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韓国:「どん底」から希望を作る方法
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「どん底」から希望を作る方法

2007年歳末、移住労働者たちの話

ビョン・ジョンピル記者 bipana@jinbo.net / 2007年12月31日14時58分

韓国キリスト教会館の7階。2メートルほどの廊下の冷たさを防ぐために敷いた 銀箔は、今30日になろうとする座り込みで、よれよれになった。さらに幾重に も毛布と寝袋を敷いて、また毛布を一枚かけた。風防けがある建物なので、そ れでも寒さは耐えられる。

廊下の一方には二台のコンピュータがチカチカしている。その横には各種のプ ラカードや立看板がごちゃごちゃと置かれている。7階から8階に上がる階段は、 移住労働者の靴がまるでゲタ箱のように階段一つに一足ずつきちんと置かれて いる。

しとしとと降る雨に、どこか連帯闘争に行く所でもあれば力も出るだろうが、 訪問した日は特に外部の闘争もなく、あちこちで移住労働者たちが毛布を被っ て話をしたり、インターネットを見ながらあちこち動く事情を見ている。

エレベーター前の廊下の片隅で座り込みをしている移住労働者に挨拶をした。 彼らの中には2003年から280日間進められた明洞座り込みでおなじみの移住労働 者もいて、また新顔の移住労働者たちもいた。

ミニ(仮名)の表情はかなり暗い。座り込み初日には見えなかった顔だったが、 彼も2003年の明洞座り込みに参加した移住労働者だ。19歳のおとなになって、 韓国の土地を踏んだ彼は今28。十年足らずの時間、もう二回目の座り込みだ。

『素足』で引きずられて行ったガールフレンド

2003年の座り込みの時は『末っ子』という愛称で恥ずかしそうな姿も見せたミ ニは今、なかり『おじさん』のような顔に変わった。「オ、一緒に座り込みを するんですか?」と挨拶をした。

「ガールフレンドが連れて行かれました」。周辺の移住労働者が一言付け加え る。喜んで挨拶をした記者がしょげるほど、彼の顔は暗かった。12月13日の午 前、入管職員が彼の家に押しかけ、一緒に暮らしていたガールフレンドをに靴 をはくすきも与えず裸足で連れていったという。韓国語もよくわからない彼女 の恐怖で真っ青になった顔を見なければならなかったその時の衝撃がまだ去ら ないという。

▲ミニがまたガールフレンドと会える日はいつか?/イ・ジョンウォン記者

ミニがふとんをたたむと言ったが、まずその時の話をする。朝遅く起きるとコ メがなかったので、コメを注文したという。その時、米屋のおじさん後につい て家に入ってきた入管職員は、上の階で朝食を準備していた先輩を捕まえて行っ た。ついでに下の階にも摘発が入った。「二人を捕まえて降りて行くと、ひと りの入管が部屋に入ってきてカルラム(仮名)に何かを話しました。私にはよく わかりませんでした。出入国管理職員が韓国人なのか、身分証を見せてくれと。 カルラム先輩が何と言ったのかはわかりませんが、外国の人でしょう、それで はパスポートを見せてくれと。私は衣装だんすに隠れ、ガールフレンドは扉の 近くにいました。」

「少しあと、5分ほどあとに入管の人が私たちが寝ている部屋のドアを開けると、 そこガールフレンドが見えて、女がいるよ、と言って、ガールフレンドにこい と言いました。ガールフレンドは韓国語がよくわかりません。パスポートを見 せてくれと。ビザが過ぎている、行こう、そう話して、裸足で引っ張っていき ました」。家なので自分の靴ももあったはずなのに、きちんと靴も履かせない まま、そのまま連れて行くような状況が、どれほど緊迫してつらかっただろう かと思うが、うまくない韓国語のためなのか表現は乾いている。

今、彼女は華城外国人保護所にいる。3か月間、仕事が見つからず、二人とも仕 事がなかった。今すぐ本国に送りかえしたい気持は切実だが、ミニも彼のガー ルフレンドも、飛行機代を用意する金がない。この金を用意するまで彼のガー ルフレンドは保護所に閉じ込められていなければならない。

「ガールフレンドは一山で働いた。サウナで洗濯、タオルなどを洗っていまし た。4月30日から9月23日までの月給もまだ受け取っていません。私が思うに、 月給を受け取り、国に送るつもりだったようです」。未払い賃金のため生活も 苦しい彼女は、結局彼女が働いた未払いの賃金を、強制出国のための飛行機の チケットに使い果たすことになってしまった。

共に生活していたカルラム先輩もその日やはり捕った。上の階にいた二人の先 輩も捕った。そして彼は座込み場に入ってきた。2007年の歳末、座込み場で会っ た彼の顔には『怒り』よりも『絶望』が濃かったというべきだ。

気丈なケビ氏

その横にいたケビ(仮名)は、それでも希望を折ることはなかった。韓国にきて 6年半ほどのケビは、未登録になった自身をむしろ社長が捕まえたという。「ビ ザが切れたのではないですか。社長がそのままいろと席を作ってくれました」。

「よく仕事をしていたのですね」という問いに「フフ..」恥ずかしそうに笑う。 「会社にはこの仕事がうまいネパールの人が多かったです」。

彼は片方の腕にギブスをしている。「物を持ち上げなければならず、包まなけ ればならず、靭帯が切れました。300メートル、500メートルの電線を切って包 む仕事でした。議政府の方にある会社ですが、一日12時間、夜昼二交代です。 それでもとてもつらいです。そのままこうして座込み場で12時間いるのも大変 なんだけど。」

抜き打ちで強制出国させられたラジュ移住労組副委員長とも懇意な間だった彼 は、「心が痛いです」と。「(韓国に)きて頑張って働いて、金を稼がなければ ならず、故郷にも帰りたいです。ところがいつまでも私たちが韓国で移住労働 者の権利のために、労働者は一つだ思って移住労組を作ったのに、うまく行っ ていると思ったのに、韓国政府の労組弾圧で今はちょっと苦しい状態です」。 それでも彼は気丈だ。「すべての移住労働者、97か国から来た労働者たち。雇 用許可制は14か国しかないが、移住労働者のために労働許可制にしなければな らない。このように」と、進むべき道の確信は揺らがない。

「希望ですか? 地域組織を建設しなくては」

3人の指導部が『標的摘発』され、強制出国した後、最も忙しくなった人はトル ナ委員長職務代行。彼は今、闘争の中心に立っている。『牧師』という愛称を 持つトルナ委員長職務代行は、普段のそののんびりした性格を失っていないよ うだ。落ち着いた声で「大変なことですか? 執行部役をするのが大変です。本 来自由人でしょう。責任感が大きくて、することになってもよくできないこと もあって。ストレスも受けて...そういったことが大変です。」

『自由人』になりたいという彼は、闘争の中心に立ちながら、ますます自分席 に落ち着きつつある。政府の政策を非難する彼の声にも力付けられる。「困難 の中で移住労組を弾圧するのは、政府が移住労組を破壊しようとする陰謀でしょ う。移住労組のためにがんばった人たちを、政府が一度にやっつけること自体 がとても野蛮だ。移住政策がこれしかないのか、よくそんなことを考えますが、 私たちがしなければならない闘争はこれしかない状況です。」

『移住政策はこれしかないのか』という彼の指摘は、まだ移住労働者を使い捨 てるように、働かせるだけ働かせて追い出す韓国社会の移住政策の「野蛮性」 への指摘だ。法務部の統計では、2006年現在の国内の未登録移住労働者は21万 人。2003年から強まった摘発と追放にもかかわらず、未登録移住労働者は増え 続けている。

移住労働者は、摘発と追放では未登録移住労働者問題を解決できない、根本的 な移住労働者政策の転換が必要だと提起してきた。しかし政府は今年末『令状』 なく、疑いだけでも移住労働者の摘発を可能にする出入国管理法改正を推進し ている。「どこでも摘発しているでしょう。それをさらに自由に」。移住労働 者政策はなく、『摘発』だけがあるのが韓国の移住労働者政策の現実だ。『労 働法』の適用は希望事項でしかなく、ただ彼らに強要される法律は『出入国管 理法』、つまり摘発と追放に関する法だけが残っている。

▲イ・ジョンウォン記者

▲イ・ジョンウォン記者

▲2008年にはこのロウソクの火が「自由な労働」に向かう種になるように.../イ・ジョンウォン記者

「希望ですか? 変わるだろうという希望はありません。それでも座り込みをし て、法務部の野蛮で非人間的で人種差別的な行為が知らされたのは一つの結果 です。民主労総をはじめ、進歩的な知識人が非常対策委を構成し、ここまで来 ました。これからどうなるのかはわかりませんが、大きな成果ですね。移住労 組地域から、分会から連行され、40-50人の移住労組組合員が連行されたのです から、地域組織を建設することが目標ですね」。

あまりにも当然な希望...「希望があるから闘う」

移住労働者たちの2008年、移住労働者の希望をどこで見つけるのだろうか? 移 住労働者たちは自分たちを「どん底の労働者」と呼ぶ。正規職の下に非正規職、 そして女性非正規職労働者の下に何の身分の保障もなく、社長の一言で買い物 に行かされても、明日には韓国から追い出されるかもしれない。だから社長が ののしり、殴り、通報するとおどし、休暇もなく働いても月給を受け取れなく ても、何も言えないのが『どん底の労働者』である移住労働者たちだ。いや、 そうして暮さなければならないと思っていた。

しかし移住労働者たちはそうして暮さなくてもいいのだということを、戦いを 通して、共に闘った『同志』を失いながら悟った。2007年の末、韓国の土地で 彼らはこんなに冷たい廊下でも『どん底の労働者』の希望を作っている。

2003年の移住座り込みに続く二回目の座り込みをしているナレンドラ京畿南部 支部長に2008年の希望を尋ねた。ナレンドラ支部長はとても淡々と「世界中で 移住労働者が自由に労働すること」と答える。あまりにも当然のことが希望に なり、夢になる世の中だ。「希望があるから、夢があるから、希望のために闘 っています」。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳)に従います。


Created byStaff. Created on 2008-01-06 03:13:11 / Last modified on 2008-01-06 03:13:12 Copyright: Default

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