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韓国:韓国には制度化された人種差別がある
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「韓国には制度化された人種差別がある。私たちは尊厳だ」

[インタビュー] G20に対抗してハンストをしているミッシェル移住労組委員長

キム・ヨンウク記者2010.07.30 16:16

ソウル京畿仁川移住労働者労働組合は、移住労組のミッシェル委員長の韓国で の人生を変えてしまった。いや、韓国での生が彼のすべてを変えたと言う方が さらに正しいだろう。雇用許可制で入ってきた韓国は、フィリピンにいる時は 全く関心もなかった労働運動に接するようにした。すべての労働活動家と同じ く、ミッシェル委員長も労働運動に接して変わった。

ミシェル委員長は2006年1月に韓国に入り、蔚山のバンパー業者から京畿道龍仁 のラム組み立て工場に通い、同僚の問題で移住労組を知った。ミッシェル委員 長にとって移住労組は移住労働者の矛盾を解決する団体だった。それで彼は宗 教団体が運営する相談センターに頼らなかった。移住労組は、問題があれば直 接行動し、組合員が悪徳社長や政府と戦えるように教育した。ミシェル委員長 も熱心に教育を受けて組織化にも熱心だった。

彼は雇用許可制で入ってきたので、合法的なビザを持っている。ミシェル委員 長は韓国にきて4年5か月になり、委員長の任期は来年の2月までだ。韓国に4年 5か月いて、彼は韓国社会に存在する制度的な人種主義と虐待を直接味わった。 多くの移住労組委員長と活動家が標的摘発で追放されるのを知っているので、 最初、委員長職を提案された時は躊躇もした。しかし移住労組が今、闘わなけ れば移住労働者はテロリストの烙印を押され、束手無策で摘発追放される現実 を変えられないので座り込みに突入した。座り込み突入18日、ハンストは30日 には6日目になる。

彼に今回の座り込みは韓国社会に移住労働者が相変らず活動して闘っているこ とを示すことと、移住労働者自らにも見せることが目的だ。

ミシェル委員長は韓国社会には制度化された人種主義があると指摘した。委員 長になり、出入国所長と会うと、基本的に移住労働者を無知な存在と思ってい るという。また、会社を変えるために雇用支援センターに行くたびに職員はぞ んざいな言葉とかんしゃくで対する。移住労働者の声には耳を傾けず、移住労 働者が受ける差別を事業主に電話で尋ねて処理する。そうしたことも制度化さ れた人種差別だという。

ミシェル委員長はまた韓国政府が大々的に広報している多文化政策は、韓国文 化の注入政策だと厳しい忠告をした。国際結婚で韓国に来た移住女性に韓国の 文化だけを注入し、その家族が共に文化を共存させる政策は全くないという。

ミシェル委員長は「われわれは犯罪者やテロリストではなく韓国人と共に暮す ために働き、家族のために働く労働者でしかない」とし「われわれは同じ夢を 持つ人々で、同じ人間としての尊厳性を持つ」と韓国社会にメッセージを投げた。

チャムセサンは7月29日、ソウル市明洞のヒャンニム教会移住労組座込み場で、 ミッシェル委員長と会った。ミシェル委員長は、移住労組を語る時はとてもま じめだったが、人を安心させるように笑った。ミシェル委員長とのインタビュー は英語通訳で行われたが、たまに『社長』という単語だけは自然に韓国語で出 てきた。韓国人『社長』は移住労働者にとって、『人種差別と悪徳』の意味を 内包する代名詞になっていた。

苦しい時に委員長になった。委員長を引き受けた過程は...

「2009年7月に委員長になった。2009年2月に雇用許可制でフィリピンにまた行っ て再入国した。その頃、移住労組は長期間の指導部の空白があった。委員長職 の提案が入ってきた」。

以前の移住労組委員長はほとんどが標的摘発で追放されていなくなった。実際に引き受けるのは容易でなかったと思うが。

「初めは躊躇した。2006年1月、初めて韓国に来た目的は、経済的に金を稼ぐた めだった。金を稼ぎ、小さな土地でも買って本国に帰り、農場をしたかった。 結局、移住労組と会って話し、今は移住労働者に安定したビザ地位が必要だと いう認識を持って立候補した。事実、私は韓国語がよくできず、経験も足りな い。ここにくる前には運動に参加した経験は全くなかった。」

雇用許可制で再入国すれば合法状態か?

「そうだ。雇用許可制で3年働き、再雇用のために母国に帰って、また3年働け る。今4年5か月程度になる」。

初めて韓国に入ってきて、どのように暮したか...

「初めは3D業種で働いた。工場は非常に汚く危険だった。工場でとても差別を 受けた。言語問題でもすべての部分に制限があって、社長はそれ利用して賃金 を払わず、手当てを削った。いろいろ名前の分からない控除が多く、不当な待 遇が多かった。それでも法的な保護は全くなかった。雇用支援センターに差別 を陳情しても、気にしてもらえなかった。雇い主は不満や陳情を提起すれば、 事業場変更申請をせず、再契約もしないと威嚇した。

だから雇用許可制では移動の自由がない。未登録になることも多い。4万7千人 ほどが雇用許可制のおかげで未登録労働者になる。やむを得ずに逃げたり未登 録になることが多い。雇用許可制は3回しか移動できないので、ほとんど社長が 虐待する状況で、最後の事業場も悪い会社なら出てきて未登録になるほかはな い。今は法が若干変わり、事業者の責任で法違反なら回数に含まれなくなった が、重要なことは違反の証明が難しいことだ。特に雇用支援センターに一緒に 行けば社長の話しか聞かない。結局、事業主がどう言うかで処理する」。

本格的に雇用許可制問題を話してみよう。移住労組は労働許可制を要求している。雇用許可制の問題は...

「労働許可制は事業場の変更に制限がない。滞留期間と時間は自由だ。重要な ことは家族を連れてくることもできる。移住労働者が主に家族と離れて暮して いるので大変だ。長い時間が過ぎ、社会的構造が変わり、子供たちも両親なく 育つ。労働許可制は移動が自由で、もっと声をあげられる」。

労働許可制の事例や基準などが用意された事例があるか...

「韓国には熟練技術者や専門知識人に適用している。EUやドイツなどにも労働 許可制があるという」。

初めはどんな職種で働いたか...

「蔚山の自動車のバンパーを作る工場だった。ところが同僚の女性移住労働者 が維持補修技術者に強姦されそうになった。フィリピン大使館に申告したが、 むしろ同僚労働者が非難された。初め、会社の幹部に警察の処罰を望むといっ た。しかしその会社に維持補修技術者は彼しかいなかった。会社は申告しろ、 お前たちも送り返すほかはないといった。その時すでに韓国工場の労働条件が 虐待的だということを知った。1年ぐらい後に契約満了で止めた。」

その後はどうなったか? 移住労組とはどのようにして会ったか...

「京畿道龍仁で仕事を探していた。その会社はラムを作る電子組み立て会社だっ た。ここで移住労組と会って加入した。2007年10月だった。同僚が不当解雇さ れた。それで移住労組を訪ねて加入した。その後、移住労組教育に参加して、 同僚の移住労働者を組織化して教育し、組織化した。その会社は色々な労働法 に違反していた。女性労働者を夜間労働させ、休日は1か月に一回しかなかった。 退職金手当てもなかった。賃金で分からない色々な控除があった。怪我をして も会社に見せて許可を受けて病院に行かなければならなかった。病気になって も働かなければならない強制労働があった。」

移住労組に会って変わったか...

「一つは会社ともっと戦えるようになった。前にも戦っていたが法的な説明が うまくできなかった。今は教育を受け、きちんと戦っている。労組加入前の目 標は、たくさん金を稼ぐことだった。農場を作りたかった。移住活動をして少 しずつ考えが変わった。移住労働者が自ら立ち上がらなければと考えた。多く の教育が必要で、他の移住労働者がそうなることを望み、活動した。われわれ は奴隷ではなく、労働者としてきた。非人間的な待遇を受けてはいけない」。

他の移住労働者支援団体も多いのに労組を選択した。労組を選択したのは他の宗教団体などを訪ねることと違いどんな意味があるのか...

「他の団体やセンターは、移住労働者が団体に依存させる。問題が起き、セン ターに行くといろいろ助けてくれるが、またその問題が起きればセンターに行 くしかない。これは主体化ではなく依存だ。またセンターは主に交渉的な姿勢 を取る。私たちの権利を最大にするのではないようだった。社長に訴えて、問 題を解決しようとする。相変らず社長が権力を握り、その権限内で交渉する。 そんな形は、また社長が他の移住労働者の搾取を容認することだ。事業主がそ のような形ではできないように圧力をかけたりわからせるのではなく、全く同 じことが繰り返されるような形で仕事を進める。悪循環になる。移住労組の主 な目的が移住労働者を主体化して自分の権利と法を知り、社長と悪条件に対抗 させることだ。そんな団体は移住労働者を鼓舞する方式ではなく、むしろ気勢 を挫く方式になりうる。たとえば賃金不払いには、われわれは直接行動をする。 それでその行動で多くの成果を勝ち取った。そうした行動は被害を受けた移住 労働者だけでなく、他の移住労働者まで私たちの闘争を見させる。移住労働者 も鼓舞され、韓国の労働者も共に鼓舞される」。

さて座り込み問題に行こう。G20は移住労働者にどんな問題を引き起こすか。問題点は何か...

「政府はG20を前に移住労働者の犯罪を予防すると主張する。まるでテロを予防 するかのように話す。G20の参加国のほとんどが移住労働者搾取と抑圧に責任が ある国々だ。そんなほとんどの帝国主義国家が貧しい国を作り、そんな問題を 通じて貧しい国の労働者に対して移住労働を強要させる。G20の目的は単に自分 たちの利益を守るためで、貧しい国への富の分配はない。富は金持ちに集中し、 貧しい人はさらに貧しくなる。雇用はなくなり失業率はさらに上がる。それで G20は貧しい国で仕事を探す強要された移住労働者を作っている。その金持ち国 が貧しい労働者を搾取対象と見ている」。

G20に抗議するために座り込みという方法を選んだ理由は...

「さまざまなことをした。今は以前の摘発追放弾圧よりはるかに激しい。もっ と深刻な弾圧に、一番強力な抵抗が必要だった。断食も個人的に始めた。これ も強要された闘争だ。抑圧の強度が高まるほど抵抗強度も高まるだろう」。

今回の座り込みは2003年の明洞聖堂座り込みの時より関心が低いという気もする。

「2003年には圧倒的に未登録労働者が多かった。今とは少し違う。法体系も違っ ていた。当時はほとんどが未登録だった。弾圧され、解雇された。今とは状況 がちょっと違う。今はビザを持つ人が多く、未登録問題に関心が低くなった。 また、外国の人材が足りず、会社が忙しくなって移住労働者も登録-未登録すべ て働いている。大量解雇事態はない状況だ。それでも関心と支持がたくさん来 ている。週末に多くの労働者たちが行くと連絡がくる」。

移住労働者運動が弱まったという評価がある。

「今は雇用許可制を適用される人々が多い。雇用許可制で新しい人が多く、経 験も多くなく、新しくきたのでよく知らない。安全だと思って現在の状況に何 とか耐える状況も多い。さまざまな問題があってもおおまかに行う。さらに多 くの教育と組織化が必要だ。」

韓国文化注入だけあって、多文化政策はない。

この前ベトナム女性殺人事件があった。政府は多文化政策を大々的に広報し、多文化の主体である移住労働者は弾圧する。政策に矛盾がある。その事件をどう見るか?

「多文化ではないようだ。多文化家庭でもない。結婚移住女性が韓国社会と文 化に同化する政策だけだ。韓国文化だけを教えるのは多文化政策ではない。韓 国文化注入だけだ。夫も教育しなければならない。夫人の文化を知らせなけれ ばならない。そのように結婚移住女性の文化が共存してミックスすれば多文化 だ。それで外国人配偶者は家族内でも疎外されている。また別の問題で外国人 新婦の人身売買問題がある。韓国の男が大金を投じて外国人新婦を連れてくる のは人身売買だ。多くの事例を知っているが、工場や農村でその女性たちを妻 や配偶者待遇ではなく非人格的に対することも多い。暴力も多い。フィリピン 女性と相談したことがあるが、夫に殴られ続け外に出られず監禁された。理由 なく殴っても夫は韓国人で男だから無条件に正しいということだ。そのような 類似の事例が多い」。

これからの座り込み計画は...

「移住労組は4つの主な目標がある。摘発追放中断、未登録移住労働者合法化、 労働許可制度への転換、移住労働認定だ。今が移住労組が認められるいい時期 だ。高等法院で勝ち、大法院抗告で3年5か月が過ぎ、国連とILOなどの国際労働 人権団体が合法化の勧告案を出した。移住労組を認めなければならない。より 現実的な目的としては、韓国社会に移住労働者が相変らず活動して闘うことを 示し、声を上げるところにある。移住労働者自らも私たちの声があるというこ とを示すのだ」。

韓国社会へのメッセージは...

「われわれは犯罪者やテロリストではない。皆さんと一緒に暮すために働き、 家族のために働く労働者でしかない。われわれは同じ夢を持つ人々だ。その夢 のために働きにきた。同じ人間としての尊厳を持っている。家族も私を送るた めに犠牲になった。私たちは単に生存を大切にしてきた。われわれは自尊心と 尊厳性を持っている。私たちが韓国社会を尊重するように、韓国社会も私たち を尊重してほしい」。

ビザが満了すればどうするか...

「委員長の任期が来年2月までだ。ビザが満了すればフィリピンに行って他の国 で仕事を探すかと思っている」。

韓国政府からの委員長に対する圧力はなかったか...

「労働部の調査を受けたことがあって、消息筋によれば警察調査の話もある。 入管が注目しているのも知っている。いつかはビザを剥奪する方法を探すだろ うと予想している。入管と会ったことがあるが、入管の制度化された人種主義 があるという事実を悟った。仁川出入国所長は面談の過程で韓国の法制度をさ らに学べといった。移住労働者は無知だと思う制度化された人種主義だ。彼は 気になることがあればEメールを送れといった。親切に教えてやるということだ。 水原出入国所長はそこにいてもいけないといった。移住労組委員長が移住労働 者を代表して話す権利もないのか? 法と政策を議論するのに人種差別的に話せ ば良いのか。入管だけでなく、雇用支援センターに行くたびに制度的な人種差 別を体験する。雇用支援センターに行くと、基本的にぞんざいな言葉と刺々し い声で対する。『なぜ? 何を望む? 何をしたい?』こんな調子だ。問題を知ら せに来た移住労働者の声には耳を傾けず、事業主に電話して尋ねて処理する。 そんなことも制度化された人種差別だ。警察署に行ってもよく助けてくれず、 申告してもちゃんと聞いてくれない」。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2010-08-08 22:22:54 / Last modified on 2010-08-08 22:22:56 Copyright: Default

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