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ウルグアイ、多者間サービス協定(TiSA)交渉から脱退
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ウルグアイ、多者間サービス協定(TiSA)交渉から脱退

「私有化」という自由貿易ではなく、「社会化」に進む

チョン・ウニ記者 2015.10.06 17:53

世界最大の貿易協定と呼ばれる環太平洋経済パートナー協定(TPP)の妥結で独占と私有化環境が深刻になる公算だ。 一方では、産業の発展のために自由貿易協定交渉からむしろ脱退する事例があり、注目される。

ウルグアイ政府は多者間サービス協定(TiSA)締結前の10月5日、交渉からの脱退を宣言した。 南米専門メディア「アメリカ21」によれば、この日、 ウルグアイ政府報道担当者リリアン・ケチチアン観光長官はTiSA交渉から脱退するという大統領の立場を知らせ、 公式に撤収すると明らかにした。

▲ウルグアイ全国労働総連盟(PIT-CNT)が4月23日にTiSA交渉脱退を要求してデモを行った。[出処:MONTECRUZFOTO.ORG]

韓国政府も参加するTiSA交渉は、2012年に米国の主導で始まり、 現在まで3年ほどにわたり進められている。 当初、膠着状態に陥った世界貿易機構(WTO)多者間貿易協定ドーハ開発アジェンダ(DDA)の後続措置としてサービス分野の貿易障壁を除去し、 私有化を促進する目標で始まった。 主な争点分野は金融、保健、交通といったサービス項目で、 現在のところ米国をはじめ、ヨーロッパ連合、オーストラリアなどの約50か国が秘密裏に進めている。 先進国中心に進められ、開発途上国の多くは参加していない。

ウルグアイ政府はこのようなTiSA協定が国家の発展に符合しないという立場だ。 すでに執権中道左派連合フレンテ・アンプリオ(FA)は9月5日、 TiSAがウルグアイ社会の全体的な発展の役に立たないという理由で交渉参加について採決を行い、 賛成117票、反対22票という圧倒的な優位で脱退案を可決させた。

ウルグアイのTiSA交渉は、ホセ・ムヒカ前大統領の時に始まった。 だがこれまでムヒカ前大統領が主導した民衆参加運動(MPP)は、 TiSA交渉参加に反対の立場を表明してきた。 ウルグアイ全国労働総連盟(PIT-CNT)もTiSAからの脱退を要求して4月23日をはじめ、 何度かのストライキ・デモを行っていた。

ウルグアイの各部署でも反対意見があふれている。 特に産業鉱山エネルギー部は、TiSAが国内の通信政策を危険にしかねないと提起した。 ウルグアイは1992年に制定された私有化法を国民投票で廃止した後、 通信会社、電力生産と配給、精油と上水道全体を国営会社が運営している。 しかも国営銀行はウルグアイ国内の口座の4分の3を、 国営保険会社は約半分を管理していて、 市場が開放されれば大きな打撃を受けかねない。

一例としてウルグアイ国営通信会社も私企業の2倍に達する利用者を保有しているが、 市場が開放されて産業が私有化されると、 利益の追求と不必要な競争の中でいかに自国の通信環境が発展できるのかについては懐疑的だという態度だ。 ウルグアイでは国家が運営する通信環境の下のほとんどすべての地域と公共施設のネットワークが100%連結しており、 すべての子供は「子供1人当たり1個のラップトップ」政策により、 自由にインターネットを利用できる状態だ。

「TiSAについての公開的な討論、記録的だ」

ウルグアイの労働社会安全部は、 TiSA条項の一部が国際労働機構(ILO)の規範に合わないという点を指摘した。 農林部はこれまでの自由貿易協定による家畜の身元と監視制度により輸出価格が上がっただけだとし、懐疑的な反応を示した。 観光はすでにすべて自由化されているので、追加の損益はないという意見もあった。

外務部や経済部署はTiSAについて肯定的に評価しているが、あまり注目されなかった。 TiSAに参加すると、自由貿易に関する他国の経験を集められるとか、 国内ソフトウェア産業に利益になるということだ。 しかしウルグアイにおいて、ソフトウェア産業が国家所得に寄与する割合は2%でしかない。

採決の後に社会主義者のロベルト・チアサロFA議員は 「TiSAが公開的かつ全体的に討論されたのは(世界で)最初の事例」とし 「非常に記録的なことだ」と明らかにした。

ウルグアイは1994年に世界貿易機構(WTO)発足の導火線になったウルグアイラウンド(UR)でも有名だ。 ウルグアイラウンドは第2次大戦以後40年間、国際貿易秩序を率いた「関税および貿易に関する一般協定(GATT)」体制内で行なわれた8回目の多者間協定で、 1986年のウルグアイのプンタ・デル・エステで始まり、1993年の12月に妥結した。 ウルグアイラウンドの妥結で韓国は牛肉、豚肉、唐辛子など農畜産物14種の全面輸入自由化を決定した。 その後、WTOは2001年に多者間交渉のためにドーハ開発アジェンダを始めたが、 2005年、公式的なデッドライン内の合意に失敗した。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2015-10-07 15:18:48 / Last modified on 2015-10-07 15:18:50 Copyright: Default

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