韓国:みじめさから読み出す革命〈レ・ミゼラブル〉と2013年 | |||||||
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みじめさから読み出す革命[ミョンスクのムービー、ムーブ](8) 〈レ・ミゼラブル〉と、2013年
ミョンスク(人権運動サランバン常任活動家) 2013.01.05 18:59
わらでも捕む心情だろうか? 人々は絶望で苦しまないために、落ちる時、わら でも、小さい石でも捉える。大統領選挙以後、多くの人々の虚しい胸をヒーリ ングで満たしたというその映画〈レ・ミゼラブル〉を私は大統領選挙の日に見 た。封切りから二日目の12月19日、映画が終わった自国は夜10時半頃で、朴槿 恵(パク・クネ)候補の当選が確実だという記事のため、映画を鑑賞する心の余 裕もなく、嘆きのおかげで映画は頭のかなたに飛んで行った。ところで、どう したことか大統領選挙が終わった後も多くの人がこの映画を見て気持ちをなだ めたという話に接し、一方では驚きもし、一方では理解できた。誰かの人生で 私たちが『何か』を読みだす時、事実は自分が得たかった『答』であることが 多い。知らなかったのではなく、知っていたがそれを言うにはあまりにも呆れ 返る現実がその答を口に出せないことはよくあるではないか。 ミュージカル再現映画?映画の好き嫌いは実は好みの差でもある。〈レ・ミゼラブル〉はミュージカル 映画だ。その面でミュージカル映画が好きな人なら少しは残念でもうれしく、 反対にミュージカル映画をあまり好きではない人ならストーリーの展開が劇的 な、それで連結が不自然に思えて映画が雑に感じられたりもするだろう。私は 前者に属する。だからなのか? ミュージカル映画としては初めて試みられた 『現場録音』がとても残念だった。現場録音だから俳優の演技や没入度は高い が、声量不足の俳優が歌う歌はミュージカルを見る時ほどの吸引力はなかった。 それでも一編のミュージカルを見るようだった。歌う俳優を観客の視線が動く ように表現したカメラアングルや重要なソロの部分では、ロングテークを使う などの方式はよくできていた。特にファンティーヌ役を演じたアン・ハサウェ イが『I dreamed a dream』を歌う場面は、ミュージカルの舞台のような感じを 与えるように照明を当てただけでなく、驚くべき歌唱力と演技によりミュージ カル映画としても遜色がなかった。 だからミュージカルのようでもあるのだが、いったい監督はどんな役割を果た したのかという批判を受けたりもする。ミュージカル〈レ・ミゼラブル〉を見 ない人も、映画の基本あらすじを知らない人も、感動を与えられる程の自然の 劇構成ではないからだ。恐らくヴィクトル・ユゴーの小説原作をミュージカル に再構成したキャメロン・マッキントッシュが今回の映画の製作者だという点 が一役買ったのではないかと思う。 [出処:レ・ミゼラブル画報] 失敗したが革命を読みだす映画の題名の『レ・ミゼラブル』はフランス語で、韓国語で翻訳すれば『みじ めな人々』程度に訳せる。映画のストーリーは、多くの人が小さい時に読んだ ジャン・バルジャンの話だ。腹を空かせたおいのためにパンを盗んで5年を求刑 され、脱獄を試みたが、19年を監獄で暮らしたジャン・バルジャンが、出所後 に神父の慈悲により変わった人生を生きていくが、相変らず彼を追う警官のジャ ベールのおかげで困難を味わうという内容だ。またジャン・バルジャンが工場 長で市長だった時、雇われたファンティーヌが解雇され、自分の子供コゼット を扶養するためにからだを売らなければならず、これに対する贖罪でコゼット を扶養してコゼットが愛する革命軍のマリウスをジャン・バルジャンが救い出 すが、革命は失敗して二人は結婚する。あらすじだけを見れば主なメッセージ は、あるいは神父とジャン・バルジャンが見せた無限の愛かもしれない。それ でも人々がここに革命を読みだす理由は何だろうか? 恐らく大統領選挙の結果が見せた韓国社会の保守性と保守的な選択をせざるを 得ない韓国社会の『みじめな』現実が、映画に描かれた1832年のみじめな現実 が似ているためではないか。そして映画の最後の場面で勝利を約束する革命軍 の歌が鳴り響く時、今回の失敗が永遠の失敗ではないという希望、革命で実現 する明日はまたくるという希望を、人々は読もうとしたのだ。 個人的には映画で感動的だった場面は、少年兵のガブローシュがバリケードの 前に出て弾丸と銃を持ちに行って死ぬ場面だ。皆が意気消沈している時、彼は フランス大革命の歴史を再確認するように「私たちは王の首も取った」とし、 若いからと馬鹿にするなと言って先んじて死ぬ。映画全体がジャン・バルジャ ンの家父長的な保護と宗教的な愛で困難に勝ち抜くという封建的な思考が主を なしていることに較べれば、この部分は違って見える。少年が触媒になるとい う点で、そして彼の大胆な態度と革命に対する固い意志を見せる歌の歌詞で、 年齢、性別を問わず革命の主体になることを示すからだ。もちろんこのように 読むことが原作が意図するものでも、映画製作者や監督の意図とは少し距離が あるだろうが。事実、映画ではガブローシュの死は犠牲と読まれたりもする。 ミュージカルと違い、映画ではマリウスとコゼットの書信を渡して恩典を受け たのが少年で、恩典は慈悲と犠牲を象徴するからだ。少年ガブローシュの人生 は、小説レ・ミゼラブルではとても大きな分量で扱われる。ユゴーはみじめに 暮らす人々が実際にどう暮らし、どう戦うのかを見せてたかったようだ。 1848年ではなく1871年を!映画はフランス革命と反動が二転三転する激動のフランス革命期を背景にして いる。王政政治の象徴である王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットを巨大 な断頭台のギロチンで首を切った1789年のフランス大革命は、共和政を樹立する。 だが10年後の1799年、ナポレオンの軍事的政治で、ついに1815年にはルイ18世 とシャルル10世が執権する王政復古時代につながる。映画は反動の時代が始ま る王政復古期に始まり、学生がバリケードを打ってデモする1832年6月蜂起まで 続く。1832年は1830年の7月革命で執権したルイ・フィリップの立憲君主政時代 で、食糧難とコレラなどの病気で民衆はみじめに暮らす。ラマルク将軍の葬式 を基点に、学生たちはもう一度蜂起を試みるが、二日後に鎮圧される。だが 多くの人々は映画で失敗した蜂起が1848年の革命に続くと思い、慰められたり もする。今は18代大統領選挙では維新政権の影に負けたが、1848年の革命のように 後の日を約束できるということだ。 だが小ブルジョアと労働者階級が協力して作り出した1848年2月革命はマルクス が『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』でも評価したように、ナポレオン のおいルイ・ボナパルトを選択する喜劇で終わった。共和国は作ったが、階級 支配は変わらなかっただけでなく、人々は皇帝ナポレオンを追憶して、ルイ・ ボナパルトを選択する。朴正煕の幽霊が、朴槿恵を生んだように。だが1871年、 2が月間、パリで作られた自治政府のパリコンミューンは、短いが労働時間短縮 と製パン労働者の夜間労働撤廃、無償教育、女性参政権の実現など、私たちが 望む社会が何かを示した。2012年12月を体験した韓国で生きる私たちが期待す ることは、1848年ではなく1871年ではないだろうか? その点で、反MBでは、生 きるために高空籠城をしたり自ら命を絶つみじめな新自由主義の横暴を防げな いということをわれわれはどれだけ悟ったのか! また反朴槿恵だけを叫ぶのだ ろうか? 朴正煕の幽霊で権力を占有した朴槿恵当選者に人々が期待するのは、 1848年と何が違うのか? 反MBというぬかるみの中から抜け出して、また反朴槿恵 でもがきたくなければ、われわれは何をしなければならないのかという質問を 十分にかみしめるべきではないだろうか? 名曲、だが残念な翻訳映画の話がこれほど固いのは、時期が時期だからのようだ(陳謝!)。その他にも ジャベールと法治主義の話をしたいが、ここらで終わらせて映画の話に戻ろう。 蜂起の話がマリウスとコゼットの結婚で終わることにあきれても、映画を見れ ば良い。理由は歌のためだ。ミュージカル映画だけに、立派な曲だけを聞いて も映画を見た元手は残る。そのうち一番人々の脳裏に残るのは革命軍が歌った 民衆の歌だ。直訳すれば『聞こえるのか、民衆の歌』という題名で、革命軍の 精神がそのまま含まれている。奴隷として暮らさず、自由に向かって戦い、 いつか明日が開かれ朝がくるという歌詞だ。あまりにも雄壮な歌なので歌詞の 内容を知らずに聞いても感動を与える。だが韓国の現実を反映しているのか、 残念なことにおかしな翻訳があった。バリケードにのぼった革命軍が歌う歌と 全くふさわしくなく、「Will you join in our crusade?」を「愛の戦士に なろう」と翻訳して、感想の興味を壊した。直訳すれば「運動に参加しよう」 と言うところを愛の戦士になろうとした理由はわからないが、苦々しい。原作 が革命の主体である民衆を集団的な主体として考えられなかったとしても、 歌の歌詞を愛の歌に聞こえるように翻訳する理由はないではないか。 闘争で胸が高鳴る民衆の声を2013年に聞くことを、楽しく民衆の歌を聞くこと を期待して.... When tomorrow comes! 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2013-01-07 07:28:15 / Last modified on 2013-01-07 07:29:27 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ |