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LNJ Logo 中国:フェミニスト・ファイブの弾圧から10年(その2)
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〔レイバーネット国際部・I〕

続きです。 原文「低音〜時代の声なき声をVoice the voiceless」より https://diyin.org/article/2025/03/li-maizi-after-feminist-five-arrest-2015/ ============ 2015年までは、私は誰もがフェミニズムを受け入れ、市民社会の存在の重要性を理解して いる快適な環境のなかで生活していました。しかし、この留学支援会社に入ると、政治に あまり関心のないオフィスワーカーのグループに直面することになりました。上司は比較 的成功した独身女性であるためか、いわゆる愛人〔原文:小三儿=カネのある既婚男性と 愛人関係をつづける女性の呼称〕を非難した。私はその上司に、それは女性が悪いのでは なく、男性が悪いのでは、と冗談っぽく伝えることも学んだ。しかし時が経つにつれ、彼 女が愛人女性を嫌う理由も理解できるようになった。というのも、彼女自身も非常に努力 家で、他人に頼って自立していない女性を嫌っていたからだ。私の周りには結婚生活がい かに不幸であるかをよく嘆く既婚女性がたくさんいるが、離婚することは大きな決断が必 要にも思えた。同僚が恋愛問題で問題に直面したときも、私は自分のできる限りを尽くし て支えた。 他人を助けることは、私は得意なことのように思えるが、営業でお金を稼いだり、留学支 援会社のコンサルタントとして働いたりするのは苦手だった。 その業務の経験が不足していたため、会社の会議室でよく叱責された。部署が企画した模 擬販売セッションがいくつかあり、おそらく10 問以上の質問をされたのだが、私はあい まいにしか答えられなかった。主な問題は、消費者心理を理解する方法を知らなかったこ とにあった。自分は頑固なロバのように、顧客が聞きたくないことでもお構いなしに言っ ていた。しかしマーケティングというは玄学のようなもの〔玄学は老荘思想を発展させた 魏晋南北朝時代に隆盛を誇った哲学思潮〕。以前の仕事は、クライアントの要求を満足さ せるのではなく、自分からアイデアを提案して相手に受け入れてもらう仕事だったので、 当然、どうしたらクライアントを満足させられるか、どんな言葉をかければ相手が契約書 にサインしてくれるかがわからなかった。 それでも、その年、私はその会社に正社員として採用された唯一のアメリカ留学のコンサ ルタントになった。米国留学業務の単価が高かったため正社員採用のためのノルマを達成 できたが、他の使用期間中の営業スタッフはノルマを達成できず不採用になった。私は試 用期間が1か月延長され、4月から正社員として採用された。その年の売上は75万元。私た ちのチームは会社全体で業績1位を獲得し、もちろん営業マネージャーが一番頑張ったと 思う。会社は非常に好意的で、私たち4人のチームメンバーを日本のツアー旅行に連れて 行ってくれた。 日本から帰国した後、コロナが蔓延し、経済的なプレッシャーも感じ、安定した給与のあ る社内の他の部署に異動したいと考えていた。その結果、会社の人事部は適当な理由をつ けて、私の基本給を引き下げてしまった。私はとても不満だったので、コロナ期間中に新 しい仕事を見つけた。 私がその会社を選んだ理由はとてもシンプルだ。職場の雰囲気が比較的リラックスしてい て自由であること。管理者も1990年代生まれで、海外からの帰国子女で、比較的オープン マインドな人たちによって運営されていた。服装規定はなく、上司はLGBTコミュニティに 対して差別のない女性だった。人事部から渡された給与明細書はまともなもので、しっか りした会社だと思った。 しかし入社して数日後、会社には非常に厄介な問題があることを知った。もちろん、これ は多くの中国企業に共通する問題なので詳しくは述べない。この新しい会社に出勤した初 日、隣に座っていた女性が、無機質に仕事をしているように見えた。どうしたのかと彼女 に尋ねたところ、彼女いわく、この会社を辞めると言った。私は理由を尋ねました。彼女 いわく、この会社では誰も自分をよく思ってくれないと感じていると。このような企業文 化は有害だと思う。初日からこんな感じだったので驚いたが、ともあれ仕事は続けた。あ る意味、会社と私は愛憎関係になる運命にあったのだとおもう。 私はつまらない人間だが、面接のときは「将軍になりたくない兵士は良い兵士ではない」 などと断言した。人事部は私がかなり激しい人間だと思ったのかもしれない。どのような 立場であっても、私のセールスポイントは責任感にある。時には、責任感が強すぎて自分 でも困ることもあるが、「他人を助けたいという責任感はいったん脇に置き、まずは相手 の運命を尊重する」ように自分に言い聞かせている。 セーフティーゾーンから抜け出して職場で4年間働いた後、私の全身に生えていた棘はあ る程度滑らかになり、さまざまな女性の選択や特定の発言の動機をより理解できるように なった。私は男性のことも理解できるようになった。というのも、ごく短い期間だったが 男性の上司のもとで働いたからだ。彼は特異なほど性格がよかった。私の父は短気で、家 庭内暴力や幼少期に受けた性暴力もあり、男性に対して良い印象を持っていなかった〔『 フェミニスト・ファイブ』第四章に詳しい〕。しかし、この性格の良い上司は、職場では 仕事の話しかしかったので、あっさりとしていた。こうして私の男性に対する見方はすこ し変化した。しかし、それでも私はよくこう言う。「男性はダメ、女性はスゴい」。だっ て本当にダメな男だらけだから。 営利企業で社畜として働いていた4年間あいだ、私は中国のフェミニスト運動やLGBT運動 にできる限り参加しようと努めた。2020年12月2日の夜、私たち全員が北京の海淀区裁判 所の門の前で、弦子が朱軍を訴えた裁判の判断を待っていたときのことを今でも覚えてい る。仕事の都合で数時間、その場を離れなければならなかったのは残念だったが(※訳注 )。他にもまた、LGBTの合唱団である北京クィア合唱団にも参加した。いまはもうなくな ってしまったけど。北京クィア合唱団は改名を余儀なくされ、北京同志〔同性愛者の意〕 センターは閉鎖を余儀なくされ、多くのLGBT活動家は海外に移住した。コロナが蔓延して いた時期、多くの活動家にとって中国を離れることは選択肢になっていたようで、私もそ の例外ではなかった。 ※訳注:2014年、国営放送でインターンをしていた弦子さんは有名司会者の朱軍からセク ハラを受け、すぐに警察に届け出たが警察の強い勧めで不本意ながら告発を取り下げた。 その後2018年10月25日に改めて告訴し、20年12月2日に公判が開かれ、21年9月14日の一審 判決は証拠不十分で訴えは棄却。控訴審でも22年8月10日に一審判決維持の判断が出た。 WANのサイトに弦子さんが思いをつづった文章が日本語で掲載されています。ぜひご覧く ださい https://wan.or.jp/article/show/10654 (つづく)

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