
暉峻さんは96歳になった今年4月にも、『承認をひらく』(岩波書店)を上梓された。
その暉峻さんが朝日新聞のロングインタビューに答え、生い立ち、戦争体験、結婚生活、育児と仕事の両立などの自分史から、学問・社会・人生観まで縦横に語った。「学問は生活からしか生まれない」と題して4回連載で13日から朝日新聞デジタルに掲載された(写真)。
どこを切り取っても貴重な示唆に富んでいる。厳選していくつかを抜粋して書き留めておこう(太字は私)。
「私は、具体的な事実の中に真理があり、人間の実感の中に本質があると思っています。それを尋ねるのが、私の生き方であり、私の学問でした。現実の生活からしか学問は生まれません。
しかもね、年を取れば取るほど、日常のあらゆることが考えるべきテーマとして感じとれるのです。
長生きしているのは、何でもプラスに考えるから。批判されても学びを見つけ、自分の糧にしてしまうので」
「(54歳で絵本『サンタクロースってほんとうにいるの?』を出版) サンタがいるということは、愛してくれる人間がいるということ。サンタが来ない子どもでも、「子どもたちを助けたい」という人間の愛が絶えない限り、「サンタはいつか自分の所にも来る」という希望をなくすことはないでしょう。子どもが幸せな社会はあらゆる人にとってよい社会であり、サンタもそれを願っている。そんな思いを絵本に込めました」
「(2010年から毎月、地元の東京練馬区で誰でも参加できる「対話的研究会」という勉強会に世話人の1人として参加) 会を続けて分かったことは、対話とは人と人との応答を通じて相互に承認しあう行為だということ。人は他者から認められて初めて自分の価値を知り、国や自治体に対しても相互承認を要求できる人になる。連帯や民主主義もここから生まれます」
「一人一人が相互に承認しあい、人間が大切にされる社会に変えたいと切実に思うようになれば、個人が「自己責任で生きるべきだ」などという発想は生まれないのではないでしょうか。日本中に小さな対話の場が駅の数ほどできれば、状況は変えられるのではないかと思うのです」
「学問と対話を続けてきて思うのは、競争至上主義の時代に代わって、連帯の時代を築かなくてはいけないということです。そのために「自分を大切にして、物事を根本的に考え、何事も諦めるな」。これが皆さんへのメッセージです。
それぞれの人が自分自身の人権を自覚し、幸福を追求するために何をするべきか考えれば、他者の人権も相互に認め合うことができる。そこに連帯が生まれた時、社会を変えることができるはずです」
展望の持てない日本の政治・社会。でも、暉峻さんの話を聴いて(読んで)いると、諦めてはいけない、と思えるから不思議だ。
暉峻さんはこうも言っている。
「これまでずっと頭にあったのは、長く生きた人間は最期に何を思うのかということ。私の夢は、死ぬ時に最高の考えを持っていること。その時に何を考え、自分の人生を総括するのか。それが楽しみなんです」
「死ぬ時に最高の考えを持っていること。その時に何を考え、自分の人生を(どう)総括するのか」。とても暉峻さんのように長くは生きられないが、この言葉は自分の胸にも刻みたい。なんだか「最期のとき」が楽しみになる気がする。