太田昌国のコラム : 映画『骨を掘る男』をめぐって | |||||||
Menu
おしらせ
・レイバーフェスタ2024(12/25) ・レイバーネットTV(12/11) ・あるくラジオ(10/10) ・川柳班 ・ブッククラブ(2025/1/11) ・シネクラブ(9/1) ・ねりまの会(10/12) ・フィールドワーク(足尾報告) ・三多摩レイバー映画祭 ・夏期合宿(8/24) ・レイバーネット動画 ●「太田昌国のコラム」第97回(2024/12/10) ●〔週刊 本の発見〕第370回(2024/12/12) ●「根津公子の都教委傍聴記」(2024/12/19) ●川柳「笑い茸」NO.158(2024/10/26) ●フランス発・グローバルニュース第14回(2024/10/20) ●「飛幡祐規 パリの窓から」第96回(2024/12/5) ●「美術館めぐり」第5回(2024/11/25) ★カンパのお願い ■メディア系サイト 原子力資料情報室・たんぽぽ舎・岩上チャンネル(IWJ)・福島事故緊急会議・OurPlanet-TV・経産省前テントひろば・フクロウFoEチャンネル・田中龍作ジャーナル・UPLAN動画・NO HATE TV・なにぬねノンちゃんねる・市民メディア放送局・ニュース打破配信プロジェクト・デモクラシータイムス・The Interschool Journal・湯本雅典HP・アリの一言・デモリサTV・ボトムアップCH・共同テーブル・反貧困ネットワーク・JAL青空チャンネル・川島進ch・独立言論フォーラム・ポリタスTV・choose life project・一月万冊・ArcTimes・ちきゅう座・総がかり行動・市民連合・NPA-TV・こばと通信
|
映画『骨を掘る男』をめぐって奥山勝也監督のドキュメンタリー映画『骨を掘る男』(日本・フランス、2024年)を観た。ガマ(自然壕)の中に入り、沖縄戦での戦没者の遺骨を長いこと掘り続けている具志堅隆松というひとのことは、新聞報道などで知っていた。沖縄半島南部の土砂を、米軍の新しい辺野古基地建設のための埋め立て工事に使うという計画が明らかになった時、具志堅さんがこの計画を阻むために沖縄県庁前でハンガーストライキを行なったというニュース報道を通してだった。具志堅さんについてはそれ以上の詳しいことは知らなかった。映画は「ガマフヤー(自然壕の中で掘る人)」を自称する具志堅さんの日々の作業の様子を第一義的に追う。1954年に那覇市に生まれた具志堅さんは、82年ボーイスカウトの成人リーダーとして糸満市周辺の原野での遺骨収集に携わって以降、当初は年に一度行なわれる本土の遺骨収集団の行事に参加する形で、そして出土する遺骨が年々劣化していることに気づいてからは単独で収集作業に取り組んできた。それを70歳となった現在も続けているのだから、実に40年以上にも及ぶ。これまでに掘り出した遺骨は400柱という。年平均10柱と出会う「だけ」だと知ると、この孤独な作業には、どれほどの根気強さが必要だろうと思わせられる。しかも彼は厚労省と掛け合い、2011年からは遺骨のDNA 型鑑定が行なわれるようになったから、沖縄戦戦没者の身元特定の道も開かれた。「やめたいって思ったことがない」ひとりっきりの活動は、遺族との接点を作り出すことで、社会的な回路を得たのである。 キセルと簪と乳歯が同じ場所から出てくれば、おじいさん、母親、幼子が一緒に壕の奥に身を潜めていた姿を想像する。手首から先のない腕の骨二本を見つけると、手榴弾を両手に握りしめたまま自爆した兵隊がそこに「いた」と推測する。そして弔う。茶碗のかけら、朽ち果てた片方だけの靴、粉々に砕けて散乱している骨……掘り出されるどんな小さなものの背後にでも、それを使っていた/身につけていたひとの存在を「実感」する具志堅さんのことばは、あくまでもやさしい。
奥山監督は「DIRECTOR’S NOTE」で次のように書いている。「特に興味深かったのは、(具志堅さんの)遺骨収集現場での声と、異議申し立ての声の質が別人のように違うことだった。収集現場での声は常に逡巡していて、予想されるあらゆる可能性に開かれていた。対して、街中や異議申し立ての声はストレートに相手に響くような端的な声だ。撮影を進めるうちに、この一見すると相反する声の質は、具志堅さんに必要な両面なのだと感じるようになった」。画面に見入る者の多くが、これと同じ印象を受けるだろう。 21世紀に入ってからの傾向だろうか、すでに存在している映像アーカイヴを活用し、加工し、編集を加えて、新たな作品が生み出されている。私はこのかん、ウクライナ出身のセルゲイ・ロズニツァのアーカイヴ作品群に注目しているが、この『骨を掘る男』でもアーカイヴ映像が使われている。しかし、事は沖縄戦に関わるものであり、残っている映像記録は、圧倒的な勝利者=米軍側が残したものでしかない。具志堅さんがその中に入って骨を掘っている「壕」との関わり合いでいえば、手榴弾を投げ込み、火炎放射器で攻撃する米兵の後ろ姿しか写っていない。その直後に起こった惨劇を、具志堅さんが掘り出す骨や日用品のかけらに重ね合わせながら思い起こす想像力が、観る者には問われる。 1984年沖縄生まれの奥間監督は、沖縄を表現する時に、米軍基地を初めとするポリティカルイシュウーが好むと好まざるとにかかわらず否応なく入り込むこと、そのために本来そこにある豊かな生活、やるべき仕事、やりたい表現が歪められることに違和感を持っていたようだ。だが、5年越しの撮影が進行していた後半になって、否応なく南部土砂問題は浮上した。戦争犠牲者の、うち捨てられたままの骨を掘るという具志堅さんの長年の営為を、コケにするようなこの計画を取り上げないわけにはいない。そう心を決めた監督の視線は、糸満市摩文仁の平和祈念公園の「平和の礎」に刻まれた、国籍を問わぬ戦没者24万人の名前を老若男女がリレー方式で読み上げる様子にカメラを向けるところまで及んでいく。前半部、「骨を掘る男」に「カメラを向ける男」の、二人っきりの物語が、「抗議行動に集まった人たち、(戦没者の名前の)読み上げをした人たちの存在によって無数の線が引かれて面となり、“わたしたちの物語”と呼べるような多層的な映画になった」という監督の述懐が、この映画の核心をいみじくも語っていると思える。 私はこの映画に次のようなコメントを寄せた。 Created by staff01. Last modified on 2024-05-22 07:28:20 Copyright: Default |