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〔レイバーネット国際部・I〕

ロシアの労働組合活動家で、国際食品関連産業労働組合連合会(IUF)のジュネーブ本部 で政治担当書記を務めるキリル・ブケトウさんの論考を紹介します。 ここ最近目にするのはトランプ批判やトランプ賛美ばかりでしたが、侵略の当事者である プーチン長期独裁政権に対する労働運動からの批判的視点の紹介です。 ブケトゥさんの論考では、2014年3月のクリミア侵攻の際のロシア国内の反戦運動とそれ 以降のプーチンの過酷な弾圧から振り返っています。またロシアの反体制・民主化・反戦 運動における労働者の視点の重要性を訴えています。 ブケトゥさんはモスクワ出身で2008年からジュネーブ本部で働いている。旧ソ連時代の末 期から組合活動に参加し、旧ソ連諸国をまわって、タバコ、漁業、食品産業の組合を設立 した。ソ連末期にはすでに、当時レンガ職人と工場労働者だった彼は、独立した労働組合 の設立にも参加。モスクワ国立教育大学で歴史、法律、哲学を学んだ後、当時まだ進歩的 だったロシアの労働組合連合FNPRの新聞「ソリダノスチ」の副編集長を3年間務めた。 ブケトウさんは、現在活動しているスイスのナショナルセンターUniaとスイス社会党ジュ ネーブ支部のメンバーで、東ヨーロッパの労働運動を研究するためのオンラインポータル 「ラボチャヤ・ポリティカ」の編集者も務めています。 原文はUniaのサイト(ドイツ語)から。 https://www.workzeitung.ch/2025/03/ein-russischer-gewerkschafter-rechnet-ab/ 英語訳は、国際左翼のニュースサイト「国境なきヨーロッパ」より https://europe-solidaire.org/spip.php?article73896 以下は、AI翻訳に手を入れた参考訳です。 =========== ◆ウクライナ戦争の3年間:ロシア人の労働組合活動家からの報告 キリル・ブケトウ(2025年3月4日) 戦争は2014年に勃発した。ロシアが初めてウクライナに軍隊を派遣したとき。しかし、こ の戦争は数か月以内に終結しました。ロシア当局はウクライナ国民からのこれほど強い抵 抗を予想していなかった。彼らは積極的に抵抗し始めた。しかし、ロシア当局は国内でこ れほど強い抗議の波が起こるとは予想していなかった。 2014年から2015年初頭にかけての〔ロシア国内の〕反戦抗議運動は大規模なものだった。 数十万人、おそらくは数百万人もの人々が街頭に繰り出しました。多くの人々もロシア当 局の行動を静かに非難した。残念なことに、この恐怖は、積極的に抗議しなければ、作戦 の第二段階として続くことになるだろうということを、当時は誰もが認識していたわけで はなかったことだ。 とはいえ当時街頭に出た人々の数は非常に印象的だった。インターネット上には、モスク ワやサンクトペテルブルクの街路や広場がウクライナ国旗を掲げた人々で埋め尽くされて いる様子を示す写真や動画が数多く掲載されている。今日、私たちがウクライナ人の友人 と一緒にこれらの写真を見ると、かつてモスクワにこれほど多くの黄色と青の旗があった とは信じられないようだ。そして、多くのスローガンがロシアによる侵略の終結を訴えた 。 2015年2月に作戦は中止された。しかし、私たちはそれが単に中断されただけで、当局が すでに新たな戦争を準備していることを知らなかった。 2014-15年以降、どれだけのロシ アの資金と資源が軍事機構に投入されたかがわかる。特に黒海地域がアップグレードされ た。しかし、同時に民主主義制度の解体が始まったことを忘れてはならない。 ◆市民社会を粉砕し、戦車を投入 最も重要な出発点は、当時プーチン大統領の最大のライバルであり、最も著名な戦争反対 者であったボリス・ネムツォフ氏の暗殺である。彼は2015年2月27日、モスクワの赤の広 場のすぐ近くで射殺された。その結果、大規模な抗議の波が起こった。再び、何十万人も の人々が街頭に繰り出した。その後、当局は、都市の中心部で毎晩反対派を殺害すること は、望ましい効果をもたらすどころか、むしろ抗議活動を拡大させるだけだと気づいた。 【写真説明:終わりの始まり: 人々は殺害された野党指導者ボリス・ネムツォフ氏を花で 追悼している。さらに多数の野党指導者に対する攻撃が続いた。 (写真:キーストーン )】 その後、反体制派を排除するための他の仕組みが導入され始めた。毒物、特にノビチョク 〔神経剤〕の使用が増加した。ロシアの野党指導者の多くが毒殺未遂事件の犠牲者となっ ている。さらに、自由メディアは次々と独立性を失い、その後、閉鎖に追い込まれた。政 治活動家らは長期の懲役刑を宣告された。裁判所は従順さが十分でない裁判官全員を入れ 替えた。 大量逮捕と大規模な裁判が行われた。これまでの弾圧は個別の事件に焦点を当てていたが 、2015年以降は集団訴訟や裁判が開始された。罰はより厳しくなった。同時に、すべての 民主的な制度が縮小され、民間組織は閉鎖された。 2021年末、1975年のヘルシンキ会議とそこで確立されたヨーロッパの安全保障の基本原則 にまで遡る人権団体、モスクワ・ヘルシンキ・グループが弾圧された。 2022年2月、旧ソ 連共産党に抑圧された被害者を追悼し記憶する人権団体「メモリアル」がついに解散〔 2021年12月最高裁判決で解散命令〕。これにより、市民社会の解体プロセスが完了した。 その後すぐに、戦車部隊によるウクライナ侵攻が開始された。 ◆プーチンが弱体化するルカシェンコを支持する理由 これは重要なので、詳しく説明しよう。国内政策と外交政策の間には直接的なつながりが ある。そして、国内における市民の自由に対する攻撃的な抑圧の問題を解決しなければ、 戦争主導の外交政策の問題を解決することはできない。外交政策と国内政策を切り離そう とするなら、いかなる和平プロセスも失敗するだろう。 2022年2月24日にロシア軍がウクライナ国境を越えたとき、ロシア国内の反戦運動はすで に弾圧され、行動するためのあらゆる手段と体制を奪われていた。私たちにはもはや抗議 する機会がなかった。少なくとも2014年のようには。社会はショック状態にありました。 多くの人が街頭に繰り出そうとしたが、抗議活動は小規模で、ほとんどが沈黙していた。 横断幕やポスターを掲げた者は直ちに逮捕された。 【写真説明:芽を摘む…2022 年の戦争動員に反対する今回の抗議活動のようなあらゆる 形態の抗議活動は、警察によって鎮圧された】 ベラルーシの民主的な大衆運動は同様の方法で抑圧されていた。 2020年には何千人もの ベラルーシ人が選挙結果の不正に抗議するために街頭に出た際、プーチン大統領がアレク サンドル・ルカシェンコ大統領を支持するよう介入したことに彼らは心から驚いた。そし て、なぜロシア当局がこの弱体化した独裁者を支持したのかについても疑問に思った。プ ーチン大統領はルカシェンコ氏以外の誰にも勝利を許すことはできない、なぜならベラル ーシにウクライナ攻撃の場を提供できるのはルカシェンコだけであるからだ。この意味で は、ベラルーシとロシアの運命は似ている。両国はプーチン大統領の軍事的野心の人質と なっている。 2022年2月、ロシアとベラルーシでは何百人もの政治犯が投獄され、抗議する人々にはひ どい非人道的な監獄が用意され、市民活動家には残酷な拷問が大量に行われ、当局の行動 に対して声を上げる機会もなくなった社会は、真に暗く、士気を失ってしまった。 ◆ショックから連帯へ その後の3年間もいくつかの段階に分けられる。最初の一年は麻痺の一年だった。人々は 衝撃を受けた。多くの人々は、何かを変える可能性を信じられなくなった。多くの人々は 自分自身と家族を守るために逃げ、新たな居住地を見つけなければならなかった。人々は トラウマを負い、落ち込んでいた。 しかし、2022年3月には、ロシアの市民社会は、自分たちを覆っていた核の塵を払い落と し始めた。最初の、そして中心的な課題は人道的だった。ウクライナでの軍事侵略で苦し んだ人々を助けることだ。この最初の1年間で多くのことが行われた。ここ西側では、ほ ぼすべての人道的回廊で、ロシアの市民社会の活動家がウクライナ難民を受け入れた。プ シェミシルからワルシャワ、ベルリンなど、難民が到着するところはどこでも、ロシア人 も受け入れの準備ができていた。 ロシア語を話す人々の需要は高かった。なぜなら、戦闘から逃れてきた人々の大半はウク ライナ東部から来たからだ。彼らにとって、ロシア語は当然ながら主なコミュニケーショ ン言語だった。そして、多数の宿泊施設、難民キャンプ、法律情報センターがロシアの活 動家によって組織された。彼らはこれを好機と捉えた。戦争を止められない自分たちの無 力さを弁解するためではなく、ロシアが隣国とその住民に与えている損害を少しでも埋め 合わせる機会だと考えたのだ。 ヨーロッパ全土で行われたウクライナ支援のための大規模デモも、この時期に非常に重要 だった。難民の避難と受け入れ、チューリッヒ、ベルン、ジュネーブなどでの大規模な連 帯行動など、あらゆる場所でこれらのデモはロシアの活動家たちの参加によって準備され た。 ◆亡命先で文化が栄える しかし、このような行動はヨーロッパでのみ起こったわけではなく、2022年春にはロシア でも戦争に反対する請願が数多く行われた。医師、教師、大学教授、学生らが署名した。 その結果、これらの請願の発起者や署名者は迫害され、公の場で抗議することが不可能に なった。 徐々に、この運動は他の国々にも広がり、亡命先、特にヨーロッパ諸国で、多くのロシア の市民社会組織が復活した。今日、数え切れないほど多くの新しいメディアがある。ロシ ア語で発行されている民主的な新聞がある。ウェブサイトやウェブリソースがある。テレ ビチャンネルがある。ブログがある。ロシア語で本を出版している出版社があり、これら の本の流通ネットワークがある。スイスには「ダール」文学賞があります。150人以上の ロシア語圏の反戦作家がすでにこの賞に応募している。ミュージシャンも演奏し、映画、 ドキュメンタリー、長編映画も作られている。そして、ロシアの演劇も活発だ。今日、チ ューリッヒやジュネーブなど、ほとんどすべての大都市に、少なくとも1つの反戦の信念 を持つロシアの演劇団がある。 何千人もの人々がこのすべてに関わっており、ロシア文化を本来あるべき場所、つまり世 界の人道的思考と人道的文化の懐に戻している。私たちはロシア語を、社会を統合する手 段として、またプーチンのプロパガンダに対抗する手段として使用している。 ◆民主党野党の重大な過ち この3年間で他に何が変わっただろうか。私たちは教訓を学び、多くのことを理解した。 私たちは多くの大きな間違いを犯していたことに気づいた。特に当時は、ロシアと独立国 家共同体(CIS)諸国で、市民社会組織や自由で独立した民主的な労働組合の構築に取り 組んでいた。 我々は、真の市民社会は完全に独立し、統制されないものでなければならないことを認識 している。政府は独自の財源を調達しなければならず、国家補助金、民間寄付者、寡頭政 治家の慈善活動、外国からの助成金に依存してはならない。そして、国家システムに対す る文民統制を維持するために日々時間とエネルギーを費やす意志のある人々に頼るべきで ある。 現在、自らを野党運動とみなすロシア民主運動は、さまざまな会議を開催している。そこ では、「将来の美しいロシア」の可能性とそれがどのようなものであるべきかについての 議論が行われる予定だ。多くの正しいメッセージを含む声明や意見が書かれている。たと えば、独立した議会、独立した政党、独立したメディア、独立した裁判所を求める声だ。 しかし、実質的には、どのプラットフォームでも、そしてこれらの覚書のいずれにおいて も、社会的な必需品や労働者の基本的ニーズへの訴えは見当たらない。民主化運動は依然 として、これら労働者や庶民をまるで存在しないかのように無視することを続けている。 しかし、これこそが、ロシアにおいて市民社会が持続可能な民主主義を確立できなかった 理由の一つなのだ。民主化運動のプラットフォームには社会正義の要素が全く含まれてい ない。賃金労働者がなぜ民主化運動を支持すべきなのか、貧困に陥っている庶民にとって なぜ民主主義が必要なのか、そのことが野党の民主化運動では語られていないのだ。 ◆貧困が戦争を引き起こす いうまでもなく貧困層の大量発生は、社会の戦争動員体制の構築にも貢献した。兵役に志 願した人々の主な動機は、プーチンへの政治的支持でも、ウクライナ人への憎悪でもなか った。主な動機は彼らの低所得だった。所得が低すぎるため、人々は適切な生活を送るこ とができない。また、質の高い情報、批判的思考を促す質の高い教育、文化にもアクセス できない。そしてもちろん、このような社会は戦争プロパガンダの最も重要な燃料である 。しかし何よりも、それは人々が戦争への参加に同意する経済的インセンティブを生み出 す。 ロシアの将来、東ヨーロッパの将来、そしてヨーロッパ全体の将来についての議論には、 新しい世界が労働者階級の要求、少なくとも最も基本的なニーズにどう応えるかという問 いに対する答えが含まれなければならない。人々には尊厳ある賃金と尊厳ある労働条件が 必要である。25年間の経済的繁栄の中で、多国籍企業がロシアから超過利益を搾取する一 方で、ロシアの労働者の賃金は悲惨な状態が続いた。戦争がまともな収入を得る唯一の手 段となった膨大な層が形成された。このようなことが繰り返されないためにも、社会正義 ぬきに民主主義と平和は達成できないことを認識しなければならない。これら3つの要素 は、互いに切り離して存在することはできない。 ◆持続可能な平和には何が必要か これらは、プーチン政権下の25年間とロシアとウクライナの10年間の戦争で私たちが経験 した極めて苦い経験から導き出せる最も重要な結論である。ちなみに、この戦争はロシア 社会内部でも激化しており、戦争に反対する人々と、戦争を利用して自分たちの排外主義 的・盗賊政治的な権力を維持しようとする人々との間で繰り広げられている。 逆説的だが、こうした排外主義的な感情は、戦争で利益を得た者たちが、アメリカ合衆国 大統領からという予想外の支援を受けることで、今やさらに煽られている。ドナルド・ト ランプは停戦と和平に関する協議を大幅に加速させた。しかし、これはいったいどんな平 和なのだろうか。ロシアが民主的発展の道に戻り、10年間続いてきた市民社会破壊計画を 覆さなければ、平和はどれほど持続可能になるだろうか。独立した裁判所と独立したメデ ィアが復活しなければ、「メモリアル」をロシアに復活させることができなければ、そし てこれが最も重要なことだが、ロシアとベラルーシの何千人もの政治犯が釈放されなけれ ば、はたしてその「平和」はどれほど持続可能といえるだろうか。 ウクライナ社会には公正な平和に対する独自の見解と独自の理解があることを私たちは知 っている。しかし、もう一つの中心的な要素があることを強調したいと思う。それは、ロ シアとベラルーシで独裁者が支配し続ける限り、ヨーロッパに永続的で公正な平和は訪れ ないということだ。 ===== ◆(囲み記事)最新情報:最近何が起こったか 最近、欧州各国の首脳らがウクライナ戦争の1か月間の停戦を提案した。この提案はロン ドンでのウクライナ首脳会談で議論された。欧州連合もウクライナへの支持を再確認し、 米国が支援を縮小した場合には、さらに責任を取る用意があることを強調した。 これに先立ち、ホワイトハウスの大統領執務室でスキャンダルが起きた。世界中の報道陣 の前で、ドナルド・トランプ米大統領とJ・D・ヴァンス副大統領が、ウクライナのウォロ ディミル・ゼレンスキー大統領を激しく非難したのだ。彼らはとりわけ、大統領の行動が 第三次世界大戦の危険を冒し、米国に感謝の意を示していないと非難した。クレムリンは この事件を喜んで取り上げ、ウクライナのゼレンスキー大統領が平和への最大の障害であ ると述べた。 トランプ米大統領はウクライナとの資源協定を推進している。条約の正確な内容はまだ明 らかになっていない。核心は、米国が戦争援助に対する補償、具体的には希土類、石油、 ガスなどのウクライナの原材料へのアクセスを求めることだ。ホワイトハウスでのスキャ ンダル後、ゼレンスキー氏はトランプ氏との原材料協定に署名する意思は依然としてある と強調したが、米国からの安全保障の約束なしに平和はあり得ないとも指摘した。 (以上)

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