レイバーネット第204号放送を終えて〜「昔、原発って物があってね」と早く言える時代にしたい | |||||||
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黒鉄好です。レイバーネット204号の放送を無事終えました。13日までパソコンの前を離れていたので報告を書けませんでした。私が放送を担当した回では、いつも裏話を含め、報告を書いていますので今回も書きます。 前回私が担当したのが羽田空港事故とJAL争議を扱った200回記念号でした。それからわずか4回後の放送です。私が担当するのはリニア問題と合わせると3回目ですが、司会者としての番組の「仕切り」は、実は今回が最も楽でした。何より後藤政志さんがテレビ向けのゲストだったことが大きいと思います。 後藤さんのことは、原子力市民委員会委員として、元東芝の原子力プラント設計技術者として、その功績も、お名前も存じ上げていました。しかし対面できちんとした形でお話ししたのはこの日の放送が初めてです。3.11直後の後藤さんは、あまりに大きな存在で、雲の上の人のように感じていました。 3.11直後、私は本当のことを伝えないテレビに絶望していました。私の住んでいた福島県南地域で、3.11直後から、なぜか地上波テレビが全局映らなくなっていました。映るのはBS放送だけという状況で、見る意味のないテレビの電源は消したまま。原子力資料情報室のインターネット放送に出ずっぱりの活躍をしていたのが後藤さんだったと記憶しています。福島第1原発の現状を解説する後藤さんの話を聞いているうち、「このままここにとどまっていては危険なのではないか」と考え、一時避難を決意したことが昨日のことのように思い出されます。 後藤さんは、私を原発事故被害から守ってくれた恩人と言えます。彼がもし福島第1原発の現状を正しく伝えてくれなかったら、奇しくも、同じ日に11回目の公判期日を迎えた子ども甲状腺がん裁判の原告と同じ運命を、私もたどっていたかもしれません。 ちなみに、一時避難を終えて福島県南地域の自宅に戻ってきたとき、映らなかったはずの地上波テレビは全局、再び映るようになっていました。福島県白河市内の山頂にあった地上波テレビ中継用の放送塔が、震度6強の激しい揺れで倒れたことが地上波テレビの映らなかった原因であることを、そのとき知りました。 「正月の能登地震で、変圧器から油が大量に流出した映像が映し出されていましたが、壊れた場所は他にもあるのではないですか」と私が問うと、後藤さんは「志賀原発にはもっと重大な問題がある。変圧器なんてのは些末な問題で、(番組本番では)触れる気もない」。後藤さんの「熱弁」は、すでに本番前の出演者打ち合わせの時から始まっていました。 一方、村田弘さんとは、私はオンライン含めると、年に4〜5回くらいはお会いしています。全国各地で続いている原発賠償訴訟の全体像を最もよく知り、利害関係や、原告の置かれた立場もそれぞれ異なる原発訴訟原告団の調整役として欠くことのできない方です。温厚な人柄ですが、国・東京電力への怒りを表明すべき場面で、きちんそれができることも村田さんが欠かせない理由です。 番組終了後の懇親会では、酒の勢いも手伝って、後藤さんから「いや実は、こういう番組に呼んでもらったのは久しぶりなんだよね」という意外な発言も出ました。福島で起きた原発事故に伴う問題のうち、解決したものが1つでもあるでしょうか。そういう状況なのに、社会の関心はもう風化してしまっている。 もちろん、毎日数百人単位で人が死んでいるウクライナやガザのほうに、目が向きがちなのは仕方がないことです。しかし、偶然同じ日に重なった子ども甲状腺がん裁判を見ていると、福島原発事故だって「緩慢な殺人」には違いありません。若者たちの輝ける未来をこんな無残な形で潰しておいて、一体どの口が少子化対策などと言っているのでしょうか。日本列島に50基もの原発を並べ、若者の未来を潰した自民党に少子化対策を語る資格などありません。日本にとって最大の少子化対策は、トンチンカンな政策ばかり打ち出して恥を恥とも思わない自民党に、1秒でも早く政権を降りてもらうことです。 「もう事故から13年だよね。『昔、原発って物があってね』と言える時代が、今ごろ来てるはずだったんだけどな」と後藤さんは言いました。確かに、3.11直後の数年間、実際に原発は止まりましたし、これで本当に原子力ムラも終わりではないか、と思った時期もありました。泊原発停止で日本から全原発の火が消えた2012年5月5日、こどもの日−−経産省前テントひろばでみんなで踊ったときの感動。そして、すべての大人が力を合わせ、日本の子どもたちに送った「原発のない日本」という最高のプレゼントを、私は今も忘れていません。 しかし、一方で後藤さんは「脱原発は100%できる。少し時間がかかるとは思うけれども」と付け加えることも忘れませんでした。根拠こそ示しませんでしたが、13年間「原発業界界隈」を見続けていれば、言われなくてもわかります。できもしないとわかっているのに「やってる感」を出すだけの廃炉作業。収束の目処も立たない汚染水。たまり続ける一方で、まだ処理方法も見つからない核のごみ。青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理施設は、20世紀のうちに完成しているはずだったのに27回も延期になっており、「永遠の建設中」になりそうです。原発は資源を海外に依存しなくていい「純国産電源」だという経産省の宣伝も嘘っぱちで、ウラン燃料も実は海外からの輸入。輸入が途絶すれば運転できなくなります。 昨年、岸田政権は原発大回帰政策の総仕上げとして、GX電源法、原子力基本法改悪を強行しましたが、3.11前に54基もあった原発の半分近くで廃炉が決まり、現在稼働しているのは12基。日本の発電量に占める原発の割合は3.11前は3〜4割あったのに、現在は1割にも達していません。 再稼働が進まない最大の理由は、実はコストにあります。3.11後に厳しくなった規制基準(私たち脱原発派から見れば緩すぎてお話にならないレベルですが、「原発のある場所が安全な場所」という運用が平然と行われていた3.11以前に比べれば、これでも厳しくなったほうなのです)により、かつては1基5000億円で建設できた原発が、現在は1基1兆円といわれています。電力会社にとっては、従来のように運転期間が40年ではまったく「元が取れない」のが現状です。5000億円の建設費の「元」を40年で取っていたのなら、1兆円の元を取るには最低でも80年運転する必要があります。GX電源法強行の際、3.11を教訓にせっかく作った「原発運転期間40年ルール」を政府・電力会社が撤廃してしまったのは、おそらくこれが本当の理由です。 そして、そんなに長く運転できるわけがないことは、おそらく電力会社もわかっています。原発新増設が必要だ、さっさと建てろと騒いでいるのは電力会社の財務諸表など見たこともない「外野」ばかりです。13年間、原子力ムラが全力を振り絞って、それでも1割にも回復できなかった原発が、今後「主力電源」に躍り出られるとは、到底思えません。どこを見てもプラス材料はなく、原発が「終わらない理由」を探すほうが難しいのです。 原子力ムラが直面している「当面の最重要課題」は、使用済み核燃料再処理施設が事実上頓挫しているため、各地の原発サイト内で、使用済み核燃料が行き場を失ったまま燃料プールにたまり続けていることです。燃料プールの「使用率」は原発ごとに異なりますが、60〜70%台のところが多く、再稼働した原発の中には80%台に乗るところも出てきたようです。特に深刻なのが福井県内の各原発で、このまま推移した場合、早ければ5〜6年後には燃料プールが満杯になり、六ヶ所村にも移送できないため、原子炉内の燃料を取り出せなくなり、運転を止めざるを得なくなります。これが事実上、原発の「自然死」になるとのシナリオが現実味を帯びてきています。 「昔、原発ってものがあってね」と語り合える日はもう少し先になると思いますが、「そういえば原発って今、全然動いてないよね」と語り合える日は、50歳代以下の世代であれば、生きているうちにおそらく訪れます。ドイツのように大々的に「原発やめます!」宣言をするというのではなく、ある日、ふと気がついたら静かに息が止まっていた−−という日本的展開になると思います。 「甲状腺がんをはじめとする健康被害問題は、原発問題を語る上で1丁目1番地です。これを暴露されることを、何より原発推進派は恐れています。広島・長崎の黒い雨裁判も未だに続いています。おととい(9月9日)、長崎の黒い雨裁判で判決がありました。一部原告しか被爆者と認めない不当なものでしたが、一方で嬉しい出来事もあります。土壌中に沈着した放射性物質が原爆によるものか、戦後の大気圏内核実験によるものかはこれまでわからないとされてきました。しかし、土壌を深く掘り、積み重なった地層のうちどれに含まれているかを通じて、放射性物質が沈着した年代を特定する手法が開発されたのです(注:9月9日放送されたNHK「クローズアップ現代」の受け売りです)。 この手法は、福島原発事故後の土壌調査を通じて開発されたといいます。原発事故は、確かに不幸な出来事でしたが、そこで開発された手法が長崎の被爆者を救うことにつながったのであれば、13年間頑張ってきた甲斐もあるというものです。広島、長崎、福島。すべての被害者が手を取り合い、お互い助け合いながら、最後はみんなで笑いましょう」。 9月11日、レイバーネットTVの放送に先立って行われた子ども甲状腺がん裁判。東京地裁前で、私はこのようにスピーチしました。今の私の人生目標は「生きているうちに自分の目で日本の原発最後の日を見届けること」です。私は、必ずできると信じています。子どもたちに「原発のない日本」をプレゼントした12年前のこどもの日。みなさん、ぜひ力を合わせて、もう一度子どもたちにこのプレゼントをしませんか? (報告・文責:黒鉄好) Created by staff01. Last modified on 2024-09-15 16:54:37 Copyright: Default |