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書評:『いのち輝け 二度とない人生だからー私の日本国憲法「ともいき」日記』
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書評:率直な人柄が生んだ味わい深い自伝

『いのち輝け 二度とない人生だからー私の日本国憲法「ともいき」日記』(蓼沼紘明、東京図書出版、2024年6月刊、1800円)評者:志真秀弘

 著者の蓼沼紘明(たでぬま・ひろあき)は、満蒙開拓青年義勇隊の子どもとして、ソ連との国境に接した村に生まれ(1943年)、貧しい環境に育った。当時満蒙開拓の国策のもとで、およそ27万人の日本人が満州に渡った。父・蓼沼長平は茨城県内原町(現在水戸市)にある満蒙開拓青年義勇隊訓練所(加藤完治が所長)で3ヶ月の訓練ののち満州に渡る。父は尋常高等小学校を卒業して給仕をしながら教員試験に受かった努力の人で、卒業した小学校に採用された。母チヨは義勇隊に応募した少年の姉という縁で、二人は満州に行く前に結婚し揃って満州に渡る。その後開拓に従事していた時に、父が徴兵された。息子・紘明は1944年4月母親に抱かれて朝鮮半島を縦断して栃木にあった母の実家に戻る。父は南方戦線に送られようとしたが船が撃沈され、泳いで長崎港にたどり着く。生き延びた父は教員にはならずに、戦後母と二人で群馬県の開拓村に入村する。

 著者は、満州を「心のふるさと」であり「平和を希求する原点」と呼んでいる。侵略政策の虜囚と言うべき満蒙開拓団の人々の足元には、土地を掠奪された中国の民衆がいた。著者はそれを忘れてはならないと書いている。満蒙開拓におきたいわば二重の悲劇を見つめるところから、本書は書き出されている。「悲劇」と書いたが、著者の文章は、しかし深刻ではない。赤ん坊の時に満州で鼠に齧られて、頭は少し馬鹿になったがその程度で済んだと書かれているのも飄逸な味わいをかんずる。群馬県の開拓村に育ち、高校から一浪ののち東大へ進学する。駒場寮の聖書研究会(無教会派)に参加して活動するが、しばらくして別れるいきさつも、著者の硬質でありながら自在な人間観の形成を語っていて興味深い。後年、有楽町のガードしたで飲んでいる時に、「自分の漫才の相方にならないか」と誘われたエピソードも、著者の秀才くささのないおおらかで話好きの人間性を忍ばせる。一口で言えば滋味溢れる魅力に富んだ人柄なのだ。

 著者は在学中に結核に罹病し休学、さらに再入院の過程を経て復帰後、東大闘争に直面する。この闘争をめぐって著者は「左派の歴史」あるいは全共闘運動のそれとしてのみ総括することに批判的である。民主主義と自由に貫かれた大学と市民社会を作るというすべての人に関わる広い視野から考えたいと問題提起している。この主張を、しっかり聞くべきだと思う。また当時の「負の遺産」の克服と同時に、その後各所で持続する民主主義の活動、言うなら「正の遺産」を育てる大切さも強調されている。

 卒業後、著者は都庁に勤めて福祉の分野で力を尽くし、裁判所書記官に転じ、さらに「法学館・伊藤塾」で働く。それぞれの場所での仕事を支えたのは、憲法の平和主義であり基本的人権の尊重である。その憲法と共に生きる「ともいき」こそが、リタイアののちにも著者蓼沼の大きな主張であり仕事になった。退職後のこの活動は本書最終章「『ともいき』への道」で詳しく展開される。パレスチナをめぐるヨーロッパの戦後史を踏まえた主張、社会主義崩壊以後の歴史の過程からウクライナの戦争を捉える視点など、最新の動向をとらえた見方が示される。ともすれば力関係論に、あるいはマスコミに流された論評に陥りがちな時事問題である。だがここでも著者らしい平和と人権に立つまっすぐな主張を読むことができる。

 けして短くはない本書だが、読み終えてこれほど爽やかな気持ちになれる本も珍しい。ぜひ手にとって読んでほしい。


Created by staff01. Last modified on 2024-10-10 19:21:55 Copyright: Default

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