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LNJ Logo 被ばくした子どもたちに責任を負わせるニッポン〜3・11子ども甲状腺がん裁判
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堀切さとみ



*東京地裁前でアピールするアイリーン・スミスさん

 12月11日、東京地裁103号法廷で、12回目の311子ども甲状腺がん裁判が行なわれた。
 門前集会でアイリーン・スミスさんがマイクを握る。「昨日はノーベル平和賞の授賞式で、被団協が世界に向けて素晴らしいアピールをしてくれた。日本政府がやるべきことを被害者がやり、今それを担っているのは当時子どもだった人たちだ。一夜明けた今日ここで、福島第一原発事故当時、8歳から18歳だった若者が闘っている」
 傍聴券配布の列には、これまで以上に沢山の人が並んだ。98席ある法廷には大学生だろうか、若い人の姿も多かった。

 100万人に2人という極めて稀な小児甲状腺がんに、387名の子どもたちが罹患したという現実。福島第一原発事故後に急増したことから、放射能による被曝が原因であるのははっきりしている。
 しかし被告である国、東電は「過剰診断によるもの」と言い続け「100mシーベル以上の被曝をしなければ、甲状腺がんは発症しない。100ミリ以上浴びたことを原告側が立証すべき」と主張し続けている。
 自ら推進した原子力政策による被害者、とりわけ何の罪もない若者に立証責任を負わせるという姿勢を崩そうとしないのだ。

 精神科医の蟻塚亮二さんによれば、PTSDは死に直面するような大きなトラウマがないと発症しないというのは間違いで、ガンの苦痛も含まれる。この日の口頭弁論では、若い人たちがガンになるということが、どれほど大変なことかを、杉浦ひとみ弁護士が主張した。学生生活や就職、結婚、出産など、人生におけるあらゆる可能性が奪われるかもしれない。同じガンでも、ある程度の人生経験を経た年代の人とは違う。
 三人の裁判官のうち、傍聴席からみて右側の若い裁判官が、終始うなずきながら聞き入っているのが印象的だった。

 その後、日比谷コンベンションホールで報告集会があった。こちらも満席で、ものすごい熱気に包まれた。
 初めて傍聴したという立教大学生の佐藤さんが登壇。「3・11の時、自分は千葉県にいて、小学三年生だった。母が被ばくに関心を持っていて、この夏チェルノブイリ法の学習会に参加した。がんという健康被害だけでなく、苦しんでいても語れない被害があることを知った。個人の問題として自己責任にされていいのだろうか」と語った。



*日比谷コンベンションホールでの報告集会

 原告Aさんは、わが身に起きた病理について、二万八千字に及ぶ陳述書を書いた。これは次回の裁判で、証拠採用されるものだ。そのごく一部(10分の1程度)を読み上げる、Aさんの音声が会場に流れた。

「大学二年になる前の春休み、体調が急変しました。生理が二週間周期になり、身体がむくみ、唾をのむとき異物感がありました。
 母に相談し、福島で検査をしたらB判定で、穿刺吸収細胞診をしました。ハリをさす検査だと聞いていたので、注射みたいなものかなと思っていたら、全然違いました。
医師は全体重をかけて喉にハリを突き刺して来て、メリメリメリ・・・ハリが筋肉を通過するような音が聞こえた。痛いという前に涙が出ました。
 一か月後、甲状腺乳頭がんだと告げられました。医師はモニターを観ながら、「気になっているかもしれませんが、このガンは福島原発事故との因果関係はありません」と付け加えました。母は驚きで言葉も出ず、涙を浮かべ、放心状態なのがわかりました。
 私は冷静に受け止めていました。ガンになったのなら直すしかないと。同時に「因果関係はない」と、こちらから聞いてもいないのに医師に言われたことに不信感を持ちました。
 傷がおもてからみえないようにするための内視鏡手術は保険適用外なのに、母は「花嫁になるときのために」と内視鏡手術を勧めてくれて、祖母が手術費用を工面してくれました」

 「裁判したいと思ったのは、ガンと診断された日。「因果関係はない」という県立医大のドクターの言葉が、私に火をつけました。
 安定ヨウ素剤は40歳以下のすべての市民に配られるはずだったのに、フクシマ医大の医療従事者とその家族にだけでした。そして枝野官房長官の「直ちに影響はない」発言や、安倍首相のアンダーコントロール発言。ガンになる前から、国や県に強い不信感があったので提訴しました。
 提訴した時の会見には大勢の人が駆け付けてくれて嬉しかった。でも悲しいこともありました。それは、多くの子どもが甲状腺がんに苦しんでいるという事実を、内堀福島県知事をはじめ多くの政府関係者が否定していることです。あたかも存在していないかのように。でも、私たちは存在しています。そして一切、賠償はされていません」

 あどけなさを残しながらも、強く芯のある声だった。
 「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府はまったくしていないという事実をお知りいただきたいというふうに思います」
 オスロでスピーチした被団協の田中熙巳さん(92)のバトンを、福島の若者が、受け取ったように思えた。いつまでこのバトンは渡され続けるのだろう。

 次回期日は2025年3月5日、14時30分より東京地裁103号法廷。若者を中心に、多くの人たちに集まってほしい。


Created by staff01. Last modified on 2024-12-14 00:13:16 Copyright: Default

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