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韓国:トルコ・ブラジル・ギリシャ・ブルガリア・ボスニア、新しい民主主義の広場
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トルコ・ブラジル・ギリシャ・ブルガリア・ボスニア、新しい民主主義の広場

[寄稿]「私たち皆がタクシム・サラエボ・サンパウロだ」

24601(ブロガー) 2013.06.21 18:25

▲6月11日夜、ギリシャ政府は緊縮政策のために国営放送局ERTを閉鎖して労働者を整理解雇した。労働者は放送局を占領して自分たちの統制の下で製作された放送を送出し、ギリシャ市民は労働者を防るために放送局の周辺で連帯デモを行った。'ERTaksim、SMARdogan(ERTはタクシム広場で、サマラスはエルドアンと同じだという意味)'というスローガンで、トルコのタクシム広場のデモとの連帯を示した。[出処:facebook europeans against the political system]

トルコの春

イスタンブールの小さな公園の撤去に反対して始まったデモは、すぐトルコ全域 の主要都市と地域に広がった。この10年間、トルコ正義開発党(AKP)エルドアン 政府の常勝疾走は、経済成長によるものだ。しかし10年間の経験で、トルコの 人民は「経済成長」が誰のためなのか、ぼんやりとでも把握し始めた。古い 公園の破壊を見て、貧しい労働者、クルド人は、この数年間、自分と隣家が 破壊されたことを思い出したのだろう。国有財産と公共サービスを売り飛ばす ことに気をとられていたエルドアン政府はかなり短い期間に「都市再生」を名目に 貧しい人々の生活の基盤を破壊してきた。ゲジ公園から撤去される危機に置かれた 木は、貧しい労働者とクルド人の境遇そのものだった。

1950〜60年代、資本主義先進国家の黄金期には、貧しい人々には餅を投げたが、 後発資本主義国家はそうでなかった。韓国が経済成長をするために強力な権威主義的 な政府と独裁を必要としたように、他の多くの国々、特にトルコもそうだった。 しかし人口の99.8%がイスラム信者という国で、軍部は世俗主義国家のしんばり 棒だった。イスラム指向の正義開発党政府は、権威主義的な経済成長・新自由 主義化のために軍部を動員することができなかった。彼らが期待したのはイスラム 化だった。酒の販売と広告を制限し、公共の場所での愛情表現を禁じるシャリア (イスラム律法)による権威主義的な措置が連続して施行された。若者が怒ったのは 当然だった。彼らはゲジ公園の木を通して貧しい労働者・クルド人の境遇と自分が 同じだということに気付いたのではないか。

5月末に始まったトルコでの抵抗は、エルドアン政府の強力な弾圧により一息 ついている。人口の多数がイスラム信者であることに加え、エルドアン政府が イスラム主義的な、だが原理主義的色彩とは距離がある教育運動と関係がある ため、この抵抗がそのまま2012年のチュニジアやエジプトのような蜂起と勝利 にはつながりそうもない。そのため、今のトルコでの闘争は、民主主義の訓練場 としての新しい民衆議会の実験と勇気ある個人の沈黙デモで続けられている。

ブラジル、ワールドカップよりも公共サービス

トルコでの反乱が峠を越える前に、ブラジルからもうひとつのデモの知らせが 聞こえてきた。人口900万のサンパウロ市政府が大衆交通料金の値上げを発表、 これに反発した市民が街に出始めた。大衆交通料金を3.0レアル(1570ウォン) から3.2レアル(1670ウォン)に上げようとした。それだけでも韓国より高い大衆 交通料金だが、最低賃金(2013年基準378レアル、35万ウォン)を考えるとさらに 高額だ。数千人がサンパウロで始めたデモは、すぐにリオデジャネイロ、 ブラジリアなどのブラジルの主要都市に広がった。18日には全国で数百万人が 通りを埋め尽くした。大衆交通料金の値上げに対する不満は、そのまま生活の 質に対する問題提起につながった。

2003年にルラが大統領に当選したことで始まった労働党政権時代は、貧困撲滅 と経済成長の模範とされた。2014年のワールドカップと2016年のオリンピック 誘致は、この10数年間の成功の甘い果実になるかに見えた。1人当り国民総所得 (購買力評価指数基準)は2003年の7280ドルから2011年には1万1420ドルへと増加 した。しかし人民の感覚では相変らず不十分のようだ。若い労働者たちは 「われわれはワールドカップは必要ない」、「われわれは病院と教育への投資が 必要だ」というシュプレヒコールをあげて通りに出た。ドイツFCバイエルン、 ミュンヘンで走っているサッカー選手のダンテ・ボンフィム・コスタ・サントスは 「少数はとても金持ちだが、他の人々は何も持っていない」と述べ、最近のデモを 支持するツイッターを書き込んだ。

ブラジル労働党政府はトルコ正義開発党政府より融和的な態度で大衆交通料金 の値上げ撤回を表明した。ところがやはり多くの催涙弾を使い、騎馬警察をは じめとする暴動鎮圧警察を動員してデモを攻撃した。トルコと同じようにこの デモを爆発させたのは、警察の残忍な鎮圧だ。特に取材中のジャーナリストに 対する攻撃は、驚くべき残忍な行為だった。ここで再度確認できることは資本 主義における経済成長は、民主主義の拡散ではなく、権威主義的な支配の強化 のほうが似合っているということだ。

ギリシャ、国営放送閉鎖? それなら自分たちで運営する

だから問題は「民主主義」の問題でもある。だが民主主義の故郷であるギリシャ での「民主主義」は、静かに、だが確実に毎日毎日死に向かっている。トロイカ [ヨーロッパ連合EU、ヨーロッパ中央銀行ECB、国際通貨基金IMF]から財政 赤字削減の緊縮政策の圧力を受けていたギリシャ政府のアントニス・サマラス 総理は、6月11日の夜、何の事前予告もなく国営放送局ERTの閉鎖と労働者2656人の 解雇を決めた。ギリシャの市民は12日、ヨーロッパで唯一の国営放送がない朝を むかえた。この過程で新民党の指導者アントニス・サマラスは、連立政権を構成 する他の政党との間で事前に議論もしなかったという。民主主義は寡頭支配内でも 作動せずにいる。

解雇された2656人の労働者は、すぐに放送局を占拠して労働者の統制下で制作 された放送をインターネット生中継で送出し始めた。数千人の市民は政府の 攻撃から労働者たちを防るために、放送局の外に集まり始めた。ヨーロッパで 唯一、いや世界で唯一、労働者が統制している放送局ERTのあるスタジオの窓には このような文がかかっている。「革命はTVで放送されない」

資本主義における「民主主義」への約束は、当初は実現不可能だったのかもし れない。歴史の終末という評価を受けて、共産主義体制と呼ばれた国家から、 資本主義国家へと移行するにあたり導入された民主主義の東ヨーロッパでの 失敗を見れば、そうした疑いは確信になる。わずか5週間前に総選挙を行った ブルガリア政府は、腐敗した政治家でマスコミの実力者であるデリアン・ ペーブスキーを国家安保部の首長に任命し、市民の巨大な抵抗に包まれた。 ペーブスキーは腐敗の容疑で捜査を受けたことがあり、マフィアとの関連も 疑われている。市民は彼を「マフィア」と非難して、辞任を要求している。

5月の総選挙は、2月の電気料金値上げに反対する巨大なデモの結果だった。 2003年以後、民営化政策が本格化し、電気の供給も外国系企業に渡ってしまった。 2012年の7月に電気料金を13引き上げた結果、冬の暖房のための電気料金は労働者 が負担できる水準を越えてしまった。失業者のモニカ・バサレバは「私が求める 雇用は給料が200〜350ドルなのに電気料金は135ドル以上払わなければならない」 と事情を説明した。怒りが爆発しないわけにはいかなかった。政治家たちは危機を 収拾するために、議会を解散して早期の総選挙を実施したが、彼らは相変らず ブルガリア人民の生活の質の向上には無関心であることを、腐敗政治家の ペーブスキーを国家安保首長に任命したことで表わした。ブルガリアの人民は、 もう耐えることができずに爆発したのは当然だ。

しかしブルガリアには責任を取る政治家はどこにもない。前の総選挙で第一党 になったが過半に満たない旧与党のヨーロッパ発展市民党(GERB)は、政府の 構成をあきらめた。第二党のブルガリア社会党(BSP)が他の党と共に政府を構成 したが、今回の国家安保首長任命で高まったデモで膠着状態におちいったのだ。 特にペーブスキーの任命は、わずか15分ほどで何の討論もなく、議会は一瀉千里 に処理した。腐敗した政治家と犯罪者を代表するだけの議会は、もはや市民の 意思を代表する機構ではない。数万の市民がソフィアの道路で議会の解散を要求 して戦っている。ブルガリア人民の抵抗に支持を訴えるゲオルグ・マリノフは 民主主義が導入された後に24年間の腐敗と無能にもはや耐えられず、怒りが 爆発したと説明した。

ボスニア・ヘルツェゴビナ、無能な政治家たちが市民の分裂を望む

民主主義、法と制度の失敗は、文字通り貧しく抑圧される人々の命を威嚇する。 ボスニアでは、一人の子供が命を失った。3月にボスニアのセルビア系ムスリム の家族で生まれたベリナ・ハミドビクは、緊急な治療が必要だった。ボスニア では治療ができなかった。治療のためにセルビアに行かなければならなかった。 しかし彼らの家族は治療のための国境通過ができなかった。新生児の社会保障 番号登録のための市民権法が、去年の冬に期限が満了したためだ。だが新しい 市民権法は、まだ議会を通過していない。数千人の子供たちが未登録のまま、 いないものとして扱われている。ベリナの家族は大衆の関心により、なんとか 「特別な」証明書の発給を受けたが、長い内戦と対立で偏見に凝り固まった 人種差別的な国境管理公務員の制止により、結局間に合わなかった。ベリナの 時間は永遠に終わってしまった。怒った市民はサラエボの道に飛び出して議会を 封鎖した。新しい市民権法が通過するまで、下院議員の出入を認めないという 勢いだった。結局、総理は窓から逃亡しなければならなかった。

ボスニアの主要三政党は、1995年に終わった内戦に、そのアイデンティティの 根を持っている。表面的にはムスリムと非ムスリム、セルビア系とボスニア系 の宗教的・民族的対立が主な原因のように見える。実際に、新しい法律が通過 できないのは、セルビア系が新しい市民権に宗教的・民族的アイデンティティ を入れることを主張し、多数派のボスニア系は宗教的・民族的アイデンティティ とは無関係な任意の番号を付与することを主張しているためだ。しかしそこに はヨーロッパ連合の開発借款と、世界銀行・外国人投資家の互恵を期待して 人民を分裂させることを望む政治家の策略が大きな役割を果たしている。 ボスニア・ヘルツェゴビナのJMBG運動は、こうした政治家への怒りから始まった。 結局、ボスニアでも「議会民主主義」は平凡な人々の暮らしには何の役にも 立たずにいる。

公明な抵抗、広場に未来が芽生える

これらすべての事件がわずか一か月にもならない時間に行われたのだ。世界の あちこちで、である。ローマグ(ROARMAG.org)の編集者、ジェローム ロスは、 これを「公明な抵抗」と呼ぶ。現在、世界のあちこちで行われている抵抗は、 互いを励ましあい、共に成長している。われわれは実際にそれぞれの抵抗で 互いの闘争を支持し鼓舞するスローガンとプラカードを容易に見つけること ができる。
「私たち皆がタクシム・サラエボ・サンパウロだ(We are all Taksim、Sarajevo、Sao Paulo)」

始まりはチュニジアだった。2008年の経済危機、その前から始まっていた投機屋 の国際穀物投機による穀物価上昇から始まった経済的抵抗は、初めから権威主義的 な支配に対する反乱と結びついた。それは今、さらに普遍的な民主主義的権利への 要求に成長している。他の何よりも、この10数年間の経済成長の終わりに起きた 現在の経済危機は、資本主義社会が平凡な人々の人生を扱う方式としては、 民主主義的な原理とは全くかけ離れた原則により支配されていることを暴露 している。世界のあちこちで続く闘争で、その象徴としてそれぞれの広場が浮上 しているのは、何よりも意味深い。ギリシャのシンタクマ、エジプトのタハリール、 トルコのタクシム… 「広場」こそ民主主義の出発点ではなかったか。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2013-06-21 22:40:38 / Last modified on 2013-06-21 22:43:29 Copyright: Default

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