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「週刊金曜日」で始まった「町中華」の連載/レイバー映画祭がきっかけに
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「週刊金曜日」で始まった「町中華」の連載〜レイバー映画祭がきっかけに

 「週刊金曜日」9月6日号から<私が愛する「町中華」>という連載エッセイが始まった。写真と文は、津田修一さん。津田さんは「レイバー映画祭」の常連作家で、昨年7月には「私の好きな店」という短編映画を発表している。「週刊金曜日」の連載は、この映像作品発表がきっかけになっているようだ。

 記念すべき第一回のタイトルは、「なぜ、私の周りから好きな店が、どんどん消えていくのか」だ。だれもが身近に体験している町中華の存亡の実態を「極私的」に迫っている。最初に取り上げているのは、京王線笹塚駅前にある「代一元(だいいちげん)」である。

・・・そのシャッターにある日、こんな不吉な貼り紙がしてあった。「しばらくの間 休みます」 ガーン。この手の貼り紙で「しばらく」が「しばらく」であった試しはないので。やな予感しかしない。勘弁してくれ。まだ食べてないメニューがたくさんあったんだよ。(エッセイから)

 津田修一さん(写真)は映像もそうだったが、文章も同じ。なんの飾り気もなく、さりげなく、本音で、ふつうの言葉で紡がれている。その「脱力系タッチ」が読む人を引き込んでいく。写真がたくさん使われていて、視覚からも「町中華」の「味」が伝わってくる。

・・・蕎麦屋の「長寿庵」は大晦日を前に力尽き、駅前の再開発を生き残ったはずの釜あげうどんの「後楽」はケンタッキーになった。おいおい、サイゼリヤの圧勝かよ。(エッセイから)

 町中華の存亡は、じつはだれもが身近に体験している話。それには、店主の高齢化や再開発が背景にあるようだ。気が付いたら、駅周辺の飲食店はチェーン店だらけの町並みになり、駅前の光景がどこも同じになっている。私自身、近所の「サイゼリヤ」にのみ込まれてしまっている。これでいいのだろうか。私たちの何かが奪われているのでないか。町中華の話は小さな話ではなく、じつは日本社会全体にかかわる話ではないのか。エッセイを読んでいてそんなことを考えた。

 「週刊金曜日」には、「愛する店たちの生き残りの方策を求めて、極私的な情熱と脱力系タッチでつづる不定期連載」と紹介されている。今後の展開に期待したい。(松原明)


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