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私の部屋まで占拠する市場、無限参加の場に![IPTVがやってくる](6)IPTVで見るメディア環境の変化と対応の準備
ファン・ギュマン(進歩ネットワーク)/ 2008年02月15日14時27分
IPTVを通して見たメディア融合時代を展望して企画した特別企画、[IPTVがやっ てくる]の最後の文は、進歩ネットワークのファン・ギュマン活動家が作成した。 民衆言論チャムセサンは産業化しか存在しないメディア融合環境から遠ざけら れている大衆に、真の理解と分析を提示することにより今後、大衆が中心の融合 メディア運動の目標と戦略摸索の礎石を置こうとする。 IPTVという見慣れない新造語 IPTVは見慣れない新造語のおかげで、何か不思議な物かと思われるかも知れな いが、実際に分かってみればあまり新しいものはない。IPTVを通じて披露され る技術とコンテンツは、すでにインターネットと携帯電話を通じて数年前から 享有してきたことだ。ポータルサービスがTVの中に入ってきたと理解すれば、 非常に簡単だ。単純に変形された形の放送でしかないと思われたIPTVが、最近 問題になっているのは、現放送と通信関連法の制度内で消化できない制度的な 問題による。技術的にはIPというインターネット技術を基礎とする通信サービ スだが、内容はケーブル事業者のように放送コンテンツを提供する放送事業者 という重複規定のためだ。必然的に、放送と通信を合わせる新しい法制度的な 整備が必要なので騒々しい。では、「なぜこんな法律的な混乱を味わっても IPTVサービスをするのか」という質問が思いつく。われわれは今でも十分にに 映像の洪水の中で暮しているではないか? [出処:ダウムgoTV(2006バージョン) -メニュー画面(http://www.daum.net)] 答は意外に簡単だ。メディア市場が飽和したためだ。新しい市場が必要になっ たのだ。ところが前述のように、IPTVは全く新しいものではない。IPTVが新し く切り開こうとする市場は、実際にはインターネットで広がりきった不法動画 コンテンツだ。これらのコンテンツをHD高画質で包装して金を稼ごうというこ とだ。一言で、不法コンテンツを閉鎖的な空間に抱え込もうとする有料ポータ ルサービス戦略である。そうした意味で、IPTV事業に『KT』、『ハナロ』といっ た大規模ネッワーク業者の他、『ダウム』のようなポータル事業者が進出する ことは、全く不思議ではない。こうした市場の欲望が法制度的な整備を要求し ているのだ。3大地上波放送局とケーブル事業者の強い抵抗は、彼らが語るよう な放送の公共性のためではなく、放送事業者として選ばれた地位を維持しよう とする態度でしかない。最近推進されている『放送通信委員会』機構の設置に 関する論争は、資本による新しい市場創出の欲求に対する親切な肯定的回答で、 市場内の泥仕合に対する調停者としての応対だ。 「それで? 市場とは元からそうだったのではないか」? その通り。誰が何だっ て? むしろテレビ中毒患者である筆者の立場としては、不法ダウンロードした 低画質の日ド(日本ドラマ)と米ド(米国ドラマ)をHD高画質で見られるというの で、当然手足を打って褒め称えて歓迎する。単にIPTVが放送の短所とポータル の短所が互いに極大化して結びつくのではないかを心配しているだけだ。 階級排除的で差別的な動員、そして疎通不能の劣性結合による怪物 ▲「メディア融合時代、新しいメディア公共性を語る」という主題で1月24日にミディアクトの大講義室で開かれたフォーラムの写真[出処:チャムセサン資料写真] 放送の公共性が、愛国歌の前後にちょっとだけ映し出される公益広告の華麗な 修辞で装われた嘘だということは、誰もが知っている。放送の公共性は希少な 公共財である無線周波数に基づいているという物理的な前提条件と、階級・身 体・性別に束縛されず、多様な主体のアクセスと参加、そしてそれと同じほど 多様な主張が共存する公論の場でなければならないという社会的な闘争と合意 に基づいた主張だ。だが民衆の放送参加は、『スター反論コメント文』のよう な娯楽物に限定されるか、〈100分討論〉の『市民論客』のような制約的で操作 された公開性、そして公益性で装われた後日談でしかない放送評価番組がほと んどだ。率直に言って、放送は生まれつき消費文化のスペクタクルに中毒して 崩壊し、計量的な中立性と、官僚的な階級排除的な公共の場でしかなかった。 軍部独裁時代にくだらないニュースを流した放送は、生まれつき意志の疎通が できなかった。インターネット言論の衝撃に包まれた2002年頃のメディア市場 の変化期、放送ジャーナリズムが刹那的に花を咲かせたことがあったのだが、 最近は誰が見るだろうか?〈無限挑戦〉を見るだろう。 かなり前から社会運動陣営が主張してきた、民衆が直接製作して参加するパブ リックアクセス・コンテンツの編成と、チャンネルの拡大主張は、まぬけな有 閑知識人たちの『放送委員会』のおかげか、相変らず遅々として進まず苦しん でいる。 だが草創期のインターネットは『下からの革命』というスローガンの下、民衆 の自発的な参加を基盤として発展してきた。双方向的で匿名によるインターネッ トの特性は、草創期の下からの民主化を作り出すオルタナティブ・メディアと して脚光を浴びてきた。そして一時、新自由主義改革勢力の改革議題ともかみ 合い、OhmyNewsなどのインターネット言論の復興を経験することもあった。だ が、インターネット新聞が体制内の支援と規制の中で無事に落ち着き、インター ネットがポータルで寡占された後、インターネットはまた主流メディアにより 描かれたアジェンダの中で大衆動員の道具に転落している。インターネットで 出会う大衆は、もはや代案社会を夢見る仲間ではなく、消費的で民族主義的な 欲望と性差別的な内面をいやおうなく表出し、時には獣のような暴力を示す恐 怖の対象でもある。これと合せて情報の大量収集と市場の独占は、結果として 政府と資本による検閲と監視を容易にした。 われわれは、新しく登場するIPTVが従来の放送とインターネットの消費文化の スペクタクルと階級排除的で差別的な動員、そして疎通不能の劣性結合による 怪物が誕生するのではないかと憂慮せざるをえない。 市場中心に偏らず放送の公共性のための機構として位置づけることが私たちの抵抗と実践の役割 放送とインターネットで克服して勝ち取るべき進歩的な議題がまだ山積してい る私たちにとって、放送通信委員会とは国家機構の突然の再編と、代表的融合 サービスであるIPTVの突然の登場は、非常にこくる。このように髪を掴んで争 うような問題に直面した時、心を落ち着けてまずすべきことは、正しい質問を 作ることだ。それさえできれば事実、ほとんど答は得られたようなものだから だ。この文はまさに正しい質問のための事前実地調査のようなものだ。 前に市場偏向的に流れるメディア環境とそれに照応する国家機構再編の中で、 過去の問題から未来に近づく問題を自分なりに予想してみたが、事実「ところ で、なぜそれが問題なの?」という根源的な質問に直面する。答はやはり非常に 簡単だ。それは私たちが新しいメディア環境に「よく適応しなければならない」 という受動的な必要の反対側に、「メディアとはこうでなければならない」と いうある価値を指向しているためだ。 メディアは、社会の公共財であり公論の場だ。スーパーで購入して消費すれば 消える商品ではなく、多数が共有すればするほど、そして再加工されればされ るほど、価値が高まる公共の文化資産であり、社会的コミュニケーションだ。 したがって、誰もが参加して表現し、享有するべきだ。そしてそこに参加する 個人は監視され統制される商品ではなく、生産の主体であり享有の主体として 教育され奨励されなければならず、だから保護されるべき主体だ。 そうしたメディアは下からの参加と多様性がその生命だ。多様性が消えて参加 が排除されれば、ファシズムと統制だけが乱舞する。こうすれば質問は簡単に なる。「どうすれば新しい融合メディアにおいて視聴者のプライバシーを侵害 せず、参加と表現、そして享有の自由を保障し、多様性が保障する方法は?」 この時、つかみ取られた髪の毛の間から、いくつかのアイディアが突然浮かび 上がる。 IPTVは、技術的にはインターネットと同じで、ほとんど無制限のチャンネルを 持つメディアだ。したがって、従来の放送局のように編成の制約を理由として 専門放送製作者が製作したコンテンツ中心に放送する理由は全くない。すなわ ち、無限の視聴者参加が可能なメディアがIPTVだ。「ちょっと金儲けをしたけ れば、この程度の差別性は必要ではないか?」と言いたいほど、当然のことだ。 さらに一歩進んで、なぜIPTVは大資本だけ、事業者だけがサービスするのか? インターネットにはポータルのほかにも独自の生命力を持つ多様で無数の実験 が形成されるように、IPTVも市場支配的な営利事業者以外にも非営利サービス も許されるべきではないだろうか? 少し考えただけでも、IPTVは従来の放送よりさらに技術的に大きな可能性があ るメディアだ。だが、われわれはこうした放送の公共的な役割を、黄金の卵に 目を奪われた民営放送事業者が自発的に果たすことを期待していない。IPTVが 自らが持つ可能性の半分の半分ほどでも放送の公共的な機能を果たそうとする のなら、社会的な合意として強制される何らかの規制の枠が必要だ。したがっ て、新しく発足する放送通信委員会は、消費者の選択権増大だけが公共の善で あるように、そのため競争を導入するためだけに新しい事業者を引き込むこと だけが万病薬であるかのように、市場還元論に閉じ込めらることなく、放送を 公共財として、そして民主主義の公論の場に位置づける努力をまず先にしなけ ればならない。しかし、同じように過去の放送委員会や情報通信部が行った多 くの蛮行を振り返れば、こうした要求も政府が処理するとは絶対に期待できな い。新しく発足する国家機構が市場中心的に偏ることなく放送の公共性の機構 として位置づけさせることが、私たちの抵抗と実践の役割だ。 これまでのインターネットが民衆の参加とコミュニケーションの武器として脚 光を浴びたように、IPTVをはじめとするこれからの融合メディアを下からの民 主主義が実現されるメディアとして再専有するためには、一方では融合時代に ふさわしい実力とネットワークを構築し、下からの大衆運動を考え、また一方 では公共の議題を再構成して瓦解した連帯を復元して、機構と法制に対応する 努力が必要な時だ。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2008-02-17 11:29:28 / Last modified on 2008-02-17 11:29:30 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |