韓国:中秋を前にした非正規職労働者たちの話 | |
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「労働運動をしている人はどこにいるんですか?」[対談]中秋を前にした非正規職労働者たちの話
オ・ドヨプ(作家)
odol@jinbo.net / 2009年10月05日18時14分
この文は9月30日午後3時にソウル市昌信洞の全泰壹財団教育の場で、ユ・ミョ ンジャ才能教育支部長(ユ)、イ・サンホン ジャティ電子分会教育宣伝部長(イ)、 コ・ヒチョル ドンウ・ファインケム分会事務長(コ)、ソ・スギョン明知大非正 規職分会分会長(ソ)が交わした話をオ・ドヨプ作家が整理した文です。-編集者注 中秋を目前に置いた2009年9月30日午後、労働者たちが集まりました。非正規職、 特殊雇用職、正規職、下請け労働者。境遇は違っても、みんな労働組合をした という理由で弾圧される人。法の保護を受けられない人。国策研究所の韓国労 働教育院の院長という方は、憲法から労働三権を取り除けと言っています。こ の日集まった人々はみんな言い返す必要もないかのように鼻先であしらいしま した。労働者に法の保護が存在したことがあったでしょうか? 尋ねます。誰に でも等しく照らす中秋の十五夜の月を見ながら苦しむ労働者たちは何を考えて いるのでしょうか? 大韓民国の法、誰にでも平等ではないまでも、誰かに苦痛 を与えてはならないでしょうに。 ユ:われわれ才能教育学習誌の教師たちは、今日で座り込み闘争650日になるん です。いくら長く座り込みをしても、名節二回以上はかからないと思っていた のに、もう名節を一二三四五、五回目ですね。名節も一度も座込み場を出たこ とがありません。率直に言って、今度は座込み場を三日だけ閉めたけど...... (ため息をつく)最もつらいのが何かと言えば、名節の日の朝、誰が座込み場を 守るのかが問題です。五回も座込み場で名節を迎え、支部長として幹部に、組 合員にも申し訳ない。事実、名節の日だけは私も一二日は休みたいです。今度 も闘争を終わらせられず、また名節を迎えるんだなあ、家でゆっくりした気持 ちで一日過ごすこともできないだろう、組合員たちをまたこうさせたんだなあ、 そんな気がするということ、ただ、ため息しか出ませんよ。 ▲4月に強制撤去された才能教育支部座込み場/チャムセサン資料写真 イ:ジャティ電子は労働組合を始めてからいくらも経たなかったから(闘争の中 で)初めての名節をむかえるんです。最大の名節、中秋なので楽しくなければな らない日ですが、全く楽しくありません。何か月も闘争して、私たちが勝ち取っ た結果が解雇撤回の代わりに長期休業です。休業の後に明るい未来が見えるの ならそれなりに名節を楽しく過ごせると思いますが、代表理事が何、事業場を 閉鎖をするとか、そんな話が出てくるから全組合員は未来への希望が持てずに 不安な状態で、気分が複雑で息苦しいです。 コ:この前の正月は、私と分会長は組合活動で拘束され、監獄で過ごしました。 外の組合員たちは野宿で過ごしましたし。今回はみんな家に帰って行きます。 私たちの事業場がある平沢には双竜自動車があるので、八月までは双竜車闘争 で気が動転していました。双竜車座り込みが終わったので、また力強くわれわ れの事業場の闘争をしようと言っていますが、また座り込みをするにしても秋 夕を過ごさなければだめだ、だから今度の名節は家で過ごすんです。幸運でしょ う(笑い)。われわれドンウ・ファインケムはLCD画面の中にあるフィルムをサム スンに納品しているでしょう。サムスンLCDが史上最好況で、職員は上半期特別 成果給を三千億ウォンぐらい受け取ったとニュースに出てました。ドンウ・ファ インケムも上半期決算で、正規職員に普段より10万か20万ウォン多く払ったよ うです。下請け業者にもいくらか降りてきたようです。 ドンウ・ファインケムの中には三つの下請け業者があります。三つの業者が同 じラインに混ざって同じ仕事をするのですが、ある所は20万ウォン、ある所は 10万ウォンと違いが生じます。清浄母さんという、防塵服を着てクリーンルー ムの清掃をする方々、六十を越える人がいるのですが、この方たちは一銭も受 け取れませんでした。それで現場で(賞与金を)受け取ると受けとるなりに寂し く、受け取れない人は言うまでもなく寂しいんです。 ソ:私たち(明知大学校行政助手)は中央労働委員会から不当解雇および不当労働 行為救済申請で勝訴して、秋夕前に合意し、名節を祝いに行くところだったの ですが...... ところが学校が合意案と言って出してきたものがとても組合員た ちを怒らせて、今、みんな腹を立てて最後まで行こう、こんなぐあいです。 ユ:どんな合意案が出てきたのですか? ソ:すぐ学校に復職して辞表を書き、退職慰労金を受け取って家に帰り、二年遊 んで学校に戻ってこいと。だからみんな仰天するんです。誰が二年後に? 今ま で七か月以上過ぎたのに、何を信じて私たちが合意書に印鑑を押して、二年間 労組活動だろうが何だろうが、みんな終わらせて閉じ込もって、二年後に学校 に入るというのですから、これが話になるかと、皆怒るんです。不当解雇は不 当解雇だが、お前が学校に入ってきたら直ちに切るということでしょう。 中秋前は、私より組合員のことで気分がつらいです。私は事実は子供も゛いる し結婚もしているし、婚家の大人たちも(私がすることを)皆わかってくれます。 周囲のひとたちは、ひとまずみんな理解してくれるので問題ありません。われ われの組合員はみんな三十代初め、しばらく恋愛して結婚して人生の転換期を 迎える時期ですが、今、あちこち出歩かずここに(座り込み)にしがみついてい るんです。生計も七か月、ずっと自給自足、自分が適当に生計を解決しながら 暮してきましたし、皆余裕がない上に秋夕に家に帰ると結婚とか就職とか、そ んな話が絶対出るだろうし...... 旧盆の日のストレスは途方もありません。 イ:私たちは少しパニック状態というか、何か働かなければならないのに仕事が 出来ない状況でしょう。休業とは何かと言えば、正常ではないけれどアルバイ トもできない境遇です。長期休業に入り、私のように組合員もパニック状態に 陥っています。長期休業を耐え忍べるのかも若干疑問で、代表理事が休業期間 に既存の事業をみんなやめてしまうという声も聞こえてきて、すべてが不透明 なので...... 今から新規事業をしなければならない、こう言いながら、組合員 には希望がない、いや希望をなくし、休業期間に自から退社しろ、というような ことなのでしょう。夜逃げした時からひどいものです。 ▲2月に交渉破棄を宣言したジャティ電子は翌日朝に会社を移転した。[出処:金属労組ソウル南部地域支会] 落星垈(ナクソンデ)にあった会社を職員も知らないうちに、一晩で仁川南洞工 団に移したでしょう。落星垈社屋に出勤したら備品がなくなって、そこで三日 間座り込みして南洞工団で出勤したのですよ。出勤したら会社の側近たちでしょ う、側近で、ほとんど社長と親せき関係にある人たちが会社正門前で、何だ、 この野郎、なぜきたのか、お前たちはなぜきたんだ、そんな形で十年近く働い た会社に入るのを防ぎました。その人たちとは争わず、一応避けて会社に入り ました。あちこちでざわついています。騒々しければ何か起きたのかと行って みます。組合員も行って、非組合員も追いかけて行って。これが勤務地離脱に なって、交渉や法的な問題で証拠資料に提出されました。もちろん非組合員は 席を離脱しても問題にしませんでした。会社はあらかじめ脚本を組んでおいた ようです。写真を取ってビデオカメラで写して。 組合員をみんな中央に配置して、四方から役員が取り囲んで座り、監視するよ うな席の配置になりました。待機発令を出して普通の席ではなく出入り口の前 に机一つを持って行き、椅子一つを持って行ってそこで過ごせ、こんな形で圧 迫をする。組合員に仕事を与えず一日中ぽかんと座らせた後、外には会社では 仕事がないのにやむを得ず放りだすこともできず、ぶらぶらしている職員に月 給を払っていると知らせて、中では私たちに金食い虫だ、そんなことも話しな がらとても侮蔑感を与えます。これがみんな代表理事の口から出た言葉ですよ。 その上、非組合員たちと労労葛藤を起こしました。十年間一緒に働いた職員が 一日で目の敵のように労働者どうし争わせます。やや盲目的に会社に言われる まま働く人がいるのですが、女性組合員に言うようなことではないひどい悪口 を言って、おまえたちのおかげで私がこんな状況に置かれている、おまえたち のおかげで死にそうだ、こんな調子で。 ユ:学習誌教師はしばしば事業者と呼ばれて、労働者と認められきません。手数 料改正闘争で座り込みを始めると、会社はこの機会に労働組合をなくす目的で 戦いを拡大させ、団体協約破壊通知をしたのです。今まで会社は労働組合を認 めてきたのがちょっとくやしいのでしょう。資本主が考えれば。事実団体協約 は破棄される前からつぎはぎの状態でした。社長は『失った十年を取り戻す』 と公言して労働組合を弾圧するために団体協約を破棄し、労働組合の活動がで きないようにしています。闘争をすれば損害賠償、仮差押さえ、罰金、告訴告 発が乱発です。650日の間、何もしていないのに三人拘束され、闘争期間の半分 程度で払った罰金は5000万ウォンを越えます。現在まであとの期間に罰金がど れくらい増えるかわかりません。 才能教育は、学習誌教師が初めて作った労組で、特殊雇用支部としては最初に 受けた団体協約ですが、今は先生に関する福祉制度のようなことはすべて破棄 されました。会社はこれまで十年間お前ら(学習誌教師)に特典と恩恵を与えた と思っています。十年間、労働組合を認めてやり、お前らがこう出てきたので もう会長はとてもくやしくてうらめしくて、それはできないと話しています。 今活動している現場の幹部が特殊雇用労働者なので、事実、言葉尻を捕えられ れば解雇されます。どこにも訴えるところがありません。われわれは不当解雇 だと主張していますが地労委、中労委でも却下されます。お前ら(特殊雇用労働 者)は私たち(地労委や中労委)に持ち込む事案ではないということでしょう。 また敵が増えて区庁と恵化警察署とも戦わなければなりません。恵化警察署は (会社の)私設警備隊のようになっています。私たちは座り込みテントを15回も 撤去されましたが、今年五月に撤去された後はテントを張ることができません。 その場に恵化署のパトカーが24時間、1分1秒もその場を離れません。テントな しで路上ピケデモをしても道路交通法違反とか道路法違反とか、不法な連行、 逮捕はもう3回目です。別の見方をすればとても自虐的なほどの座り込み闘争を しているんです。私たちが会社と同じ事案で告訴告発をすると、どうなるか知っ て下さい。私たちが診断書を出せば『会社の誰が具体的に直接攻撃したのか、 証拠写真がない』で、会社は無罪です。でも会社はどの組合員が殴ったのかも わからないまま二週間の診断書を出せば、私たちは無条件有罪です。罰金がな くても百万ウォン、三百万ウォンが出てきます。 コ:ドンウ・ファインケムは生産物量のほとんどすべてをサムスンに納品します。 記者会見をサムスンの前ではないけれど、すぐそばでしましたが告訴されしま した。私たちは知りませんでしたがサムスンビルの一階が広報館で、私たちが 広報館をふさいだそうです。ところで私たちがその時は、六人ほどの少人数だっ たのですが広報館はとても大きいのです。私たちは六人で用役が出てきて(広報 館の前に)並んでいました。自分たちがふさいだようなものですが、私たちを告 訴です。私たちはこんな冗談を言います。(労働者たちができることは)上がっ て、飛び降りて、飢えて、ばらばらになることだと言うが、法院に来いと言わ れ、警察署に来いと、『オイ、今法よりも金が恐くて本当に今できない』こん な話を冗談でします。ますます法を口実に罰金で弾圧するのですから非正規職 の権利を探すのはますます難しくなるようです。 ▲工場の前で昼食集会を開くドンウ・ファインケム非正規職労働者[出処:ドンウ・ファインケム分会] ソ:私たちは弾圧? 弾圧は、事実大学が他のところとちょっと違います。私たち は告訴告発もなくて、よく考えてみるとあまりやられいません。主に女だけで 活動しているので、せいぜい3回の集会、静かにプラカードを持って総長の家の 前に立つこと、ぶつかって大きな音がするようなことはありませんでした。せ いぜい弾圧されてもキャンドル文化祭の時、ちょっと殴られて(それも弾圧でしょ う?)。初めて座込み場を作って始めた時に殴られたことしかありません。後で 学校はそれもやめました。ただ学校職員二三人が組になって一日中私たちを追 いかけて、ビデオカメラ写して、騒音測定機で測定して、ただその程度です。 でも事実そうです。人生ってそんなもんでしょう。百年も生きられないのに、 そうでしょう。あの人たちも焦ってるのでしょう。(総長に)背中を押されて、 自分も本当に卑屈で金の奴隷になったみたいに、しょうがなく出てきてあんな ことをしている彼らの気持も理解できます。本当に問題なのは設立者の息子、 今の総長様が問題ですね。金をもらってやむを得ず出るしかない彼らの問題で はないでしょう。それで私は特に学校と衝突して、体当たりしてみたいなこと は殆どなかったんですよ。弾圧といえば座込み場を撤去するというように内容 証明を送ること。組合が壁新聞を貼ると一時間ではがすこと。だから私たちは 必死に書いて貼るんです(笑い)。掃除の人ばかり苦労するんです。掃除の人に ちょっと申し訳なかったり。 イ:私が労働組合を始めるまでは事実、自分自身も労働者だという範疇に入るの かさえ関心もなかったし知らなかった。労使関係とか、そんなニュースを聞い ても、全く違う人たちの事だ、こう考えて生活しましたね。今私たちの会社に やってきたんです。何の事前通報もなく解雇され、労働組合を作りました。た だ追い出されるわけにはいかなくて。もちろん私は解雇通知を受け取っていま せん。長い間勤務を共にしてきた人々が、特に悪いことをしたり会社に害を与 えたりということもないのに、ある日突然会社が解雇通知するというんです。 そんなことを横で見ていた時、気分が良くありませんでした。その人(解雇者) たちがある日きて、一緒に組合をしようと提案をして、まあ少し悩んで快く承 諾しました。実際に加入すると、本当に労働組合活動は大変な道だな、という ことを、やればやるほど感じます。 えっと、さっきも法の話も出てきましたが、それまで法は国民を守ってくれる ために作られたと、特に関心もなくそうとばかり思っていたのに、実地で私た ちが法の保護を受けるために四方八方歩き回っても、一つも法の保護を受けら れません。法は労働者のためにあるのではないという気がします。労働三権の 保障というのがありますが、それが実地で労働者に役立つように作用すること は殆どありません。会社で法の網を避けたり、法の枠の中でいろいろよく構成 したり、絶対労働者たちに不利に状況を作るのですが、労働者たちに良く作っ ていくのではないという思いがとてもあります。私たちはできれば初めから法 を守って始めました。 ユ:私たちもちゃんと守りたいです(笑い)。ところが憲法でも何でも、できませ ん。ただ座込み場にいるのに、道路交通法違反なんです。労働三権が保障され ている、あるいは集会結社の自由や表現の自由がある憲法を無視しているのか、 問い詰めればそれはわからない、遠慮なくそう言います。それは知らないし、 とにかくあなたたちが歩道の通行の邪魔だといいます。私たちが座り込みをし ている恵化洞の本社前は国の主要道路です。国家の主要道路だから集会申告を 受け入れられず、私たちが恵化洞ロータリーの下にまで外に出て集会をしてい るのに、それさえ継続補完通知をします。何だかんだと集会申告の内容をみん な警察が指示するんです。宣伝カーをやめて、デモ行進をやめて、宣伝戦をや めて、何、プラカードも三十枚か、ではプラカードも十枚以下に減らせ、こう して申告内容まで統制します。 集会は申告制じゃないですか。だから『それなら法をでは許可制に変えろ』、 そう言うと『ああ、それは違う』と言います。集会申告内容にデモ行進と書か なければ、みんなどう要求をするのかというと『デモ行進なし』と自筆で書け と言います。これが集会の自由で、集会が申告制だというんですか。私たちが 歩道でプラカードを持って立っているのを処罰しながらですよ。法というもの が、すでに労働者にとって法が失なわれて久しいです。私たちが警察や法を扱 う裁判を受ければ、とても絶望を感じます。これが本当に市民を保護する判事、 検事なのか、本当にあきれます。 イ:いや、私たちはできるだけ法的な問題のない、他の闘争事業場より、とても おとなしい方式の闘争方式を選択しました。 ユ:私たちも何もしてません。おとなしいです。(笑い) イ:おとなしくても、損害賠償とかで私たちも今まで大変です(笑い)。そんなに 合法的にしても、会社は構成しようとするので、それが容易ではありません。 われわれは自分なりに合法的に、最大限合法的に法の枠の中で私たちが勝ち取 れるものを得ようと思っていますが、実際にはその可能性は全くありません。 ソ:法ですか? オイ冗談を! エイ、勝ったらどうだというんです。中労委で復職 判決を受けても履行されますか。そして判決を履行しなければ履行強制金を(学 校が)払うでしょう。それは労働者に払わなくちゃ。それをなぜ受け取って国家 が持っていくんですか。私はそれが頭にきます。何をしてるんでしょう? 税金 で月給を取って、判決したら履行させなければならないのではありませんか。 不当解雇させた総長の喉首を捉えても。それができなければ誰が罰金を受けと るのですか。被害を受けた労働者が受け取らなくちゃ。なぜそれを自分たちが 受け取るのでしょう。学校が履行強制金を払っても、後で年末精算の時、税金 でまた返してもらうんです。何億払ってもみんな受け取るそうです。冗談じゃ ない! この話には腹が立ちます。法が間違っているのでしょう。直すべきでは ありませんか。なぜ直さないの! これまで労働運動していた人はみんなどこに 行かれたのか? ユ:事実、大韓民国の社会でこれからも労働組合を維持する展望やビジョンある のか、と言いたいほど大変です。正規職も非正規職も区別はありません。闘争 事業場と会う機会があって行ってみれば、私が知らなかった職群がとても多い でしょう。ああ、こんなに色々と苦しむ人が多いんだな、よくそんなことを考 えます。苦しい話を聞いて、本当にあそこもだめ、ここもだめ、私たちもだめ、 そんなことを考えなければいいのですが。言われるように、闘争の初めには総 連盟も来て上級団体も来ます。ちょっと過ぎればいなくなります。 私たちは闘争事業場にも二極化が激しい、そんな話をよくします。総連盟や上 級団体も(闘争事業場)を見て、つく時、つかない時、正確に計算をします。そ れで私たちは六百人以上の上級団体から支援を受けたことはありません。とに かく私は闘争する労働者に連帯しに行っていつも言う話があります。今見た組 合員たちがまだ戦っているということ忘れないでほしい。互いに忘れられない ようにお、互いを忘れないでほしいと話しながら、一回ずつかっとするけれ ど...... お互いが会えなくても勝利報告大会の時までは、明確に(その事業場 の労働者たちが)戦っているだろう、と思いながら、お互いを忘れなければ良い です。連帯しに行けなくても。 ソ:(ユ・ミョンジャ支部長を見ながら)ぜひ勝利報告大会をしなければなりませ ん。勝利報告大会ができなければまともな人生を送りましょう報告大会(笑)。 私は、明知大支部長がこのように状態が良くないか、そうだと考えてもするこ ともできます。それで私はそんなふうならいいと思います。なぜこんなに不幸 に見えるのでしょう? 長く闘っている方々。ここにいる方々は明るいですが、 皆なぜ自分が苦しむのでしょう。私はそれは良くないと思います。あいつらを 苦しめなければ。社長の息子はしっかりご飯を食べているのに、なぜ悪口を言 うのでしょう(恥ずかしそうに首を横に振りながら)。社長はちゃんとご飯を食 べて自家用を乗り回して、することはみんなしてるのに、なぜ労働者たちは玉 砕ストライキして苦しい戦いをしなければならないのか。高空籠城をして人の 命がかかっても、自殺をしても、そんなことを少し知ってくれればいいですね。 ▲ソ・スギョン大学労組明知大非正規職分会分会長/チャムセサン資料写真 闘争がおもしろいわけではありません、事実。でも私は本当におもしろくしま した。みんなはちょっと怠けているとよく悪口も言われましたが、私は私がで きるだけのことをしました。周辺の仲間たちはちょっと怒ってましたがだめで す。私ができることそれだから。私が死にそうなのに戦い続けるのでは、自分 が闘争を続けても全く楽しくも得ることもないでしょう。『明知大闘争は楽し くしよう』、こんなモットーで、ただそうするほかはありません。なぜならば 闘争する人々も闘争の中で楽しくなければならず、感じることがなければなら ないから。労働者の権利、労働者のなんとかかんとかを感じながら、おお、熱 い闘争、それも良いいけれどそこに一緒にいる個人個人もみな楽しくて幸せで なければならず、人生が楽しくなければならないと考えるんです。人生何百年 も生きるわけでもないのですから、楽しく暮すべきですよ。民主労総傘下の産 別労組に加入して闘争して、一年、二年、あるいは五年したが、私は本当にま た帰ってきても、またできて本当に楽しい、こんな話が出てこなくちゃ。普通、 先輩たちの状況はそうじゃないようです(笑い)。私たちは一度やるだけのこと はある、おもしろかった、最高裁まで行って月給受け取って、家にいることも 悪くないよ、ではないでしょうか。(頭を傾いながら)とにかく楽しくしよう、 ということです。 イ:事実、労働組合は経済的には互いに助けを与える方法はないでしょう。物質 的にではなくても気持は集められるでしょう。他人を振り返る心がけがほしい ですね。一人一人の利益だけを追いかけるような傾向がなくはないのですが、 私の考えはただひとりひとりがちょっと他人を理解する若干の気持さえ持てば、 小規模事業場でも大きな事業場でも、組合員として団結する契機になりそうで す。団結は本当に労働組合の最大の力ですから、そうなれば何でもうまくいく と考えます。 ソ:ああ、でも気分が晴れません。私は何か月これをやってもこんなに爆発する けど。エイッ(ボールペンを投げながら)。性善説を信じていました。(闘争)を 続けているうちに性悪説の方になりました。使用者側もそうですが労働組合も、 なぜこんなに利己的なのか(ソ・スギョン氏は神様がいたから今まで戦えたとい う)。 コ:時間なので最後の発言のようだが、こう言ったらどうでしょう? こうした席 を作ってくれてありがとう(笑)。金属労組の中でも非正規事業場の闘争本部が あります。難しい事業場だけが集まって(闘争して)行き来します。あちこちで どんな話をするかというと、金属は製造業でしょう。この前、トルコ非正規職 労働者が勝ちました。会社と合意した内容は、法院で不当解雇を勝ち取った4人 を復帰させる。そして労働組合に不利益を与えない。当然のことで二年闘い、 現場に帰って得たものが結局これです。現場入るところまでが第一ラウンド。 第二ラウンドがまた待っています。だから行く道は遠いんです。二年かけて労 組活動をしても、解雇したり弾圧はしない、これぐらいで合意しても、それで も普通、大きな進展だと思います。(トルコ非正規職労働者たちは)現場に帰っ たから。多分私たちも小さく勝てば、他の人たちは元気づけられると思います。 勝って現場に帰ると、忙しいですがぜひ忘れずに勝利報告大会をして、そうで なくても苦労している仲間たちの力にもなります。そんなことが出来るまで、 熱心に、ほどほどにしてみます。(拍手) 特にオフレコが多い座談でした。言いたいことは多くても、その話を全部表現 して暮せません。さらに残念なのは選別された声も聞かせられる所がないとい うことです。座談は終わっても、夜深くまで話は続きました。まだ世の中には 打ち明けられない話があふれています。彼らは暗闇の中に消え、空には中秋を 前にした月が丸く浮かんでいました。希望はあるとも言え、ないとも言えると いう句を思い出しました。道があって道を行くのでなく、歩いて行くと道がで きたといいます。暗闇の中に消えた彼らの足取りが、新しい道をつけ、絶望の 暗闇の中で、希望を中秋の月が高く上がるでしょう。ところで楽しい中秋をお 過ごしになりましたか? 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2009-10-07 23:57:11 / Last modified on 2009-10-07 23:57:13 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ |