〔週刊 本の発見〕『レジスタンス』(淡徳三郎 著) | |||||||
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毎木曜掲載・第350回(2024/6/20) パリの蜂起は警察官から始まった『レジスタンス』(淡徳三郎 著、新人物往来社、1970年)評者:加藤直樹大昔、「パリは燃えているか」というタイトルのハリウッド映画があった。第二次世界大戦末期、パリがレジスタンスと連合軍によってドイツ軍から解放されるまでを描いた大作だったが、内容はほとんど覚えていない。そのパリ解放の口火を切ったのが、実は警察官たちだったことをご存じだろうか。私も本書、淡徳三郎の『レジスタンス』(新人物往来社、1970年)を読むまでは知らなかった。 ノルマンディ―上陸から2か月後の1944年8月、連合軍がまだ到達していないパリで、現地のレジスタンス組織のなかから蜂起の機運が急速に高揚し、ド・ゴールらの中央指導部は対応に苦慮していた。早まったことをすれば、敗走中のドイツ軍がパリを火の海にしてしまう可能性があった。 このとき、隠忍自重を求める中央指導部を振り切って蜂起を始めてしまったのが、「警察の名誉団」や「警察国民戦線」といった、警察官によるレジスタンス組織だ。彼らは警視庁を占拠し、目の前を行くドイツ軍のトラックを攻撃し始める。警官といってもほとんどは丸腰で、3000人のうち、拳銃などを持っているのが500人ほど。戦車が現れると慌てて逃げ出すしかない。このとき、社会党系のレジスタンス「北部解放」の活動家が壇上からこう演説する。 「パリの市民はしばしば諸君と敵対してきた。今日は諸君は市民の側に立っている。市民はそれを忘れないであろう。警察と市民の堅い結合のいしずえを築こう!」 君たちは警察官として昔からパリ市民のデモなどを弾圧してきたが、今日ばかりは市民も君たちの味方だというわけだ。 蜂起は警視庁からパリ市内の各地に広がり、最終的にドイツの将軍ホルティツは警視庁で降伏文書に調印することになる。
本書『レジスタンス』は、フランスの抗独レジスタンスの通史だが、歴史が複雑な道のりを、時にアイロニーを使って進むさまをよく見せてくれて面白い。歴史は、「右翼」から「左翼」へときれいに配列されたグラデーションに沿って動くことはない。レジスタンスの先頭に警察官が立つかと思えば、対独協力の先頭に共産党の姿があったりする。 そう、1940年6月のドイツへの降伏からしばらくの間、フランス共産党はドイツ占領軍に協力的だったのだ。彼らは前年の独ソ不可侵条約以降、スターリンと結ぶナチス・ドイツへの批判を一切封じ、英仏の政権のみを攻撃してきた。そのナチスがフランスを占領したのだから、彼らは歓迎した。「対独協力者」として禁止されていた共産党の活動が合法化されるのではないかという幻想さえ抱いたのである。もちろん、そうした幻想は弾圧によって砕け散るのだが、それでも彼らがドイツへの抵抗に転じるのは、ようやく翌年6月の独ソ戦開始を待ってのことだ。「労働者の祖国」とスターリンへの忠誠は、そこまで強かった。 一方、ロンドンから世界中のフランス人に抵抗を呼びかけたのが、保守派の軍人ド・ゴールだ。当時の共産党はド・ゴールの呼びかけを「イギリス財閥のためにフランス人を戦わせようとしている」と非難している。 ただし、当初、ドイツへの抵抗を歓迎しなかったのは共産党だけではなかった。ドイツ軍の電撃戦に恐怖したフランス民衆の圧倒的多数もまた、親独右翼の独裁であるヴィシー政権の下での復興を支持していた。 ド・ゴールは彼と同じ保守的エリート層が呼応してくれることを期待していたが、勝ち目なしと見た彼らのほとんどが沈黙を守った。以後、ド・ゴールは、わずかな仲間たちとともに、彼とフランスを軽んじて目を離すとすぐに親独派勢力と手を結ぼうとする米英政府との政治戦を延々と続けることになった。第一の敵は米英だったのである。 こうした情勢が変わるのが、学生や知識人の小さな抵抗から始まり、社会党や共産党、キリスト教団体、労働組合などを核に国内で育ち始めたレジスタンスであり、それを一気に民衆レベルに広げたのが有名な「マキ(団)」であった。 マキは山岳に潜む武装レジスタンスだが、私はその出現の理由を本書を読むまで知らなかった。「マキ」出現の引き金となったのは、ドイツによる戦時労働動員だったのである。 ドイツは、長期化する戦争によって不足する国内の労働力を補うために、ヴィシー政権に対して100万人以上の労働者の提供を求めた。徴用を喜ぶ者はいないから、多くの者が役場に出頭を命じられても逃亡する。すると当局は、徴用忌避者を街中で探し出しては捕まえるようになった。その上、忌避者は食料配給からも排除される。そうなると、彼らは山に逃げ込むしかない。食うために行政の食糧倉庫を襲う。さらにはドイツ軍車両を襲う。こうして、農民を中心とする武装ゲリラ「マキ」が山間の至るところに現れたのである。その数、なんと10万人。ドイツは徴用によって自らの墓穴を掘ったのだ。 つまりフランスのレジスタンスは、自国のエリート層と米英政府にさえも疎まれる保守派の軍人ド・ゴールの孤独な呼びかけに始まり、社会党員や労働組合がこれに呼応し、さらに対独協力から転向した共産党が合流し、徴用によって追い詰められた農民たちが各地で蜂起するなか、最後にはパリで警察官たちが警視庁を占拠して頂点に達したわけである。なんという複雑さだろうか。 もちろん、フランスが解放されたのは米英中心の連合軍の力が大きいが、フランス人自身が占領下で抵抗を続けていたことは、その後のフランスの立場を強くした。その先頭にあって、右から左に至る勢力に支持されていたのが、当時のド・ゴールであった。彼は抵抗の象徴となったのである。 Created by staff01. Last modified on 2024-06-21 13:36:59 Copyright: Default |