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ホームレスの『ハッピー秋夕』作り

[探訪] 『ホームレス行動』秋夕の食べ物作りイベント

ユン・ジヨン記者 2010.09.22 16:01

ひどい雨が降った秋夕連休の初日。傘で防げない豪雨に打たれながら、西大門 にある『下の村』を訪ねた。『下の村』はホームレス行動、貧困社会連帯など 6つの市民社会団体が集まる家だ。そのうちホームレス行動は毎年、名節連休に 長屋の居住民、野宿者などと共に食べ物を作ってきた。

「こっちにきてください」
イ・ドンヒョン活動家の案内で上がる3階の階段 には、すでにチヂミのにおいが満ちていた。人々の笑い声も聞こえてきた。外 はうす暗く湿っぽく、暴雨まで降り注ぐが、下の村は暖かく明るく、何よりも 秋夕の雰囲気が充満していた。もう10人ほどが集まって座り、トングランテン、 ドンテジョン、串ジョンなどを心を込めて作っていた。

「働ける力がある時に働きたい」

ホームレス行動が運営する夜学で3年間勉強している小さな星(56)氏は毎年名節 をここで過ごす。誰の勧誘も、紹介もなく積極的に来たからか、活動も誰より も積極的だ。すでに夜学でコンピュータ、映像製作などを学んだ。

「野宿者の憩い場にいた時、自分でここにきました。私は今、一人で暮らして いますが、ここにくれば人と付き合う事もできるし... 名節の時に会いたい人 ですか? とても多いです..」

小さな星氏は野宿者憩い場で2年間生活し、野宿者自活勤労もした。野宿者自活 勤労は半月間働いて39万1000ウォンの賃金を受け取る。たとえ半月間の仕事で も、賃金も少ないが、かなり多くの野宿者がこの仕事をする。だが最近になっ て雇用が1/3と大幅に減った。

「以前は10人選んでいたとすれば、今は3人しか選びません。なぜ選ばないのか というと、ソウル市は予算がないんですって。なぜ予算がないかというと、デ ザイン・ソウル事業に金を使わなければならないからだそうです。」

野宿者の憩い場を出た小さな星氏は、現在3か月の町役場公共勤労を申請してい る。幸い、公共勤労は野宿者自活勤労賃金より多い60万ウォンになるが、これ も3か月の短期契約職だ。だから3か月経てばまた別の仕事を探さなければなら ず、また公共勤労を申請するとしても経験者は優先順位が後になる。

いくら働いても未来を心配しなければならないのが残念で、「生活保護を申請 してみては?」と言ってみた。だが小さな星氏は「私も遊んだ方が良いが、今 は働きたいです」と、はっきり話す。

「働く力がある時、私も人間らしく働いてみたい。それで需給申請をしません。 生活保護を受けると働けないから...」

話題を変えて、暮らしの話をしてみることにした。最大の心配事を尋ねるのと、 やはり今月末に発表される公共勤労の合否だ。その次の心配は『食事代』だ。 一食5〜6千ウォンの食事代が苦しいためだ。だから前は憩いの場が提供する 食事を食べたりもした。

「だけど憩いの場でご飯を食べるのは気が引けて、ウン... 食べたい人がとて も多いので、6時に飯があるというと4時30分から列に並ばなければなりません。 そして早くローテーションしなければならないから、無条件はやく食べなけれ ばならなくて。しかし私の歯を見て。みんな抜けてしましました。それでかむ のがとても不便で、長くかかるので気が引けます。しかたなくプラスチックの 弁当容器を持っていって、ご飯を入れたのですが、うーん。」

最近は食事を買って食べるという小さな星氏。彼はコンビニのおにぎりと、お まけでくれる飲み物を最も愛用している。「こうして一人で食べてここにきて、 人々とこうしたおいしいものを作るのですから当然うれしい。孤独でもない。」

「人と会い、とても性格が変わりました」

『ご飯』の話が出たついでに、先日のチャ・ミョンジンの皇帝食事発言が話題 になった。小さな星氏の横で熱心にチヂミを焼いていたトンパリ(41)氏は、 「一食でそんなことを言うが、それを毎日食べたらどうか」と声を高めた。

トンパリ氏も夜学ができた2007年からいつも勉強してきた学生だった。だが8か 月前に夜学を止めることになった。『立派な』職場ができて、夜学に参加する 時間がなくなったからだ。彼の職業は西橋洞にある『敷居のない飯屋』の厨房 補助。有機農食堂で有名なここをさらに有名にしたのは、変わった計算法のた めだ。

「敷居のない飯屋は、昼食の時に食事代を払いたいだけ払えばいいのです。い くら暮らしが苦しい人でも、払える範囲で思いきりご飯を食べられます。平日 は100〜120人が昼食に来ますが、集まるお金は20万ウォンにもなりません。い つか一度取材にきて下さい。ぜひ。」

本当に敷居がないように見える飯屋の自慢をならべるトンパリ氏。一目見ても 彼は職場生活がとても気に入った表情だった。勤労環境を聞くと、「10時出勤、 5時退勤で、最初はつらかったですが今はおもしろいです」と笑ってみせた。特 に職場ではトンパリ氏を除くすべての労働者が女性だという。「みんなおばさ んたちで、男は私だけなのでとても可愛がられます」

幸せな職場生活をするトンパリ氏も迂余曲折の時期があった。彼は一時安重根 記念館の軒の下で野宿生活をした。誰とも話したくなく、何にも関心がなかっ た時、成均館の大学生たちが彼を訪ねてきた。

「2005年に成均館の大学生たちが相談のために訪ねてきたのですが、当時は関 心がありませんでした。でも雪が降っても雨が降っても、木曜になると訪ねて 来るのです。そのうちになじんで、7日間の農業活動について行ったりして縁を 作りました。その時、そのサークルの学生の1人です。」

トンパリ氏は彼の横でチヂミを焼いていたひとりの青年を指して言った。今で も縁を続けている彼らは一時、『夜学の先生』と『学生』の関係で、今は兄弟 として過ごしている。

「とても性格が変わりました。夜学をして、人々と付き合って、また働くよう になって、本当にとても性格が変わったと感じます。以前は人と話すことも嫌 だったのですが... 説明できないほど私が変わったようです。」

「なぜ近くで話さないのですか? 誰も取って食べたりしません」

一時間以上、煙の中で人々の話を聞いていると、目がちくちくして涙が出てき た。その間に人はさらに増え、ほとんど20人近い人が集まっていた。今年の秋 夕は、特に雨が降ったので参加者は少ないという。普段は30人以上の人が訪ね てくると。

この中には小さな星氏やトンパリ氏のように3〜4年間、ずっと付き合ってきた 人のほかに、最近縁ができて訪ねてきた人もいた。童顔氏(51。童顔なので記者 が付けたニックネーム)も下の村にきて三回目の新入生。

彼は99年に事業に失敗した後、大きな借金をした。だから4か月野宿生活をして、 最近ホームレス行動の活動家と会い、ここに来るようになった。事実、野宿生 活で、あちこちで話しかけてくる社会福祉士の相談を受けたりもした。だが、 職業的な相談士は、野宿者の悩みに共感しなかった。むしろ傷つけたりもした。

「そのような相談家がとてもたくさん訪ねてきます。しかし相談をするのなら 近くで話を聞いて、また返事するべきでしょう。ところが私から遠く離れて話 しかけます。座りもせずちょっとかがんで遠くから話しかけてくるんです。 『捉えて食われそうだとおもうんですか?』と話してみたら、嫌われました。他 の人のところに行ってしまいました。」

それではホームレス行動の活動家は何か少し違う相談法を持っているのだろう か? 童顔氏がホームレス行動に訪問するようになったのも、活動家が彼の心を 動かしたためだと考えた。説明を聞いてみるとドンアン氏は、何よりも近くで 話してくれ、悩みを真剣に聞いてくれるのが良かったといった。

「そのへんの多くの相談家は、『病院に行きなさい』、『憩いの場に行きなさ い』という以外の言葉がありません。それも悩みをよく聞かないからです。こ この(ホームレス行動の)活動家は水一杯を飲みながら、座って悩みを聞き、苦 情を聞いてくれます。それが違いでしょう。」

ホームレス行動の支援で、今は考試院で住らす童顔氏には自信が伺えた。小学 校時代、最後の血縁のおばあさんを失い一人で働きながら中学、高校、そして 大学まで終えたという。『有銭無罪・無銭有罪』が適用される社会で、貧困層 は貧困から抜け出せない体制で、童顔氏は一人で必死に生きてきた。今は彼も 二人の娘と共に『ハッピー秋夕』を迎えたいという希望がわいてきた。

童顔氏の前で黙黙とチヂミを焼く校長氏(70。小学校校長先生と似ている)も、 初めてホームレス行動にきたという。彼は基礎生活受給者で1か月50万ウォンに もならない生活保護で生活していた。それも受給者申請をしてやっと1か月にし かならない。

「私は家族もない一人暮しの老人だ。事業に失敗して、野宿生活をして最近、 受給者申請をした。手続きが難しくて複雑で、ここからとても支援を受けた。 それで今日もくることになった。」

一人で考試院で生活するキョジァン氏は、27万ウォンの考試院費を引けば手に 残る金は一日5千ウォンほどだ。2011年、最低生計費が大幅に上がり、政府と言 論は大騒ぎだが、彼らの生計は何も良くなっていない。

いろいろな話をしているうちに、色とりどりのチヂミがかご一杯になった。今 日作った食べ物で、明日の午後8時には共同の法事もする予定だと言う。外では 相変らず雨が降っていたが、下の村からは暖かい熱気が上がっていた。

ホームレス行動のアンプロ活動家は、「こんな場でもなければ、秋夕を一人で 過ごさなければならない」とし「野宿者、長屋居住者、配達員など多様な人々 が来る」と説明した。彼らは食べ物を作ると、ユンノリなどで遊び、映画を鑑 賞する。夜9時まで続くプログラムで下の村は私の村の人で込み合う予定だ。

取材を終えて出ようとすると、活動家たちがチヂミを包んでくれた。遠慮する と手で遮ってみたが袋いっぱい、チヂミを押しこんでくれた。雨がとてもひど く、傘をさしても無駄なほどだったが、カバンから感じられる暖かさが気持良 かった。路地に下水が逆流してすっかりズボンが濡れてしまったが、なぜか楽 しかった。

いつのまにか『秋夕連休に、しかもこんな天気なのに、なぜ私が仕事をしなけ ればならないのか』という投げやりな思いもすっかり忘れてしまった。下の村 の人々のように、今回の秋夕連休は皆が『ハッピー秋夕』ならいいと思いなが ら、波が打つ光化門道路でバスに乗った。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2010-09-25 12:51:14 / Last modified on 2010-09-25 12:51:21 Copyright: Default

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