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〔週刊 本の発見〕『未明の砦』(太田愛)
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毎木曜掲載・第361回(2024/9/19)

怒りこそ希望を生む〜本からえた力

『未明の砦』(太田愛、角川書店、2023年7月刊、2600円)評者:志真秀弘

 この長編小説の主人公は期間工と派遣工の4人の青年。自動車工場の組み立てラインで働く過酷な現実にとどまらず、物語は非正規労働者の希望のありかをくっきりと示している。

 夏の休暇になってもどこといって行く当てのなかった4人に、組み立てラインの年嵩の班長が房総半島の海沿いにある家を好きに使っていいという。4人はその夏までは顔見知り程度にすぎなかった。その家は、班長の亡くなった妻の実家だった。近くには妻の従姉妹が、旧家然とした屋敷に一人で住っている。その老婦人は、皮肉屋だが毅然としていて、魅力的だ。

 4人は少し気心が知れると、派遣工は期間工と違って楽だなどと罵りあって、諍いを起こす。「お前らみたいな馬鹿ばっかりだと、雇っている会社はさぞ楽だろう」と老婦人は面罵する。「お前ら」は仲間なんだ、手をつないで会社と向き合えと言いたかったのだ。彼女の暮らす白壁の大きな屋敷には大量の本を納めた〈文庫(ふみくら)〉がある。それを自由に使っていいという。

 日本の労働法制は占領下でどう変わったかが書かれた本がまず手に取られる。敗戦後といえば、彼らの祖父母が生まれた頃に他ならない。G H Qとは何かから彼らは知ろうとする。そして歴史を大きくたどりながら1985年の労働者派遣法の成立に行き着く。2003年の製造業派遣の解禁、さらに2005年には日比谷公園の年越し派遣村に困窮者が溢れた。4人は、どのような過程を経て自分たちのような非正規労働者が労働者全体の4割を占めるまでになったのかを知って、自分たちの位置を確かめたかった。その痛切な思いはさらに相可文代「『ヒロポン』と『特攻』 女学生が包んだ『覚醒剤入りチョコレート』」、伊丹万作『戦争責任者の問題』、松元ヒロ・作、武田美穂・絵『憲法くん』、さらに戦後ドイツ連邦軍の抗命権、そしてサフラジェットから米国の公民権運動の歴史を描く本にまで進む。4人はそれぞれ自分は何ものかを知るために、本を選び、アンダーラインを引き、わからない言葉は辞書で調べて意味を書き抜く。

 本を読むのは何のためか。答えはここにある。

 知識が生きて彼らの身体に染み込んでいく。だまされない、そして自分の尊厳をかけてたたかい抜く未来のために彼らは夢中で本を読んだ。この30ページを超える描写はこの本の白眉だ。

 物語はこの夏を経て大きく展開する。〈夏の家〉を提供してくれた主任の過労死を契機に4人の怒りが燃え上がる。彼らは慎重に、しかしキッパリと行動に移っていく。労働組合を作ろうとする4人を助ける硬骨漢で情味のある老オルグもいい。そして哀れな密告者も出現する。

 一方で会社側の弾圧工作も激しくなる。グローバル企業の利益防衛をかけて会社幹部たちが動く。他方共謀罪の初めての適用を目論む政治家と公安、キャリア官僚、さらに地元の刑事なども絡まり合って、長編でありながら最後まで本を置くことができない。リズミカルな話の展開からいくつもの鮮明な画像が浮かぶ。作者・太田愛がテレビドラマ『相棒』のシナリオを手掛け、さらに長編小説を執筆して好評をえている理由もよくわかる。

 終幕近く、どうして組合なんか作ろうと思ったのかと仲間に問われて、4人の一人がいい労働者になろうと思ったからだと答える印象的なシーンがある。「いい労働者になる」という言葉を教えてくれたのは、日教組の活動家にして歌人であり多くの著作を執筆した、今は亡き内田宜人さんだった。それは50年以上前のことだが、その言葉に、この本でまた出会えた。


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