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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『パンとペンの事件簿』(柳広司)
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毎木曜掲載・第375回(2025/1/23)

「冬の時代」の抵抗

『パンとペンの事件簿』(柳広司著、幻冬舎、2024年11月刊、1600円)評者:佐々木有美

 著者の柳広司は、『太平洋食堂』『南風に乗る』『アンブレイカブル』など一連の作品で、世に抵抗する人々を描いてきた。わたしは、最新作の本書を、柳のいまの時代への危機感と切実な思いの結晶と受け止めた。

 主人公は元職工の青年。職場でモノを言おうとしたら、さんざん殴られたあげく小路に捨てられた。それを救ったのが「売文社」のメンバーたちだ。物語はここから始まる。「売文社」は、1910年に社会主義者堺利彦が作った実在の会社である。幸徳秋水や菅野スガら12人の無政府主義者、社会主義者が死刑とされた大逆事件(1910年)以後、日本の社会主義運動は「冬の時代」を迎えた。厳しい弾圧の中で、堺は「売文社」を作って自分と仲間たちの生活を支えた。

 まず「売文社」とは何か。「およそ文章に関する依頼であれば何でも引き受ける」会社である。慶弔文や手紙の代筆、意見書、報告書、広告文から、果ては卒業論文の代筆まで。堺は、「冬の時代」に“ペンを以てパンを求め”たのだ。物語に登場する「売文社」をめぐる人物たちが魅力的である。真面目でまっすぐで心優しい荒畑寒村。おしゃれで外国語に堪能、強情で吃音も魅力のアナキスト大杉栄。奇行の弁護士山崎今朝弥。懐の深さがきわだつ堺利彦。初期社会主義者たちの自由さ、奔放さが眩しい。

 堺が時として口にする社会主義の定義は、わかりやすい。主人公が石川啄木の短歌「はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり…」をつぶやくと、堺は、それが社会主義だという。また企業家や金持ちではなく、「実際に額に汗して働いている者が報われる世の中にしよう――というのが、われわれの社会主義」。社会主義者とはどんな人なのかと問う、わが子真柄(まがら)には「弱気を助け、強きを挫く者のことだ」と。その後の社会主義の紆余曲折を思うと、こうしたあたりまえの言葉が胸に響く。


*売文社の人たち

 「冬の時代」はいつか過ぎ去る、しばらくは「猫を被ってやりすごす」という堺。しかし、それは「座して待つ」ことではなかった。仲間に外国語の習得をすすめ、言葉をきたえ、物の見方を多様にし、権力者の言葉を疑う。そしてユーモアや諧謔を駆使して、弾圧を笑いのめし、抵抗する。売文社が出していた月刊の宣伝広告紙『へちまの花』は、そうした堺と読者がつくる、「遊び」あふれる媒体だった。堺は後の世に、「冬の時代」の抵抗の姿を示してくれた。

 この物語は「売文社」発足から5年後の1915年を舞台にしている。その前年の1914年には、吉野作造が「民本主義」を唱えて、大正デモクラシーに先鞭をつけた。第4章「小さき旗揚げ、来たれデモクラシー」は、こうしたチャンスを的確にとらえた堺利彦が、『へちまの花』の最終号を出し、新たに総合雑誌『新社会』を出すところでおわっている。「社会」という言葉を使えば、たちまち発行禁止となった「冬の時代」に自ら決別し、「小さき旗揚げ」をした堺の時を見る目の確かさと、行動力に驚く。

 自らの社会主義を労働者や小作人と区別して、「インテリの道楽」と称した堺だが、「何もせず、黙っていたら、一握りの金持ち連中と権力者にとってますます住みよい世の中になるだけだ。…そんな社会がいやなら、いやだと言う。押し返す。その実現のために一歩でも務める。」堺のことばは、今を生きる人々へのエールである。

※著書もふれているが、この物語は黒岩比佐子氏のノンフィクション『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』を参考に書かれている。こちらもぜひ併読してほしい。


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