本文の先頭へ
LNJ Logo 香港 : 2019年香港デモの「8・5ゼネスト」を回顧する
Home 検索
 




User Guest
ログイン
情報提供
News Item 1725584905525st...
Status: published
View


〔レイバーネット国際部・I〕
2019年の香港デモから5年。現在も裁判闘争が継続しており、さまざまな回顧も出ていま すが、2019年8月5日に行われた「三罷」(罷工=労働者のストライキ、罷課=学生の授業 ボイコット、罷市=商店主らの店舗休業という三つのセクターの罷業、以下「8・5ゼネ スト」)を振り返るウェビナーが8月5日に行われました。 主催は、香港の民主派ナショナルセンターの香港職工会連盟(HKCTU、2021年10月解散) で書記長を務めた蒙兆達さんが英国で立ち上げた香港レイバーライツモニター。ウェビナ ーのゲストは、同じく2019年の反乱に参加し、その後、英国に移住した労働研究者の區龍 宇さん(『香港の反乱2019』著者)、8・5ゼネスト後に結成され、コロナ当初にストラ イキを打った医管局員工陣線(公立病院職員組合、22年6月解散)の羅卓堯さん。 なお当時のHKCTUの委員長・呉敏児さんは2021年3月から、コロナストを打った病院労組の 委員長・余慧明さんは22年3月から、ともに20年6月に行われた議会選挙に向けた民主派の 予備選挙に参加したことが「国家政権転覆を共謀した」として逮捕・収監。元HKCTUの書 記長で民主派議員を務めた李卓人さんも代表を務めた民主化支援の団体が「国家政権転覆 」を図ったとして21年4月に逮捕収監され、裁判の審理を理由に不当な拘束が続いていま す。 ウェビナーの様子はYOUITUBEにアップロードされています。 ◎85政治罷工五周年, 是工人運動,也是民主運動 (8.5政治スト5周年 労働運動でもあり民主化運動でもあった)  https://www.youtube.com/watch?v=Hxx5pXOfeNg 参考になるかどうかわかりませんが、当時の雰囲気などをまとめたスライド資料をアップ ロードしています。 ◎コロナ禍の海外の労働運動(香港)2020年9月  https://archive.org/details/20240905_20240905_1343 ウェビナーは広東語なので何を言っているかわかりませんでしたが、法輪功のウェブメデ ィア「大紀元」で報じていたので訳してみました。 =================== 2019年香港デモの「8・5ゼネスト」を回顧する 2024年8月6日 大紀元ニュースサイト 原文 https://www.epochtimes.com/b5/24/8/6/n14305844.htm 【大紀元2024年8月6日電】(大紀元記者 張瑛瑜)2019年の逃亡犯条例改定反対運動(以 下、反送中運動)において、8月5日に打たれた「三罷」(罷工=労働者のストライキ、罷 課=学生の授業ボイコット、罷市=商店主らの店舗休業という三つのセクターの罷業、以 下「8・5ゼネスト」)および7つの地区での一斉集会で、反送中運動の5つの要求[( 1)定案の撤回、(2)デモの暴動規定の撤回、(3)逮捕されたデモ参加者の釈放、( 4)警察の暴行に対する独立調査、(5)行政長官と議会の全面的普通選挙の実施]に対 する回答を政府に求めた。今年の「8・5ゼネスト」の5周年にあたり、海外団体の「香 港レイバーライツモニター(香港労権監察)」が8月5日に「流散公民論壇」というウェビ ナーを実施し、香港レイバーライツモニター総幹事の蒙兆達、労働研究者の區龍宇、医管 局員工陣線(公立病院職員労組、2022年6月解散)元副委員長の羅卓堯が討論に参加した 。 フォーラムのタイトルは「8.5政治ストライキ5周年 労働運動でもあり民主化運動でもあ った」。蒙兆達によると、香港でストライキは稀であり、経済要求実現のストライキは言 うまでもなく、政治ストに至ってはほとんど見られなかったという。8・5ゼネストには35 万人が参加したが、この香港の半世紀の歴史における最大規模の政治ストであった。しか し1967年の中国共産党の影響下にあった政治スト[いわゆる「香港暴動」]とは性質がこ となっていたという。前者(8.5ゼネスト)は民衆の自発的なストライキだったが、後者 (香港暴動)は中国共産党政権によるバックアップがあった。 ◆運動の転換点 新たな戦線の発展 2019年8月5日、香港で罷工、罷課、罷市が展開された。写真は沙田大會堂の屋外広場(百 步梯)での集会。(Juliana/大紀元) 區龍宇によると、「8・5ゼネスト」は8月9日から11日かけて行われた香港空港オキュパイ (占拠)行動を促したという点で、運動がピークへ向かう転換点であり、様々な業種に新 しい労働組合運動が広がった「新労働運動」のブームを引き起こしたという。區によると 、勇武派[武闘派]による街頭でのゲリラ的な抵抗も重要だったが、多くの労働者はそれ には参加することはできなかったという。「社会的地位も社会的な持ち場も違っていまし た」。彼らはストライキや新たに労組を組織化することで「新たな戦線を発展させたとい えます」。街頭での衝突が一定のピークを迎えたのち、それは「新しい方法を試してみる 」ということでもあった。 羅卓堯はその新しい労組運動の活動家の一人。彼は、当時のウェブ掲示板「連登LIHKG」 でのあるユーザー「数日のストライキでさえ難しい」という書き込みをしていたことを紹 介した。「8・5ゼネスト」では労働者のストライキの権利が保障されていないことが明ら かになり[香港基本法にはストライキの自由が明記されているが実際には様々な制限があ る]、労働組合をつくって新しい闘争方法を開拓するために一定の期間を経て、その年の 11月から12月にかけて新しい労働組合が数多く組織化された。看護師や公務員らは「8・5 ゼネスト」の直前の8月2日に集会を行い、新しい労働組合の組織化のひな形はそこで作ら れたという。蒙兆達はそのような集会が「種をまいた」と述べて、新しい労働組合への結 集力となったと指摘した。 ◆ストライキ後の展望:労組の組織化を通して民主化を実現する 蒙兆達によると「8・5ストライキ」が多くの業界に影響したが、なかでも航空業界への影 響が大きく、キャセイ航空では2000人が参加、他の航空会社からも約1000人が参加し、 250便がフライトをキャンセルしたという。通常、香港空港では一時間当たり64便のフラ イトがあるが、その日は34便まで減便した。また城巴(シティバス)は一割の労働者が出 勤しなかった。銀行も51店舗で人手不足により営業を行わなかったという。 蒙によると政治ストライキの影響がこれほど拡大したことは稀で、このストライキを経て 多くの人が労働組合を通じた戦線を維持すべきだと考えるようになったという。当時、職 工盟[当時、蒙が書記長を務めていた民主派ナショナルセンター、2021年10月解散]の労 働問題ホットラインは電話がひっきりなしにかかってきたという。「問い合わせの内容は 、賃金不払いや解雇などの労働紛争ではなく、どうすれば組合を作ることができるのかと いうものでした」。職工盟はこれを契機にワークショップ「労働組合をつくろう」を何度 か開催したが、毎回満員御礼だった。その後の新労働組合組織化ブームでは1000を超す新 しい労働組合が結成された。業種も様々で、それまでは組織化が難しく、組合活動にも冷 淡だった若者、ホワイトカラー、資格専門業種の労働者らも含まれていた。 蒙兆達によると、かれらの目的ははっきりしていた、労働組合の組織化を通じて運動を支 援することだったという。つまり、「8・5ゼネスト」が未組織のままでも「こんなに影 響力があった」のだから、もししっかりと準備をして、組合員を組織化していれば、さら に大きな政治的ゼネラルストライキを打つことが可能であり、反送中運動の5つの要求の 実現を後押しできると考えていたという。 蒙は、それまで職工盟が支援した組織化は労使紛争がベースにあったが、今回のものは最 初から労働組合活動を通じた民主化の実現であり「二つの異なる方針だった」。 ◆社会システムの変革のための労組組織化 羅卓堯によると、大学生のときに学生自治会の運動で学内の警備員や清掃員らの労働問題 を取り上げたこともあったが、労働者はみんな「生活のため」に、労働組合に参加するよ りも(時給の)仕事をするほうを選んだという。しかし2019年の新しい労働組合運動には 、銀行やIT業界、公務員などの資格業種やホワイトカラーの労働者が多く参加しており、 「いま世の中で何が起こっているのかを理解しており」、組合運動に参加した動機も、自 分自身の不公平な待遇への不満からではなく、社会のシステムに問題があることを知り、 「この政治経済システムの秩序をdisrupt(瓦解)させたい」という、街頭で衝突してい た勇武派とおなじように、秩序を混乱させ、政府に回答を迫ろうとしたのだと述べた。 彼はまた、新しい労働組合運動に参加した人たちも街頭闘争に参加しなかったというわけ ではないが、そのような運動がボトルネックに突き当たっていたことから、他の方法を考 えたのだと補足した。 羅は当時を振り返り、「病院の入り口で幟旗を掲げていたら」すぐに組合加入したいとい う人が登録したという。人々は経済的な動機から組合に関心があったのではなく、新しい 労働組合に入りたいという人がすでに課題に高い関心をもっていたことから、組織化の手 法も普段とは違っていた。たとえばストライキを打つというだけで組合員が増えた。かつ ての労働運動とは違っていた。 ◆政府に対する不満はコロナ対策で拡大し最大の医療ストライキへ コロナ感染初期に医管局員工陣線は香港史上最大規模の医療労働者ストライキを打ち、( コロナ感染源とされた)中国との境界を封鎖し、看護師らの職業安全措置を確保するよう 訴えた。 羅卓堯によると、当時は同僚たちは感染対策不足のままで「dirty team」(感染の疑い、 あるいは感染患者に対応する医療チーム)に送られるのではないかと心配していたうえに 、それまでの反送中運動における政府への不満が加わっていた。香港で初めて感染患者が 確認されたときは、中国との往来を封鎖しない政府への怒りを表明するために集団休暇を 取得しようと主張した同僚もいた。彼は組織者として労働組合が最大限の効果を発揮する よう努力した。 ◆新しい労働組合は業界内の問題にも着目して自発的運動をすすめた 蒙兆達によると、これらの新しい労働組合はしばらくすると政治ストライキだけでなく、 業界内で進む期間雇用化や委託化、長時間労働や低賃金の問題に焦点を当てて改革案を提 案し、ついには伝統的な労働組合と「道は違えど同じ場所にたどり着きました」。また、 新しい労働運動は多くのツールを利用して、インターネット上のコミュニティを活用して 運動を進めた。 また、新しい労働組合は積極的に街頭でのスタンディングの宣伝を通じて組合員を募集し て規模を拡大しようとしたことにも言及した。しかしコロナの影響で活動は停滞、それに 加えて「香港国家安全維持法」のせいで多くの労働組合が解散してしまったと指摘した。 しかし2021年末には、フードデリバリーの運転手らがインターネットを通じて3〜4回の ストライキを打ち、雇用条件の改善を勝ち取ったこともあり、労働組合の自発的な抵抗闘 争はいまも続いていると述べた。 ◆2014年の「ステージ撤去」(拆大台)という雰囲気の変化 區龍宇はこの10年ほどの香港の抵抗運動について次のように述べた。2014年の「ステージ 撤去」(=指導部を拒否する運動)という情緒は壊滅的な影響を及ぼしましたが、2019年 までに、この運動における矛盾は自然と解消したか、あるいは共存することができるとい う回答を導きだした。彼によれば、新しい労働組合運動は民間人権陣線という「ステージ 」(=指導部)を引き継いだ、より洗練された組織形態だったという。なぜなら労働組合 である以上、組合費を収める必要があり、参加形態もまた(街頭行動のようにその場だけ でなく)長期的なものとなったからだ。もし社会や政策を変えようとすれば、自発的で組 織的な行動が自然と必要となるからである。 蒙兆達は運動のなかで提起されたスローガン「兄弟爬山」(兄弟いっしょに山に登る=同 じ目的のために大同団結する)に言及した。運動の渦中では互いを批判しあうことだけに 留まるのではなく、それぞれができることをやって「補いあいました」。 羅卓堯は、2014年に「ステージの撤去」(リーダーなき運動)を求めた人々は、2019年に は「ステージの構築」に苦労したと指摘した。2019年に運動に参加した人々は、従来とは 違う行動に挑戦した。「民間人権陣線はそれまでデモを主催してきたが、そのときは他の 活動も行った。プラットフォームを提供して圧力をかけてきた労働組合は、そのときはス トライキを打ちました」。それは「学習する時間だったのです」。 今日のような抑圧的な状況のなかで、香港の労働組合は今後どのように発展するのかとい う問いに対して、區龍宇は中長期的には悲観してはいないと答えた。彼曰く、中国の政権 は香港がどの程度プレッシャーに耐えられるかを試しているが、香港はまだ完全に中国化 したというわけではなく、表面上は一国二制度を維持している。インターネット規制(フ ァイヤーウォール)にも限度がある。もし完全に規制してしまえば外資は撤退するだろう し、為替などの金融面でも世界と断絶する危険性があるという。彼によると、最近では中 国国内でも自然発生的なストライキが散見されるが、それは中国共産党政権がどれだけ労 働者のたたかいを禁止しようとしてもできないことの証明であるし、(香港での)労働組 合の活動を禁止することもできないという。 ◆香港7地区集会 辞任を拒むキャリー・ラム(林鄭月娥) 2019年8月5日に打ちぬかれた「三罷」(罷工、罷課、罷市=労働者のストライキ、学生の 授業ボイコット、商店主らの店舗休業というゼネラルストライキ)を通じて香港政府に5 つの要求を迫った。市民らは香港の7地区で集会を行い、金鐘の添馬公園、旺角の麥花臣 球場、屯門の文娛廣場空地、大埔の風水廣場、黃大仙の黃大仙廣場、沙田大會堂の百步梯 の6つの地区で警察の許可(=開催に反対しないという約束)を取り付け、(許可の出な かった)荃灣公園では市民らが「花樹の鑑賞」を推奨した。 (通勤電車を止める)「不服従」運動を実践した市民もいた。元朗駅、屯門駅、鑽石山駅 、炮台山駅、荔景駅、上水駅などで列車が出発できず、通勤ラッシュのピークの時間帯に 68本もの列車の運行に影響が出た。 当時の特区行政長官のキャリー・ラム(林鄭月娥)は午前10時の記者会見で、「暴力行為 」があり、「一国二制度へ危害を加えた挑戦である」と述べ、「この時に私や他の職員が 辞職することが一番良い解決策だとは思わない」と述べた。 編集:鄭樺

Created by staff01. Last modified on 2024-09-06 10:08:27 Copyright: Default

このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について