韓国:ゴミ選別をしても人生までゴミではない | |
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ゴミ選別をしても人生までゴミではない[ルポ]非正規法解雇危機慶州リサイクル選別場労働者
オ・ドヨプ(作家)/ 2010年04月07日9時48分
ダンプで運ばれてきたリサイクルの袋の山が野積場にどっとあふれます。時を 合わせて、前かけをした人々が駆け寄ります。手にナイフと鎌を持って袋を裂 きます。袋に入った内容物がどっと床に散ります。飲み物のカン、紙屑、オン ドルの床、ガラス瓶……。パク・チョンスク氏は一瞬ウッとおう吐をしながら 背を向けます。腐った猫の死体が残酷な姿で出てきます。パク・チョンスク氏 はこのリサイクル選別場で十五年働いていますが適応できません。相変らず袋 をナイフで破るたびに恐れに捕われます。大きな固まりの黒ビニール袋が出て くると背筋が寒くなります。そこからもしかして新聞で読んだバラバラ死体が 飛び出してくるかと思って。 積まれたリサイクルの山の前にうずくまって、カンはカン、ビンはビン、紙は 紙に分け、後のファン・チュニ氏も顔をしかめて背を向けます。黒いビニール 袋の暇間からウジがうようよと這い出します。誰かがリサイクル袋に食物ゴミ を入れていました。幾日かすっかり腐って、悪臭が胸を悪くします。「これは 何だ?」口から悪口が飛び出します。真夏の日差しが襟首を熱くするのに、こう して腐った生ゴミが出てくると、すぐ手袋を投げ捨てて逃げたくなります。あ たりに見える古着を取りファン・チュニ氏は水道に走って行きます。冷水で古 着を濡らして、自分の背にひっかけます。うす赤く焼けた背がしばらくは気持 よくなります。一日八時間、リサイクル選別場の野積場に『座り込んで』アヒ ルのようによたよた歩きながらリサイクルの山を少しずつ崩していきます。半 日すると炭で焼けた鉄串のようにうす赤く熱くなった体が溶けて流れます。 こうして働いても少しも休む所がありません。やっと雨よけのある更衣室は打 ちっ放しのコンクリート。リサイクルの山から取ってきたオンドルの床材を敷 いて、朝出勤する時に包んできた弁当を食べます。あらゆる悪臭にネズミが歩 き回って残した排せつ物があちこちにある所でご飯を食べねばならないとは…。 空っぽの腹になんとか飯を押込みますが、『こんな酷い仕事があるか?』と思う 心に佗びしさが押し寄せます。 他人は週五日制だというのにこのリサイクル選別場は土曜日の午前だけ勤務す る『半ドン』もなく、一週間に六日を八時間働き続けます。柳寛順姉さんが独 立万歳を呼んだ三一節も、日帝強制占領期間から解放された光復節も、仏様が 生まれ、赤子イエスが生まれた日も、彼らには休みの日ではありません。大韓 民国の国民からは距離が遠い人なのか、日曜日を除けば元旦も出勤してゴミの 山をかきわけなければなりません。 ああ、ここはどこかですって? その名前も美しい慶州。神秘的な千年の息遣い が感じられる都市、その慶州です。慶州市チョングン洞のゴミ埋立地の横にリ サイクル選別場(2006年3月28日竣工)ができるまで、本当にまったく日差しを よける所のない露天で、雨が降っても雪が降ってもゴミの山に埋もれて働き、 ご飯を食べたリサイクル選別場労働者たちの話です。 2010年4月2日、ソウルから高速バスで慶州に行きました。とくに春がなかなか こない今年、南の方の土地では桜の花が咲いたのかと期待して慶州を訪れまし たが、やはり桜の花は華麗に咲かず、固く枝に身をすくめています。翌日が慶 州桜マラソン大会なのに、桜並木マラソン大会になったとタクシー運転手が冗 談を言います。あちこちが文化観光の都市、千年の古都、慶州の召使になると いう地方選挙候補者の顔が大きくかかげられ、慶州の古い趣きを覆っています。 リサイクル選別場で『働く』人々ではなく、リサイクル選別場で『働いていた』 人々と会うため、リサイクル選別場がある『チョングン洞』ではなく『慶州市 庁』に行きます。最新設備を備えたチョングン洞選別場が建てられて、今少し は人間らしく働けるようになりましたが、その夢を解雇で迎えたさびしい人に 会いに行きます。市庁正門の横のコンテナのドアをあけて入ると、怒りに満ち た熱い声が四方から飛び出してきます。とてもインタビューが出来ないほど、 怒りに満ちた声が鋭く飛びます。 ▲ファン・チュニ氏 「馬鹿にしたんだ。(慶州)市長が私達を馬鹿にしたんだ。」 汗を流し、一日を暮らさなければならない人が言う『本当に』の意味を知って いますか? 彼らが言う『本当に』は、政治家たちが『本当にわいろを受け取ら なかった』の『本当に』ではありません。言葉にできない怒りが立ちこめた時、 とてもそれ以外の言葉を見つけられない時、自分の心臓をえぐり取って誰かに 見せたい時に出てくる言葉が『本当に』です。土地で生きられず、数十メート ルの鉄塔に上がる人に会うと、聞く声が『本当に』です。死ねとばかりに働か せた工場を追い出された人々が職場を返せと絶叫しながら吐く一言が『本当に』 です。その切なる声、『本当に』をこの慶州でまた聞くことになりました。 彼らがなぜ『本当に』を多くの言葉の代わり繰り返すのか調べてみます。慶州 市は2009年1月1日、他人が休む公休日にリサイクル選別場に出勤した人々を呼 び、契約書を書けといいます。リサイクル選別場で働く人々は1年契約職労働者 で、元旦にまた契約書を書いて仕事をします。公休日に出勤することで契約書 をまた書くのは以前と変りません。問題は契約期間です。問題は1年ずつの契約 を今年は6か月にするということでした。そして6か月たてば、また契約をする のではなく、永遠に慶州市リサイクル選別場とはお別れだと通知します。これ がどういうことでしょうか? 今まで私たちがあの焼き付けるような陽射しの中 で一日に20トン以上、身が砕けるほどにリサイクル選別をしたのに、これが何 ということかと尋ねました。慶州市の担当公務員は非正規職法で2年以上あなた 方を雇用すると、正規職に転換しなければならないから、今年7月1日からは絶 対働けないといいます。 今まで法律なく暮してきた彼らは、法によって自分の雇用を奪われるという現 実が理解できませんでした。世の中にこんなとんでもない国がどこにあり、法 がどこにあるのか、大統領は雇用を創り出すと大騒ぎするのに慶州市庁は一日 の日当3万7千ウォン、五十を越えた女性労働者を追い出すというのですから、 これが何の青天の霹靂かと問い詰めました。 この時から千年王朝新羅の朴赫居世誕生神話のように『おばさん』と呼ばれた リサイクル選別場労働者たちは卵の中から目覚め、権利のための壮絶な戦いを 始めました。法のために雇用を奪われそうになった彼らは法定労働時間週44時 間を守らず、手当てもなく週48時間働かせた慶州市庁に法を守るよう要求しま した。一度も休めなかった5月1日のメーデーも取り戻しました。短くても3年、 長ければ15年を悪臭の山で働いてきた彼らは非正規職法で『清算』の対象では なく、正式職員になるのが当然だと要求しました。公務員のように賞与金や福 祉カードのような手厚い待遇は望まない。ただ、定年を決め、それまでは雇用 の不安なく働かせてくれ! 素朴な要求で権利をペク・サンスン慶州市長に要求 しました。 しかし慶州市の答は冷酷でした。急いで、市の条例を作り、慶州市リサイクル 選別場を民間に委託することに決定(2009年5月8日)します。『リサイクルゴミ の上に美しい労働の花』を咲かせた労働者たちの生計の花つぼみをバッサリと 切り捨てました。 ▲今年53、十年前に建設会社に通っていた夫がIMFで失職したため始めた公共勤労がリサイクル選別場との出会いだったというファン・チュニ氏は春風に顔を隠して涙を隠します。 「私たちの仕事は臭くて汚いでしょう。それで本当に職場に通うのかと言われ 私としても話ができませんでした。本当に恥ずかしくて。でも長く通っている と自負心も持ち、私に仕事があるということ、健康で、つらい仕事ができると いうこと、それで自負心を持って、これが私の天職だ、と考えたの。TVを見る と会社をクビになっても、私は(慶州)市で、公共機関で働くからクビにならな いだろう。こんな厳しいところでつらい仕事をしているのにクビにするか。長 く通える職場があり、私はいい。仕事がつらくても自分の体が健康で働けるか ら幸福だ、こう考えていたのに……。」 今年五十三、十年前に建設会社に通っていた夫がIMFの時に失職して始めた公共 勤労が、リサイクル選別場との縁だったというファン・チュニ氏は、春風に顔 を隠し、涙を隠します。「八時間しゃがみこんで働く人」を見つけるのは難し いが、ファン・チュニ氏は「からだがついていき」、三か月の公共勤労期間に 担当公務員の眼についてリサイクル選別が自分の職業になりました。長男の嫁 のファン・チュニ氏は、名節連休の時も他人のように休めずゴミの山に行きま した。名節の切り回しが嫌だから、職場に行くのではないかという小じゅうと のまなざしを受けながらも『メシの種』を守るために働きました。ところがそ の結果は非正規職法による解約。 「名節の日に長男の嫁として、一日休めと言えば、何を言ってるのか分かりま す。永遠にくるな! それでも嫁が働きたくないから名節に仕事に行くという声 を聞きながら、出勤しました。本当にここに少しだけ目|雪に抜け出せばクビに なるかと思って。」 四十四のパク・キオク氏は自動車部品工場で働いて、3年前にリサイクル選別場 に就職しました。チョングン洞選別場は家から近く、子供を学校に送っても出 勤できて、条件が良いと考えました。 「あのごみ捨て場、リサイクル選別場に通ってみろ。子供たちの学費も出て、 土曜日曜も遊んで、五時退勤で、町内の人がこう言っていると。私は本当に出 ると思って、うまくいったかと思って行ってみたら、何もない。学費どころか 昼食も出ない。」 ▲朴キオク氏 慶州市がリサイクル選別場を運営するので、そこで働けば公務員と同じ待遇を 受けられると町の人たちは勘違いしていました。子供たちが大きくなって、学 費という言葉にこれはいい話だと気持ちが傾き、就職したのに、土曜の休みな どは夢にも見られず、祝日や名節連休の時も出勤しなければならなかったので、 誰のせいかと朴キオク氏はため息をつきます。学費どころか名節の当たり前の 贈り物もありません。梅雨の時に露天でレインコートを着てリサイクルの山を かきわけていると汗と雨で全身がぐっしょりぬれ、顔には黒い水が流れます。 「名節前日の仕事はちゃんとしたのに手ぶらで家に帰るのは本当に虚しいので す。市庁所属で働いているのに、せめて五百ウォンのくつしたでもくれなく ちゃ? 仮にも慶州市所属で働くのに涙が出ました。本当に背を向けても涙が出 て、こんなにまでして働いてもこんな扱いしかされないのか、私はそれが本当 に腹立たしかったのです。」 リサイクル選別場で働く人々は、きちんと給料明細書を受け取ったことがあり ませんでした。『慶州市長』名で通帳に記された金額が月給だと思います。毎 年記される金額が違います。ある年は給与が上がるどころか減ったりもします。 市の予算がそのようにして策定された、一言でクビになるかと思って返事もで きず頭を下げました。四大保険も数か月は加入して、突然消えたりもしました。 「働く人の履歴書は一杯だから好きにしろ!」担当公務員の圧力に自分の権利は 地に落ちました。それでも目を開けば働く所があるので幸せでした。ゴミの山 で流した自分の汗の雫が子供たちの学費になって夫の食卓のおかずになったの で、涙の花を咲かせながら働きました。 非正規職を保護する法のおかげで、もう勤務できないと言って蹴飛ばされた人 生。その人生に同情しないで下さい。彼らは今、与えられた茶碗に満足して暮 さないと念を押しました。今自分の茶碗は自分の手で探し、守るのだと同僚の 手を握って誓いました。桜の花が咲く時に始めた戦い、民間委託が撤回され、 不当解雇が撤回され、職場に戻る日まで、最後まで戦うと、今でも市庁の前で プラカードを持ってチラシを配り、長い梅雨と暑さをすぎて真冬の激しい風に 勝ち抜いて、新しい春を迎えています。 2002年から慶州市長のベク・サンスン市長は知るべきです。3選慶州市長挑戦の ために公認されるのに列をつくるのではないといったことを。知恵と徳で民と 共にした新羅の精神が宿る千年の古都、慶州市の市長は、市民をゴミ扱いし、 雇用から追い出す偏狭な心ではできないことを。今からでもリサイクル選別場 の労働者にまた雇用を返すことが3選慶州市長への挑戦より先だということを。 「私たちが選別の仕事をしていても、私たちの人生もゴミではありません」。 慶州市リサイクル選別場のファン・チュニ氏の声が離れません。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2010-04-19 01:55:43 / Last modified on 2010-04-19 01:55:45 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |