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韓国:竜山惨事3年「あの時、私は高3でした」
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竜山惨事3年「あの時、私は高3でした」

「3年経っても解決せず残念」という学生

イ・サンウォン修習記者 2012.01.20 07:27

▲竜山惨事の遺族

2009年1月20日、キム・ミニョン(女、21)氏は高3になる前だった。「ニュース を見て本当に驚きました、韓国は、貧しく無力な人には頼る所のない悲しい国 だということを知りました」

2012年1月20日、今彼女は大学生になり、竜山惨事3周年追慕大会を遺族と共に するために街頭に立つことになった。

「大学生になってみると、周囲には本当に多くの竜山が見えました。私の家族 もいつ同じ境遇になるかもしれないと思うと、参加しないわけにはいきません でした」。彼女は今年、中学生になる妹と友人1人と共に集会にきた。

中学1年のキム・ミンジ(女、13)さんは「姉さんに付いてきたが、よかったと 思う」とし「舞台の話はみんな感動的」だったと感想を述べた。

だが「3年も過ぎたのに解決していないというので残念」というチェ・ミヌ(男、 21)氏の言葉のように、竜山はまだ終わっていない。明洞、北アヒョン洞、そし てそれ以外の多くのところで第2、第3の竜山が生まれている。1月18日、やっと 強制退去禁止法が発議されただけだ。5000の市民が署名に参加した結果だ。

強制退去禁止法制定委員会のミリュ活動家は「撤去民が『対策ない強制撤去を 中断しろ』と叫んで50年でこの法案が発議」されたが、「法だけで世の中が変 わりはしない。私たちみんなが連帯をはじめる時、世の中が変わり始める」と 皆に連帯を訴えた。

統一問題研究所のペク・キワン所長は竜山『惨事』への根本的な問いを投げか けて李明博政権を糾弾した。ペク・キワン所長は「私は3年前からこれは『惨事』 ではなく『虐殺』だといっていた」とし「今年は虐殺を起こした張本人を監獄 に送る転換点にしよう」と声を高めた。

この日、発言者の声にはいつよりも多くの涙がにじんでいた。

▲「青い空天の川」を歌うペク・キワン所長、「天の川を渡って、雲の国へ、雲の国を通りどこに行くのか...」

ペク・キワン所長は<李明博政権を糾弾する部分では年齢を感じさせない強い 声で糾弾したが、烈士を追慕して『青い空天の川』を歌った時は、誰よりも悲 しく歌った。

また、金属労組双竜自動車支部のキム・ジョンウ支部長は「血を吐く気持ち」 と言葉を切り出した瞬間から、「悪法を破る闘争を共にして行こう」と言葉を 終える瞬間まで、何度も涙を飲み込んだ。発言者の発言を聞く聴衆もあちこち で涙を拭った。

▲遺族らが献花をしている。

追慕大会は、烈士の遺影の前に菊を献花して終わった。キム・ミニョン氏と チェ・ミヌ氏、そしてキム・ミンジさんも遺影の前に菊を上げて頭を下げた。 少しずつ雨が降り始めた。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2012-01-20 22:43:54 / Last modified on 2012-01-20 22:44:05 Copyright: Default

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