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LNJ Logo 「ベントする時、東電はためらわなかったのか」〜井戸川前双葉町長の訴え
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堀切さとみ


 福島被ばく訴訟(井戸川裁判)が、2月5日に結審した。東京地裁103号法廷は満席。10年に及ぶ裁判を支え続けた人、今回初めて傍聴した人、双葉町民や福島県内から駆け付けた人もいる。11名の被告側(国・東電)代理人を前に、代理人も立てず、たった一人で原告席に立つ井戸川克隆さんを見守った。


*地裁前集会でマイクを握る井戸川克隆さん。「国のために働いたことはない。すべて町民のためだった」

 福島第一原発5,6号機が立地する双葉町。事故を起こす前から「町長、大丈夫です。事故は起こしません」と東電は言い続けてきた。双葉町民なら誰もが知っている「止める、冷やす、閉じこめる」。しかし、地震と津波で原発は壊れ、何一つ約束通りにはならなかった。そして、事故の半年前に佐藤雄平福島知事(当時)主導で行われた避難訓練マニュアルは、まったくもって反故にされた。
 あふれだす悔しさを、どうにか60分でおさめた最終陳述だった。

 井戸川さんは町民を福島県外に避難させた、ただ一人の首長だ。事故当時、アメリカは原発から80キロ圏外への避難指示を出したが、福島は20キロ圏内。人の命より経済優先、国の言いなりになってしまった福島県内59の市町村長の責任は重いと訴えた。
 その後、福島県民は20m㏜/年を受け入れさせられて、子どもたちは放射能に晒され続けていることを嘆いた。

 一番声を震わせたのは、ベントのことだった。
 「福島第一原発事故で世界初のベントが行われた。ベントというのは、放射能を放出する最悪の行為で、自分なら『死んでお詫びする』という気持ちになる。東電はベントするとき、ためらいや良心の呵責はなかったのか」「せめて合同対策協議会は『〇時に放射能を放出します。風下の〇〇の方向へ逃げてください』とアナウンスすべきだったのではないか」と。
 一号機のベントを始めたのは、3月12日14時30分と発表されているが、実はもっと前からだったという。黙って放出された町民の気持ちになってみろ。双葉町民はこんな目に遭わされたのだ。許せない。国は人を守らない。
 国を信じて性善説に立ったことが、町政を任された井戸川さんにとって、一番の後悔だったのだと思う。

 たった一人で、吠え続けてきた。こんな首長がいることを、多くの人は知らないだろう。避難計画を提出して再稼働を待ち望むような原発立地の町の首長は、井戸川さんのように闘う覚悟などないだろう。

 事故から14年間、たくさんの人が病に倒れ、亡くなった。でも、井戸川さんは元気だ。放射能による被ばくと政府の嘘から、町民を守りたい。その思いは14年間、まったく揺るがなかった。
 フクシマの「復興」に水をさす「危険人物」の裁判を、マスコミは一切とりあげていない。

 判決は7月30日10時30分から、東京地裁103号法廷で言い渡される。


*裁判後の報告集会で


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