韓国:イ・ホドン前発電労組委員長インタビュー | |||||||
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「民営化反対の世論、また活火山に」[インタビュー]イ・ホドン前発電労組委員長
ユン・ジヨン記者 2012.03.06 06:57
「国家基幹産業民営化阻止3労組共同全面ストライキ宣言! 全国鉄道労働組合、 韓国発電産業労働組合、韓国ガス公社労働組合は、2002年2月25日04時付けで 全面・無期限共同ストライキに突入することを宣言します」 金大中政府は、IMF直後から国家産業売却を含む公企業民営化を電撃的に推進し 始めた。韓電、石油開発公社など13の政府投資機関と韓国通信、タバコ人参公社、 ガス公社など19の政府出資機関、政府投資出資機関の123箇所など、国家基幹産業 を含む155の企業を民営化する方針だった。また政府は、1999年1月に電力産業構造 改編基本計画、1999年11月にガス産業構造改編基本計画、2001年3月には鉄道産業 構造改革基本計画を確定発表した。 これに対し、ガス、発電、鉄道の3つの産業の労働者たちは、2002年2月25日 午前4時頃、△国家基幹産業民営化(私有化)および海外売却方針撤回、△公共部門 人員削減中断および人員増員、労働条件改善を掲げ、無期限全面ストライキに 突入する。特に発電労組は、38日間の長期ストライキ闘争を展開し、合意なく 現場に復帰した。 3つの産業の労働者による共同ストライキは、政府の国家基幹産業私有化立法と 売却を留保させた。また、2.25闘争は韓国社会の新自由主義本格化による公共 部門私有化の動きの転換点として作用し、国家基幹産業私有化に対する社会的 な議題を明確に提示したという成果も残した。 2002年当時、国家基幹産業民営化阻止のために38日間の発電労組ストライキを 主導したイ・ホドン前発電労組委員長から、10年前から止まらない政府の 民営化政策と闘争過程などについて話を聞いた。彼は「政府政策による私有化 戦線は、またグツグツと沸く活火山になった」とし「労組が過去の闘争の限界を 克服し、組織力と闘争体系を備えなければならない」と頼んだ。 2.25闘争10年をむかえた所感は 2002年の2.25闘争10周年をむかえ、とても気持ちが重い。当時、政府の直接の 民営化は防ぎ、ある程度私有化は抑制されたが、その結果だけでは喜べないのが 現実だ。李明博政権末期になり、KTX私有化が進行している。火山にたとえれば KTX私有化が推進される前の私有化阻止戦線は休火山だった。だがKTX私有化を 契機として、戦線はまたグツグツと沸きあがる活火山になった。 だが2006年の政府の労使関係ロードマップと非正規悪法通過など、公共部門の 現場蹂躙で、公共部門労組運動の力が後退する様相を見せた。闘争を組織した が、以前のように組合員の怒りを爆発させる決定的な契機を迎えられなかった。 闘争力が弱まり、組織力が弱まった。だから今回の李明博政権の私有化政策に 対応し、労組が過去の闘争の成果と限界を議論し、何を繰り返してはいけない かを考えなければならない。これにきちんと対応できる組織力と闘争体制の完成 も重要だ。 10年前と今の政府による民営化政策を比較すると? IMF救済金融期から2000年代初期までは、政府が直接の民営化方式と売却などを 進めた。だが2002年の鉄道、ガス、発電の3つの産業労働者たちの共同闘争を 契機として、2000年代中盤からはソフトウェア的な構造調整の傾向を見せた。 いわゆるハードウェア的構造調整を経営権売却などの直接的な方式だとすれば、 ソフトウェア的な構造調整は、現場の統制強化、事業の外注用役化、株式持分を 部分的に売却する方式だ。 李明博政権では、こうした方法が公共機関先進化方案として推進された。人員 削減があればさまざまな経営成果と評価を口実に機関長を退任させたり、現場 で労働者が息をするのも難しいほど労働強度が高まり、民主労組を固く締めつ けたり解体する方式で進められた。 当時の政府の民営化推進に対する世論はどうだったのか 当時、政府は一方的に民営化賛成の論理を伝播した。公企業の非効率性を集中 的に広報し、公企業の鉄茶碗に対する評価と非効率性克服が主な内容だった。 そして与野全員一致、委員長の職権調印で法律が通過した。 労働組合を含み、運動陣営の広い単位が反対を主張したのではない。民営化に 対する否定的な認識はあっても、民営化阻止戦線が弱まっている状態だったか らだ。大衆の場合、電力産業民営化問題は膚で感じる問題だ。電気がなければ 暮らせないので大衆は韓電の民営化がどんな結果を招き、家計にどんな影響を 及ぼすのか心配する面があった。 その後、3労組がストに突入し、ガス復帰に続いて鉄道が復職した後、発電労組 5409人がストライキを続けた。その時、言論では発電労組に集中乱打を加えた。 賃上げのために鉄鉢労働者がストライキをしているという内容だった。だが、 ストから一週間がたち、長期化すると、言論でもこれに対する分析記事を出し 始め、世論の反響を起こすようになった。連帯する組織が出てきて、民主労総 と金属労組が連帯ストを決意した。そして、電力産業民営化に対する批判的な 雰囲気が社会的に感知された。ストライキから半月以上過ぎて、ハンギルリサー チの世論調査で民営化反対が86%まで上がった。ストライキ草創期に世論調査を していれば、民営化賛成が多かったはずだが、それこそ私たちの闘争が世論を 反転させた。労組と運動陣営の継続的な世論戦で、民営化の真実も伝えられ、 その後国会も動いた。 労組はどんな方式で世論戦に対応したか 事実、民営化は昔からあったし、韓国通信も民営化された状態だった。その中 で、公共部門の巨大3産業の労働者が民営化反対で共同で全面ストをしたので、 すごい問題になった。前に話したように、政府は公企業の非効率性を集中広報 した。非効率性を除去するために人員を減らさなければならないという調子だっ た。当時の民営化反対の声は、労働運動を含む一部の知識人だけで、あとは 政府の政策に賛同した。 労組は電力が民営化すると料金が上がるという事実を集中的に世論化した。先 に民営化した国家の例があったのでこれを紹介し、労組も確信にみちて話せた。 組合員は宣伝して、電力産業の民営化が電力の安定性を損ない、大混乱を招く 可能性が高いという事実を大衆に伝えた。ストは労働者が社会にメッセージを 投げる集団的な行為だ。当時、われわれは『民営化阻止』に要求を圧縮して、 世論化に集中した。もし他の要求ならその程度で世論を換気することはできな かっただろう。集中的に要求を掲げて闘ったことで、世論が反転した。政府の 一方的な論理の他には何も提供されず、労働者が自分の犠牲を通じて民営化を 暴露し長期間ストを続けたので、世論が大逆転した。 3産業労組の共同闘争は容易ではない。過程はどうだったのか 2001年4月、まず鉄道に民主執行部ができ、その後7月に発電も民主労組を設立 した。だが、まだ鉄道とガスは韓国労総の傘下で、発電労組だけが民主労総に 入った。そのためまず民主労総が9月から私有化阻止共闘本の議論を始めて、 10月に集会、会議、討論と組織化を続けた。9月頃から共同闘争の準備を始め、 徐々に組織と闘争の内容と程度を強化していった。結局、2月25日に同時に全面 ストに突入するのは互いの決断が必要だった。当時、内部条件も違い、民営化 の段階も違った。そんな状態で同盟ストライキをするのは水準が高い決意だった。 それだけ3つの産業労組の同盟ストは代表的で歴史的な闘争だ。多くの人の献身 もあった。共闘本には3つの産業労組をはじめ、7つの労組があったが、共闘本 に参加した労組をはじめ、支援に努力した仲間たちの連帯の結実だった。 ストまでいくことになった契機は? 共闘本は民営化を阻止するために共同で闘争するために作られた結社体だった。 だが2002年に政府が民営化強行を発表し、ストライキまで議論され始めた。 共同で対応している状況で、2002年初めから民営化推進を強行したことが闘争の 程度を上げる直接の契機だった。 単にピケッティングや集会程度で政府が民営化政策を撤回するとはとても期待 できなかった。単位労組が大きなストライキをしても簡単に撤回できない政策 だった。最高権力者や官僚が当然の流れと考えている政策を労働者が撤回させ るのは難しい。 ストライキに突入した時も、政府は電力民営化については議論もできないとい う立場だった。だから民営化撤回がなければストライキ撤回もないという背水 の陣を敷いて闘争が続いた。闘争が長期化して犠牲が大きくなり、社会的波紋 も大きくなった。解雇者が348人発生し、政府と発電社の社長が終盤にはストで 4000人全員を解雇すると圧迫した。結局894人が告訴告発され、損害賠償訴訟が 420余億ウォン、3800人の懲戒が行われた。そんな犠牲を甘受してまで電力産業 民営化はいけないと闘争を続けた。これが可能だったのは、大きな連帯があり、 ストライキに参加した発電労組の組合員が確信を持っていたからだ。 組合員の確信や闘争力はどうして発生したのか 組合員は民営化阻止を歴史的な使命と感じていた。今でも退職する先輩が私に 電話で「私の人生で、この社会のために、後輩たちのために、一番カッコ良く 貢献したのが電力産業民営化を防いだことで、誇らしく思う」と話す。 結果として当時、組合員たちは闘争の目標を正確に認識していた。認識程度で はなくはっきり自信があり、要求と目標を誇りにしていた。私を含むストライ キ指導部への信頼もあった。発電産業では104年ぶりになる全国規模の初めての ストライキで、指導部と組合員がこん然一体になってストライキを決意した。 予想された闘争だったので、ストライキ宣言でも「歴史が私たちの闘争を評価 すると確信します」と話した。 記憶に残る事件は? 大部分のストライキは、ストライキ指導部と隊伍が分離して、組合員の叫び声 が聞こえず、熱気が感じられない。私たちも明け方4時20分に明洞聖堂で記者の 前だけでストライキを宣言した。組合員はソウル大でストライキ前夜祭が終わ り、ストライキ宣言を待ち疲れて寝ていた。ソウル大側の状況をいつもチェッ クする幹部から組合員がみんな寝ているという話を聞いてしばらく笑った。 その翌日、組合員が待った末、眠りから覚めるとストライキが宣言されている 状況だった。それから組合員がソウル大に集まり集会をし、私は明洞聖堂から 電話で発言した。その時、組合員がストライキをまた宣言してくれと言った。 それで携帯電話でまたストライキを宣言した。その時、携帯電話から聞こえて きた5千の組合員の叫びがとても感動的だった。どれだけいるのかわからないほ どの叫び声だった。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2012-03-07 07:09:17 / Last modified on 2012-03-07 07:09:30 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |