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韓国:インタビュー:チョン・グムジャ看病分会長
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「堂々とできることが先」

[撤廃連帯-チャムセサン非正規職10年展望企画(3)]インタビュー:チョン・グムジャ看病分会長

イ・コンマム記者 iliberty@jinbo.net / 2009年11月19日10時07分

彼女たちがソウル地方労働庁を占拠

2004年2月25日、5-60代の女性労働者がソウル地方労働庁を占拠した。

▲チャムセサン資料写真

「2003年、15年以上直接無料紹介所を運営してきたソウル大病院が、一日でこ れを閉鎖して有料紹介所にするというのです。われわれは有料紹介所をよく知っ ています。みんな有料紹介所で人間扱いされず、金も抜いて(中間搾取)ソウル 大病院で公開で介護人を選ぶというから、集まったんですよ」

24時間6日という長時間労働と、最低賃金にも達しない賃金の労働者。誰よりも 頑張って働いても、自分が労働者なのかも知らない労働者。ここからも追い出 されれば暮らしに困るので蔑視と侮辱にも耐えて奴隷のように暮したという労 働者。彼女たちは特殊雇用労働者、看病労働者であった。彼女たちがソウル大 病院側の無料紹介所閉鎖に対抗して2003年に労組を結成した。当時、労働組合 結成の中心にいた公共労組医療連帯ソウル地域支部看病分会のチョン・グムジャ 分会長と会った。彼女は全国療養保護士協会の協会長でもある。

94年、彼女は40代半ばだった。彼女も夫の失職により、生活のために介護人に なった。結婚する前には看護補助業務をしていたので、彼女が一番上手に出来 る仕事だった。

「夫が失職して、子供たちが学校行くのに交通費も出せませんでした。私が出 なければ飢え死にです。それでできる仕事を探して、介護人になったのです。 初めて働いた時は、おもしろかったです。でもとても荷が重かったんですよ。 24時間、休息もない長時間労働で睡眠障害になり、各種の筋骨格系疾患になる んです。それでもみんな甘受しました。私が暮さなければなりませんでしたか ら。この仕事がなければ飢え死ぬからです」

▲チョン・グムジャ公共労組医療連帯ソウル地域本部看病分会分会長

業務を指示するという理由で、ずっと若い医者と看護師が人格を冒とくして、 保護者たちにも人間扱いされなかったが、彼女たちは耐えた。そんなある日、 ソウル大病院側が看病労働者に手紙を送り、これまで運営してきた無料紹介所 をなくして有料紹介所にすると一方的に通知した。2003年だった。各種の名目 で、多くは数十万ウォンの追加金(チップ)を取る有料紹介所の問題をよく知っ ているので彼女たちは怒った。彼女たちが集まり始めた。

「危機がくるので、このままではいけないと考えのです。勝つために労働組合 を作りました。頑張って働いていたのに、このまま追い出されることはできな いということです。有料紹介所が入るところには経験のある私たちに紹介所を 運営させてくれと言いました」

夫にも隠さなければならなかった労組加入

彼女たちは特殊雇用労働者であった。すべての業務を看護師などから指示され るが、彼女たちは紹介所を通して入ってきた個人事業者であった。大部分の特 殊雇用労働者、非正規職労働者がそれほどまでして労組を作り、彼女たちは解 雇の脅迫に苦しんだ。

「労組に加入したことは夫にも隠せといいました。でも世の中に秘密はありま せん。危機が迫るから労組に集まりました。労組は何をするか、こうして、要 求したりもします。集まり始めると、労組から脱退しなければ仕事を出さない と脅迫されました。結局10人くらいしか残りませんでした」

結局、2003年9月1日付でソウル大病院は無料紹介所を閉鎖した。しかし彼女た ちは、介護人も労働者とだいうことを世の中に知らせ、有料紹介所の問題を告 発することを止めなかった。彼女たちは8か月を少し越した2004年4月、『希望 看病』という無料紹介所を直接作り、またソウル大病院に入った。

労働組合を作った後の最大の成果は何だったかという明らかな質問に、彼女は 「私が労働者だということを自ら認めたこと」という真心に充ちた答を出した。

「労働組合は世の中をきちんと作る仕事をするでしょう。奴隷のように生きる ことが当然だと考えていました。労働組合を作った後に私が間違わない限り、 追い出される理由もなく、侮辱される理由もないことをしりました。自信がで ました。これまで看護師、医者の前で頭もあげられなかった組合員たちが胸を 張って堂々と問題を指摘し始めました。人間としての自尊感、自信のようなも のが労働組合を作って残った最大の成果でした」

そして彼女は「私たちの雇用を守れました」といった。彼女たちが有料紹介所 の問題を知らせ、直接無料紹介所を運営し、有料紹介所も緊張した。ソウル大 病院に入ってきた有料紹介所は、別のところでは紹介費が5万ウォン以上だっ たが、ソウル大病院の中ではそうはできなかった。

「有料紹介所を通して働く看病労働者の条件もずいぶん変わりました。もちろ ん、中間搾取がなくなったわけではありませんが、労働組合が動くと少なくと も変わりましたよ。しかし有料紹介所で働く看病労働者たちは、相変らず苦し く働いています。自分たちの状況が、問題が何か、要求をどうしなければなら ないのか知らずにいるんです。知っても暮らさなければならないから耐えなけ ればなりません」

垣根を広げる

看病労働者はもちろん、老人長期療養保護法施行で新しくできた療養保護士の 労働条件は相変らず最悪だ。療養保護士は自ら『国家公認家政婦』と呼ぶほど だ。チョン・グムジャ分会長は今療養保護士の立場を代弁する全国療養保護士 協会協会長もしている。

「療養保護士に関する制度はまだめちゃくちゃなんです」

インタビューをした日も、彼女は労働部と面談をしてきたところだった。老人 長期保険法施行令にやっと療養保護士を直接雇用するという条項が入ったが、 現実には無用の状態だ。保健福祉部の施行令について療養保護士たちは労働者 として4大保険に入れなければならないといったが、労働部が妨害した。60万の 療養保護士が労働者ではなく、個人事業主だというも。彼女はこうした労働部 の立場に対し、労働部の前で1人デモをした。

「協会がなければ療養保護士は孤児のようなものです。労働部がそうだといえ ばそうだと諦めなければならない状況でしょう。それで協会を通して会って教 育もして、なぜ私たちが労働者なのか、制度の問題は何かを知らせています。 協会の目的は、きちんとした制度を作り、療養保護士も労働者だということを 認めさせることです」

「堂々としていられるのが一番」

▲チャムセサン資料写真

特殊雇用労働者として暮し、彼女たちと共に労組を作って今も戦っている彼女に 非正規職労働者をどう組織すべきかという質問を投げた。

「非正規職労働者たちに、われわれは堂々としている、われわれは労働者だと いうことを自分でわかるようにすることが重要です。介護人なら介護人として、 療養保護士なら療養保護士として堂々と生きるということが一番でしょう。そ れでやっと、要求もでき、戦う勇気もできるのです。これは教育だけでできる ことではありません。自らが行動して組織しなければなりません。ただ労働組 合加入書を持って加入してもできることではありません。自分の場は自分が守 るという考えが集まらなければならないんです」

彼女は「堂々としていられるのが一番」といった。非正規職労働者自らの話だ。

「われわれは怖くありませんでした。自ら堂々としていたからです。労働組合 という垣根ができたので、もっと力がわきました。この垣根で自らを守れたか らです。この垣根を最後まで守ってより大きくすることです」

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2009-11-20 12:13:54 / Last modified on 2009-11-20 12:13:55 Copyright: Default

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