韓国:麗水外国人保護所火災惨事、50日間の闘争(上) | |
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過去を踏みしめ、明日に向かって撃て(上)[寄稿]麗水外国人保護所火災惨事、50日間の闘争 コン・ソンシク(社会進歩連帯)/ 2007年04月12日13時58分 構造的殺人、50余日の闘争
2月11日、麗水外国人保護所の3階で火災が発生し、移住労働者9人が死亡(2月 26日に重傷者1人が結局死亡し、この事件による死亡者は10人になった)と18名 が負傷する悲劇的な事件が発生した。このおそろしい事故でいわゆる外国人 「保護」所と政府の移住労働者政策の反人権的な実状が天下に暴露された。 許可された業種ではない他の業種の事業場に「派遣」され、未登録の身分にな り、未払い賃金を受け取ろうとしたのに結局保護所に拘禁され、死亡から一日 後にようやく未払い賃金720万ウォンを受け取れた故キム・ソンナム氏。未払 い賃金420万ウォンを受け取って、結婚する娘に結婚用品を買おうと1年間ずっ と保護所に閉じ込められて被害に遭った故エルキン氏…。閉じ込められる理由 は全くないように見える彼らがなぜそうして閉じ込められなければならなかっ たのか、なぜ堅く閉じられた鉄の扉に遮られて避けることもできず小さな換気 口のあるトイレで死んだのか、彼らの死は韓国社会の移住労働者人権の現実を 悲劇的に暴露した。今回の火災惨事は、移住労働者の権利を深刻に侵し、事業 主の利害ばかりを反映する既存の産業研修生制度と雇用許可制、最小限の法的 統制も受けずに恣意的に行使されている摘発と保護所拘禁行政など、政府の反 人権的な移住労働者政策が作り出した構造的殺人だった。 移住労働者と韓国の社会運動団体は、麗水外国人「保護」所火災惨事共同対策 委員会(以下麗水惨事共対委または共対委)を構成し、今回の火災惨事で見えた 問題の根本的な解決を要求する闘争を続けてきた。一方、死亡者と負傷者の家 族も麗水現地で犠牲者家族会を作り、麗水惨事共対委とともに活動をしてきた。 事件を隠すことに汲々とする政府
だが政府は反省するどころか亡くなった移住労働者1人を急いで事件の容疑者 とし、全責任を彼になすりつけて真相を歪曲し、責任を回避した。しかも根本 的な制度改善を要求する移住労働者当事者と各界各層の声に法務部をはじめと する行政府各機関や大統領府は、責任ある返事は一言半句も出さずにいる。 むしろあつかましく移住労働者を摘発し、あの恐ろしい鉄窓収容所に拘禁して いる。2月26日、妊娠7ケ月のフィリピン女性が妊娠の事実を告げたのに、ソウ ル華陽里の路上で10数人の摘発班につかまり、何の医療支援も受けられないま ま拘禁され、フィリピン共同体会員からの強力な抗議で解放されるという事件 もあった。 こうした状況で、被害者と被害者家族への国家賠償手続きが終わった。遺族と 一部を除く負傷者と法務部は、交渉に対する了解覚書を締結して賠償審議委員 会で賠償手続きが進められている。警察が今回の麗水火災惨事の被疑者として いる1人を除き、死亡者9人の遺族に1億〜1億2千万ウォンの賠償、被疑者の遺 族には5千万ウォン賠償、負傷者には1人当り1千万ウォン(治療費別途)賠償と 出国後に後遺症が発生した時には治療目的での再入国および片道の交通費と治 療費の保障が交渉の内容だ。くやしい死とこれによる家族の悲しみと怒りが賠 償で宥められることはないが、当初政府が提示した水準よりはるかに高い水準 で賠償が行われた点は、今回の闘争の小さな成果だ。だが死亡者一人を何の根 拠もなく放火犯とした政府の意図は、賠償でも貫徹され、当初の負傷者の要求 と違い、今後の滞留保障が不充分である点はとても残念な点に残る。しかも、 相変らず今回の惨事を呼んだ根本的な問題は一つも解決されずにいる。相変ら ず今回の火災事件の真相は糾明されず、摘発と鉄窓収容所拘禁は続いき、現場 で事業主が働く横暴と誤った政府の政策で、移住労働者は引続き未登録滞留者 に転落する境遇に置かれている。 火災惨事犠牲者告別式/移住労働者放送局 9人の遺骨が臨時安置された麗水市立スンハ院追慕館/移住労働者放送局 そのため被害者家族への国家賠償が終わっても、今回の惨事と、明らかになっ た誤った移住労働者関連制度と政策を変え、人権を拡大する闘争は続けられな ければならず、新しい局面へと拡大しなければならない。この文がこの50日あ まりの闘争を評価して今後の闘争の教訓を得るための一助になればという切実 な気持だ。 1期(2月11日〜19日):事件の本質を歪曲する政府に対する反撃を準備する 11日未明に事件が起き、政府は足早く動いて対応を始めた。法務部緊急対策班 が構成され、麗水現地に合同焼香所を整える。警察は1時頃1次捜査会見で、火 災の原因は放火と推定し、未登録移住労働者への摘発、拘禁、追放政策と制度 の反人権的実状に対する批判がこの事件を契機に出てくることを押さえようと した。 一方、さまざまな経路でこのニュースに接した移住労働者支援センターの代表 と実務者、ソウル京畿仁川移住労働組合(以下MTU)も、やはり緊急に麗水現地 に飛んだ。まず現地に到着した外国人移住労働運動協議会(以下外労協)所属団 体の代表を中心に、麗水現地の社会団体と共に11日夕方6時、麗水外国人保護 所火災惨事市民対策委員会(仮)が構成され、12日の夕方に麗水現地社会団体が さらに幅広く参加して対策委が拡大する(共同代表にはチャン・ビョンジン(麗 水ソルセム教会牧師)、パク・サンイル(麗水民衆連帯代表)、キム・ヘソン(外 労協所属外国人労働者の家/中国同胞の家代表)、イ・チョルスン(外労協所属 慶南外国人労働者相談所所長)、チョン・ギョンヒ(民主労働党麗水市委員会委 員長)とチョン・サングク(麗水YMCA理事長)、共同状況室長にイ・グァンミン (麗水愛青年会会長)とウ・サミョル(外労協事務局長)、麗水YMCA1人)。ソウル でも、12日の夕方に移住労働者人権労働権連帯会議(2005年MTU・アノワール委 員長釈放闘争を通して建設され活動をしてきた移住労働者運動に関連する常設 的連帯体)を中心として緊急に会議が招集され、麗水外国人「保護所」火災惨 事解決のための共同対策委員会(仮)が構成される。 麗水現地で対策委が構成されたのとは別にソウルで対策委が構成された背景は 次の通りだ。まず麗水現地で構成された対策委がこの問題に関心を持ち闘争の 意志を示す多くの団体を包括できないまま、外労協、移住人権連帯など一部の 支援団体と麗水現地社会運動だけで構成されていたため、参加団体の幅を広げ なければならなかった。また、今回の事件が韓国移住労働者政策の根本的な問 題から始まったものであるため、全国的な次元で政府に対する闘争を組織しな ければならなかった。だが、そのために麗水現地の対策委を拡大したり全国的 な水準の単一の対策委をすぐ構成するには、移住労働者運動の力量が不足して いた。民主労総や民主労働党のような全国的組織では、移住労働者運動を組織 全体の運動にすることができずにいたし、移住労働組合や共同体なども全国的 な組織を持っていなかった。こうした状況で12日にソウルで開かれた緊急会議 は、麗水現地対策委との緊密な協力と統合的運営を前提として、全国的な世論 形成と闘争の組織、対政府闘争の組織、麗水現地闘争の支援を位相として持つ 対策機構を構成することにしたのだ。 4要求で対策委構成
またこの会議では長時間の討論の末に麗水外国人「保護所」火災惨事真相究明 および責任者処罰、法務部長官退陣、国家賠償、反人権的「保護」施設の閉鎖 および制度改善対策の用意、摘発追放中断と未登録移住労働者の全面合法化、 賃金未払いなどの移住労働者権利救済制度の確立という4項目を対策委の公式 要求(目標)として、これを麗水現地対策委に提案し、要求の統一および対策委 の名称の単一化を推進することにした。そしてこうしたソウルからの要求が受 け入れられ、麗水とソウルの2ケ所でそれぞれ議決と執行体系を持つ麗水外国人 「保護所」火災惨事共同対策委が構成される(以下麗水惨事共対委あるいは 共対委はソウルと麗水地域、そして以後大邱慶北地域のそれぞれの対策機構を 包括する意味で使う。区別する必要がある時は共対委(ソウル)、共対委(麗水) 等と表記することにする)。もちろん、全国的に単一な議決と執行体系を形成 できなかったという点では限界があったが、当時の運動の状況と水準からみて 避けられなかった。共対委は麗水とソウルをはじめとする各地域での活動を、 四大要求を中心として最大限統合しつつ、組織体系上の連係と統合まで模索し なければならなかった。 12日を経て、本格的な闘争が始まった。政府は13日、現場で一足遅れてライター 2つが発見され、放火を目撃したという陳述を確保したとし、事件の本質を隠 す試みをさらに強化した。新聞紙上には死亡した9人の数奇な理由と外国人 「保護所」のぞっとする現実が公開されたが、保護所の一部の施設を改善した り、さらに管理を体系化するという程度の論調を超えなかった。これに対して 共対委と所属団体は、政府の捜査発表への疑惑を提起して、政府の移住労働者 政策と制度に対する批判世論を拡大しようとした。また労働運動、市民運動な ど社会運動全般に組織を拡大し、被害者の家族との連係を強化して、闘争の主 導者を形成しようとした。 被害者家族の入国で闘争が高揚 麗水現地では入国した被害者家族との連係を鋭く強化し、放火としようとする 政府に対し、真相究明活動に介入する活動を繰り広げた。合同焼香所を出入国 管理所に設置して、遺体をある病院に安置するよう要求しつつ、被害者の家族 を集めて共対委の主導権を確保しようとした。しかし法務部とは別に合同焼香 所と遺族の拠点を形成するには力不足だった。14日には出入国管理所を占拠し て設置した合同焼香所と共対委状況室に撤去の圧力がかかり、法務部が設置し た合同焼香所を中心に遺族が集まっていた。こうした状況で、共対委は出入国 管理所の拠点を中心として闘争を形成することもできず、法務部合同焼香所を 掌握することもできないという状況に陥る。この時、一部の共対委(麗水)共同 代表が法務部に対して妥協的な態度を見せることもあった。例えば出入国管理 所からのプラカードの政府を糾弾する内容と花輪を撤去する要請に対して出入 国の立場も理解して、適当に妥協しようという意見が内部会議で提示された (共対委(麗水) 6次会議録、2月14日10時)。当時、現地にいた活動家によれば、 麗水誠心病院に法務部が合同焼香所を作る過程でもこれを阻止したり掌握しよ うとするのではなく、結果的に容認する姿勢を見せたという。 犠牲者遺族のデモ行進。/移住労働者放送局 こういう状況で15日を基点として被害者の家族が入国し、現地の雰囲気が高揚 し始めた。特に16日、法務部長官の焼香所弔問に対して共対委と遺族たちが共 に政府の無責任な態度を糾弾する闘争をしたことが決定的な契機になった。こ れを契機として、共対委と遺族間の連係が緊密になり始め、法務部による麗水 誠心病院合同焼香所を闘争の拠点として掌握し始める。 遺族をはじめとする被害者家族は青天のへきれきのような事故の知らせと、遺 族にきちんと連絡も取らない政府の無責任な態度を非常に怒っていた。だが、 共対委の活動に積極的に参加するには客観的な限界があった。他国で長い間滞 留すること自体が彼らにとって負担にならざるをえず、ほとんどの中国国籍を 持つ家族は公権力に対する漠然とした恐怖心も持っているため、政府、それも 他国の政府に対して積極的な態度を取るのは難しかった。しかも言語上の障壁 により、共対委と遺族の間での円滑な意志疎通も難しかった。 客観的な困難を克服して被害者の家族を闘争の主体にするための共対委の能力 が切実に要求されていた。被害者家族の怒りを共対委が積極的に受けとめ、先 導的に戦い、彼らの信頼を獲得する一方、被害者家族を賛同させて彼らが自ら 能動的な行動に出られるようにして、彼らの闘争を支持援護する広範囲な連帯 戦線を構築することが何よりも必要だった。 (下編に続く。) 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2007-05-29 05:21:51 / Last modified on 2007-05-29 05:21:53 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |