明されていない。コンユ・ ジョンオク氏は「専門医は発病の原因をストレスと化学物質によるものと感じ ている」と伝えた。

コンユ・ジョンオク氏は「サムスン電子LCDモジュールと天安事業場で不良画素 検査をした女性労働者の李某氏が同じ多発性硬化症を発病して闘病中で、2010 年に労災申請をしたが不承認になった。多発性硬化症で闘病中の被害労働者は 3人と確認された」とし「イ氏は今回の労災申請被害者と同じ作業場ではないが、 同じ工程で作業していた」と明らかにした。

これに関連して、パノルリムは「希少病被害者が3人も同種の事業場で発生した」 と吐露した。パノルリムは「労災申請したA氏が勤めた現場は、サムスン半導体 白血病被害労働者が多発している器興事業場現場と同じで、もう一人の被害者 キム某氏が働いていた現場は、器興事業場LCDモジュール課で、同じ部署の隣の ラインだった、モジュールとSMT工程でハンダ付け業務をしたハン・ヘギョン氏 も退職後に脳腫瘍を発病し、現在は闘病中だが、労災が不承認になり行政訴訟 1審係留中」とし、類似事業場でも同じ工程で続いて希少病と白血病被害者が 出ることは「常識的に理解できない」と主張した。

被害者たち「毎日毎日苦痛の中で暮らしている」

記者会見に参加した多発性硬化症被害者の女性労働者キム某氏は、会社に入る 前は「健康は自信があった」と話し始めた。キム氏は「2003年3月頃に発病し、 作業している間、全身から力が抜けるようにからだが痛くなり、左の手足にマ ヒがきていた。初めは整形外科に行ったが脊椎炎と言われ治療を受けた。初め は深刻とは思わなかった」とした。

続いてキム氏は「だが、体の左側がマヒし、牙山病院に行くと多発性硬化症だ と言われた。1年ほど治療を受けたが、確実な治療剤はなく、ステロイドを打つ 以上のことはできなかった。病院では、この病気はストレスを受けてはいけな い病気だといった。再発はないと思っていたが1年で3、4回再発し、首、頭、目 がマヒする。今は視力が減退していて、再発が続けば失明するかもしれないと いう。希望がなく、毎日毎日苦痛の中で暮らしている」と闘病生活の困難と苦 しさを吐露した。

[キム某氏の入社と発病、退社の経緯]

  • 1997. 6月高校3年の時にサムスン電子LCD器興工場入社. 寄宿舎生活.
  • 入社後1〜2週間の研修を受けてすぐLCDモジュールとA、BラインOLB/テープソルダー工程オペレーターとして勤務を開始し、退社までずっと同じ工程で働く。2000. 3月頃に多発性硬化症を発病。病暇休職届を出して治療中.
  • 2000. 12. 27. 退社。(診断当時21歳)

パノルリムによれば、キム氏は勤務当時A-Bラインで働いていた。当時、ライン の老朽化で機械の誤作動が多く、手動で作業していた。4組3交代で働きながら、 一日延長勤務まで12時間の作業をした。また当時物量を合わせるためにハンダ 付け作業を4時間続けたという。

キム氏は「会社では化学物質などの安全教育を受けたことがない。もし、安全 教育でこの事実を知っていればすぐ退社していただろう」とし、作業環境による 労働災害だと主張した。(記事提携=メディア忠清)

被害者A氏

1984年生まれ女性.
2003年2月、サムスン電子半導体事業部器興工場オペレーターとして入社
入社後3週間研修を受けた後、現場勤務に配置

[勤務内容]

新技術開発ラインで働き、半導体加工のために必要な多様な業務を担当。 つまりPHOTO(感光)、ETCH(エッチング)、CVD(化学気相蒸着)、CMP(平坦化)、 CLEAN(洗浄)等、さまざまな業務を行い、3組3交代で勤務。

[A氏の陳述一部]

「PR(感光剤)投入は、本来エンジニアの業務だが、忙しい時はよく女性オペレー ター(被害労働者)にさせた。黒褐色のガラス瓶に入った感光溶液を毎日取り替 えなければならないが、週2〜3回程度は女子社員が取り替えた」。

「自動化された機械ではなく、半自動や手動の設備を使った。初期には2〜3日 に一回はエラーが出た。インターロックはエラーが出た時に鳴り、エンジニア が主に措置したが、時々私たちもした」。

「現場ににおいがして、1時間程度待避したが原因は聞けず、措置をしたとだけ 聞いた」。

「生産のストレスはとても激しかった。先輩はとても競争した。実績が良くな ければすぐ電話がきた」

「そのうち量産まですると仕事も忙しくなり、ますます休む余裕がなくなった。 トイレに行って急いで戻り、ご飯を食べてすぐ入ったりした」。

「クリーン溶液はSC1、SC2、SMCと呼ばれた。成分を教えてもらったことはない。 ただし『SCはサムスンXXXの略語』と聞いた。PR容器についている注意文はとても 小さな文字の英語で書かれていた。安全教育は火が出た時、ガス待避など、2回 受け、ラインで30分程度聞いた」。

[健康状態、発病の経緯]

  • 入社前までは非常に元気で、18回ほど献血をするほどで、家族もすべて健康。
  • 勤務当時7か月間生理不順があったが退社後良くなり、入社後は献血に行くたびに断られたが、退社後にはまた3回番献血した。
  • 2004年に部署を移動した後、1〜2か月でとてもストレスをひどく、よく眠れず、食事も進まずに体重が10kg減った。
  • 2005年2月まで満2年勤めた後、大学進学のために退社したが、退社直後の2005年3月中旬頃、体調が悪く病院に行って貧血診断を受けた。
  • 2007年8月から視力減退、2008年6月から筋力の低下と痛み、多発性硬化症と確診。
  • 現在、痛み、胃弱、硬直および歩行障害が続き、以後の再発防止と持続的な経過観察を要する状態である。少し疲れても気絶するほどからだが衰弱している。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


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