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韓国:6.10の朝
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  1. 10の朝

[記者の目] 1987年6.10と2008年6.10

ユ・ヨンジュ記者 www.yyjoo.net / 2008年06月10日10時04分

李明博大統領の弾劾は難しい

6月10日未明、警察は光化門に高さ5メートルのコンテナボックスを設置した。 誰が出したアイディアなのか分からないが、カマボコ車のバリケードと比べる とかなり奇抜な考えだ。2005年の釜山APECの時、すでに登場したことがあって 見慣れないものではないが、光化門交差点に溶接したコンテナを動員するとは 笑える。バスよりも高くて上るのが難しく、車輪がないから決定的に不法駐車 ではない... 見守らなければならないが、コンテナは李明博体制を象徴する、 もう一つの名物として記録されるだろう。

大統領府に向かう市民のキャンドルの行列は今日で34回目。大統領府まで進出 して李明博大統領に『再協議』を要求する市民の力が噴出する日だ。路上の政 治が制度政治を圧倒する雰囲気が現在進行形なのだから、10万になるか、100万 の規模になるかは副次的だ。21年前の6.10と較べるのも、単に道路に溢れる大 衆の規模のためだけではない。『再協議』の要求を根幹とする路上の政治が注 目される重要なポイントは、87年(憲政)体制が抱いていた盲点を暴露するとい う点だ。6.10を経て大韓民国の市民は近い未来、どんな革命をするのかをめぐ り大衆的な討論をする好機をむかえる展望だ。

李明博政権は、『再協議』の要求を受け入るのが難しい理由として韓米FTA推進 と国際社会での外交的信頼をあげる。そして各種の補完策を出した。だが大衆 はいつも断った。『再協議』の要求には、憲法で保障する幸福権、健康権など の生存の要求と、国民が選んだ権力が国民の話を聞かずに見せ掛けだけを働か せることへの共存している。このような今の市民の合意と要求に対して、市民 も権力もどちらも譲歩が難しいため、対立と闘争は激化の様相を帯びている。

一方、道路に出てきた市民は6.10の後、深刻なジレンマに陥る可能性も排除で きない。李明博政権が人的刷新、30か月以上の牛肉輸入流通への事後措置、18 代国会登院圧迫などのカードで『再協議』を受け入れず、大衆の要求を制度政 治権内に取りまとめて粘り、市民の行動がそれを制御できず下降の流れにつな がれば、敗北があたえる相対的な剥奪感は無視できないだろう。

『再協議』は絶対の要求だが、『大統領府に行こう』、『李明博は退陣しろ』 などの要求は、現在としてはスローガンの性格がより強い。李明博政権がどん な形であれ再協議を受け入れれば『李明博退陣』要求も弱まる可能性が濃い。 盧武鉉前大統領の言葉は一理がある。大統領府の近くを行進することと政権退 陣を本気で押し通すことは「憲政秩序の原則に合わない」という主張は正しい。

李明博政権は、87年憲政体制が保障する正統性の上で執権した。そして87年の 憲政体制が保障する権限を行使し、手続きにより国政を運営してきた。5年単任 制は強大な権限を付与する。チョ・ガプジェ氏が「法、警察、検察、国家情報 院、機務司、国軍など大統領が持つ法秩序守護手段は途方もない」と言ったの は、単に公権力への権限だけではない。国民の80%が反対する現実と道徳的非難 が天を突いても、それが直ちに正統性の危機につながるのが難しい理由だ。

下野もないだろう

2004年3月12日の盧武鉉前大統領弾劾ハプニングは、87年憲政体制の断面を示す。 当時、在籍国会議員2/3の賛成で、国会は盧武鉉前大統領の弾劾案を可決した。 弾劾案可決で民主主義の後退に耐えられなかった市民はキャンドルを持ち、そ の年の総選挙で民主党は過半数以上の議会権力を掌握した。ところが、大統領 弾劾という憲政史上初の事件は、2か月たった5月14日、憲法裁判所の棄却判定 を受けて一段落した。憲法裁判所は弾劾の理由として提起された大統領の言動 に「公務員の政治的中立義務」選挙法)と憲法守護義務に違反すると判定した。 憲法裁判所はただし「大統領を罷免するほどの重大な法違反ではない」と棄却 の理由を上げた。

正統性に基づいて執権する大統領、その大統領の政治活動に対して保守3党は手 順を追って弾劾した。そして憲法裁判所は憲法裁判所法第23条2項で要求する弾 劾決定に必要な裁判官数の賛成を得られず、弾劾を棄却したのだ。

李明博大統領の『退陣』問題をめぐり、大統領の国政活動と失政を『弾劾』す るには、国会議員2/3の発議がなければならない。この手続きを取り、弾劾案を 提出するのは現実として不可能だ。憲法裁判所が最終の鍵を握っているという 点も、87年憲政体制の限界と解説される。それなら李明博大統領が退陣する場 合は、李明博大統領自ら下野することと大衆行動(蜂起)による権力の簒奪があ るが、前者は見込めず、後者は可能性の議論でしかない。

34日間続く大衆行動、ウェブ2.0で説明しても、世代の特性を上げて分析しても、 今行われている反李明博政権大衆行動は蜂起の性格が強い。大衆行動と街頭の 政治はコンミューンに発展したり既存秩序で収斂される経路を踏む。

全斗煥軍部権力は、軍事クーデターで権力を簒奪し、正統性を認められなかっ たため、長期政権のための4.13護憲発言で6.10抗争に火をつけた。6.10民衆抗 争は、『直接選挙制争奪』が核心であり、当時の直接選挙制要求は『全斗煥政 権打倒』とコインの両面を構成した。6.10民衆抗争の制度的収斂はその年9月、 憲法に直接選挙制を反映させることで終わった。盧泰愚政府は不正投票の是非 はあっても、ブルジョア民主主義革命の成果の上でなされたという点でそれま での政権と区分される。

87年6月抗争を主導した民主憲法争奪国民運動本部の共同代表は65人、政治家は わずか8人に過ぎなかった。民衆抗争(市民革命)の構成と主導が民衆(市民)によ りなされたことを反証する。ところが6.29宣言以後、9月16日改憲案が妥結する まで、民主憲法改正の過程は国民運動本部を完全に離れ、政府与党と反対党で 構成された8人の政治会談が専有し、民衆(市民)は何の影響も行使できなかった。

大衆行動と路上政治の時、蜂起を率いる民衆(市民)は政局の主導権を行使する が、この時期を経て制度化が進められる憲法的局面になると、路上の政治を構 成した連帯は解体の経路を踏むようになる。この制度化の局面を誰が主導する のかにより、革命によるコンミューンへと発展するか、既存政治体制への固着 に帰結するかが決定される。

憲法第1条、制憲の必要が提起される

21年前の6.10民衆抗争は、抗争19日目に6.29宣言が発表され、路上の政治が勝 ち取ったブルジョア民主主義の成果を基礎として、急激な制度化の局面につな がった。87年の民衆抗争は、直接選挙制という憲法改正を引き出し、この憲法 は盧武鉉大統領による大連立政府とワンポイント改憲の提案まで、誰も触らな かった。87年憲政体制21年は、このように無難に維持再生産されてきた。

そして87年改正憲法は、それまでの20数年間、反共-発展主義に基づく資本蓄積 構造から新自由主義的資本蓄積構造へと拡張転化することに決定的に寄与した。 政治的には、直接選挙制改憲で憲法の国家権力作動体系の部分の修正に成功し たが、経済的には市場主義精神が積極的に解釈されてきた。87年改正憲法は、 新自由主義蓄積体制の発展と同じ軌跡を描いて、現実の階級闘争過程の全てに 幅広く介入し作動してきた。表現の自由の制約や集示法改悪、通信秘密保護の 後退などはその代表的事例だ。

『再協議』と『憲法第1条』が遭遇したのは必然だが、やさしい問題ではない。 87年体制を規定してきた87年改正憲法は古くなった。たとえば第3条領土条項は 10.4宣言と衝突する。第119条の経済条項は、世界化した資本運動を遮る毒素条 項だ。多数党のハンナラ党が改憲を推進するときは、この条項から手をつける だろうという観測が支配的だ。憲法で規定される基本権はたった一度も国民的 な論争と同意過程を経ていない。資本主義をさらに擁護する方向であれ、社会 主義的指向が反映される方向であれ、87年改正憲法は現実を反映する新しい憲 法での改正を要求されていている。

その意味で、今キャンドルデモに乗り出した大衆が憲法第1条を問題視し始めた のは意味深い。権力を行使する統帥権者の行為に、憲法を理由に問題を提起す るのは簡単に見過ごせる問題ではない。

『再協議』は李明博大統領が『する』とさえ言えばすぐ整理される要求だ。キャ ンドルデモの熱気も一巡整理できる。ところが李明博大統領が『する』と言え ない理由、それは大統領の意志ではなく、構造的な問題だという点に事態の深 刻さがある。盧武鉉政権が確認した市場主義法制度に基づいて、李明博政権は 韓米同盟と私有化、開発主義路線の執行を約束して当選した。投票率と支持率 のぜい弱性が、すなわち正統性の否定を意味するわけではなく、李明博大統領 が韓米FTAの先決条件になっている牛肉交渉を『完成』したことは元に戻せない 政治行為と言える。

再協議を要求する市民は、死文化した憲法第1条に活気を吹き込んだ。憲法第1 条の急進的な完成は、論理的には制憲につなり、『再協議』を擁護する各種の 憲法条項は社会主義的指向を含む方向で議論される。ベネズエラでチャベスが 制憲議会を招集してボリバリアン憲法を公表したことが示唆するところもある が、制憲ではないにしても、人民の基本権に対する急進的な議論が形成される だけでもキャンドルデモは歴史の進展に寄与するようになる。

21年前の6.10抗争は6.29で『完成』した。21年前の6.10抗争を覚えている市民 と、今日の6.10キャンドルデモに出る市民は、『直接選挙制』の代わりに「憲 法第1条」をめぐって一勝負をする。21年前、全斗煥前大統領はタンクの突進を 命令しようとしたが、大衆の威力の前に屈した。21年たった今日、李明博大統 領は市民の前に頭を下げる代わりに、コンテナのバリケードを選択した。

議会は弾劾しないだろう。大統領が自主的に下野することもないだろう。だが、 今日を基点としてコンテナのバリケードを越え、『退陣』の経路と内容につい て悩むのは、全て行動する市民の役割になるだろう。信じて疑わないことは、 歴史は後日、2008年6月10日を大変だったが愉快な日として記録するだろうとい う点だ。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳)に従います。


Created byStaff. Created on 2008-06-12 02:57:13 / Last modified on 2008-06-12 02:57:16 Copyright: Default

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