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太田昌国のコラム : 証拠を捏造してまで、無実のひとを死刑台に送る国
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 ●第95回 2024年10月10日(毎月10日)

証拠を捏造してまで、無実のひとを死刑台に送る国

「私に対する取調べは人民の尊厳を脅かすものであった。殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだ、といっておどし罵声をあびせ棍棒で殴った。そして、連日二人一組になり三人一組のときもあった。午前、午後、晩から一一時、引続いて午前二時頃まで交替で蹴ったり殴った。それが取調べであった。目的は、殺人・放火等犯罪行為をなしていないのにかかわらず、なしたという自白調書をデッチ上げるためだ。
 九月上旬であった、私は意識を失って卒倒し、意識をとりもどすと、留置場の汗臭い布団の上であった。おかしなことに足の指先と手の指先が鋭利なもので突き刺されたような感じだった。取調官がピンで突ついて意識を取り戻させようとしたものに違いない。」

 ――これは、東京拘置所に幽閉されていた袴田巖さんが1983年2月8日に記した手紙の一節だ。逮捕から17年、最高裁が袴田さんの上告を棄却し、死刑が確定して3年後に、逮捕直後の取調べ状況を思い出しながら書かれたものである。今回の無罪確定をめぐっては、本稿末尾で一例を挙げるように、マスメディアでも袴田裁判をめぐる問題点が詳しく報道された。そこでわかることもあるが、私の考えでは、上の文章を引用した、袴田巖さんを救う会・編『主よ、いつまでですか――無実の死刑囚・袴田巖獄中書簡』(新教出版社、1992年)を読めば、「袴田事件」なるものの全貌がよく見えてくると思う。

 9月26日、静岡地裁は袴田さんを無罪としたうえで、検察官が関与した「三つの捏造」を指摘した。非人道的な取調べによる「調書の捏造」、捜査機関が血痕を付けるなどの加工をして味噌タンク内に隠した「5点の衣類の捏造」、衣類と袴田さんを結びつける証拠とされた「ズボンの端切れの捏造」の3点である。この3つの問題点は、「やっていないがゆえに」、捜査当局に「殺人・放火」に至る経緯を明確に説明することなどできるはずもない袴田さん自身が、それぞれの時点で書いた書簡の中で明快に解きほぐされている。つまり、「袴田事件」なる、捜査権力によるでっち上げ事件の根幹を成した「捏造」の現実を、袴田さん自身が誰よりも早くその場で指摘し、これとたたかっていたという事実を確認することは、とても大事なことだと思える。

 書簡集には、こんな記述もある。「良心は無実の人間のいのちを守る唯一の声である。暗く苦しい夜が長ければ長いほど、ひときわ声高く響く良心の声よ。暗鬱と悲痛と憤怒の錯綜した獄中一四年有余、私を支えたのはその声だ。鶏よ、鳴け、私の闇夜は明るくなった。鶏よ、早く鳴け、夜がゆっくり明け始めている」(1981年5月)。

 また、こうも書く。「昨夜八時頃獄窓から覗くと、南東の上空にお月さんが上って来ていた。以降一週間位は深夜にわたればお月さんが見れるであろう。月光は何故か私に希望と安らぎを与えるものである。それはあの月を娑婆でも多くの人が眺めていると思う時、月光を凝視することによって、その多くの人と共に自由であるからである。今夜は雨で月は見られない。私の心身は苦しんでいる。あせりと不眠。それから一種の恐怖。健全への渇望。それらが魂を圧倒し、時にとらえてはなさない」(1982年8月)。

 この書簡集を読むと、捏造とたたかう袴田さんの精神の根底にある文学的感性・詩心に触れる思いがする。58年間に及んだ権力の捏造犯罪のごく初期における、袴田さんのこのたたかいがあったからこそ、雪冤は果たされたのである。

 このたたかいと精神のそばに、10月8日に発表された畝本直美・検事総長の「控訴断念」の談話を置いてみる。「改めて証拠を精査した結果、被告が犯人との立証は可能で、4人が犠牲となった重大事犯で立証をしないことは検察の責務放棄になりかねないと判断し、再審公判での有罪立証を決めた」。「判決は5点の衣類が捜査機関の捏造だと断定し、検察官の関与も示唆したが、何ら証拠が示されていない。(……)捏造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ない」。「判決は到底承服できず控訴すべきだが」云々。

 すでに見たように、再審公判判決は、捜査当局は「三つの捏造」を行なったと明確に指摘した。検事総長談話は、「5点の衣類の捏造」に関してのみ弱々しい反論を試みるだけで、非人道的な取調べによる「調書の捏造」に関しては一言も弁明していない。だが、「調書の捏造」とは、実は、恐ろしい言葉である。取調べに当たる警察・検察は調書までをも捏造したのだと裁判所が断定したのだから、検事総長は、本来なら、ここでこそ異議申し立てを行なうべきだろう。本稿の冒頭で引用した袴田書簡が明らかにしているように、本件における調書とは、拷問を伴う「取調べ」によって得られた「自白調書」であった。45通もの調書が取られながら、一審の静岡地裁の段階ですでに、自白の任意性がないとして44通が証拠から除外され、検事調書一通のみが採用されただけだった。姑息なことだが、検察側は、そこは勝負できる場所ではないことを内々には自覚しているのだろう。

 それにしても、検事総長と言い、静岡県警といい、「結果として袴田さんが長きにわたって法的地位が不安定な状況に置かれた点につき、申し訳なく思う」と、似たような語句を使って、最後に言い添えている(10月9日付け朝日新聞)。再審公判の判決に承服せず、したがって未だに袴田さんが真犯人であると公言しているに等しいにもかかわらず、こんな言葉遣いで取り繕おうとする。

 畝本は検事総長に就任した今夏、次のように語っている――検事駆け出しのころは「裁判で判決が出れば役割は終わり」と考えていた。法務省保護局長のとき、保護司や罪を犯した人を雇う「協力雇用主」など100人以上と会った。罪を犯した人に「その後の人生」があり、多くの市井の人たちが支える現実を改めて知った。人権擁護局や日本司法支援センターなど、捜査現場以外を渡り歩いたキャリアが、意識に変化をもたらした。検察は刑事司法の一部にすぎない。「検事の知らない広い世界が外にあることを自覚し、一つひとつの事件に向き合わないといけない」(朝日新聞7月10日付け「ひと」欄)。

 こんな気持ちを語った人間が、今次再審公判判決を批判し「袴田さん=有罪」論に固執している。国家を背景に持つ権力の本質を、ここに見る。彼ら/彼女らは、無実のひとを死刑台に送るためになら、証拠を捏造してもよい、それをしないと「検察の責務放棄」になりかねないと心底考えているのだ。

追記:下記の連載記事(9月24日〜10月4日、全14回)は、客観的な立場から「袴田事件」の経緯を追っていて、読み応えがある。現役静岡県警幹部の声も取材しており、その人物が――「事件発生1年後に殺人現場近くから証拠の衣類が出るなんて、現代の捜査員からすれば『そんな馬鹿なことあるわけない』『捏造と思われてもしょうがねえよ』というのが本音だ。『見落とし』だとしても県警史に残る恥」と打ち明け、さらに「ずさんな捜査は色々な人の人生を狂わせた。現役警察官は教訓にすべきだ」――と打ち明けたことを記録している。文中で触れた袴田さん自身の書簡集と合わせ読むと、「袴田事件」を作り上げたカラクリがヨリ鮮明になる。
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*袴田巌さん 58年後の無罪 なぜ死刑囚にされたのか:朝日新聞デジタル (asahi.com) https://www.asahi.com/special/hakamadainnocence58/


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