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〔週刊 本の発見〕『山上徹也と日本の「失われた30年」』
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毎木曜掲載・第300回(2023/5/25)

火を噴く絶望

『山上徹也と日本の「失われた30年」』(五野井郁夫、池田香代子著  2023年3月刊 集英社 1600円)評者:佐々木有美

 2021年10月31日ハロウィンの夜、走行中の京王線の車内で、映画『バットマン』の悪役 「ジョーカー」に扮した若者が乗客を刺し、オイルをまいて火をつけた。犯人は、動機を「大量殺人をして死刑になりたかった」と話した。私は、言いようのない気持ちに襲われた。この社会の底に沈んでいる絶望が火を噴いたような気がした。考えてみれば、2008年の秋葉原通り魔事件、2016年の「津久井やまゆり園」事件、アニメ会社や医院の放火殺人事件…、事件は続いていた。

 京王線事件から約8か月後の2022年7月8日、安倍元首相が射殺された。犯人は、42歳の青年だった。メディアは犯人が統一教会に深い恨みを持ったがゆえの犯行と報道した。わたしは、何かもやもやしたものを抱えながらも、一連の事件との共通性を考えるには至らなかった。そして出会ったのが本書である。

 本書は、2019年10月から2022年6月までの1364件にのぼる山上徹也被告のツイート分析から、なぜ彼がああした行動をとらざるを得なかったのかを追跡している。筆者の一人である、政治学者の五野井郁夫は山上被告と同じロスジェネ世代であり、「山上被告の境遇を知るうちに、これは他人事ではなく自分は運がよかったに過ぎないと感じ、胸が締め付けられる思いがした」と書いている。

 ロスジェネ世代とは、1991年から2000年代、バブル崩壊以後の就職氷河期に直面した世代である。この30年で格差社会は進行し「下流社会と上級国民」という言葉も生まれた。五野井は、プレカリアート(不安定労働者)化したロスジェネ世代にとって、日常は戦争であり、平坦な日常こそが最も過酷な戦場だと述べている。新自由主義の自己責任論に飲み込まれ、うまくいかないのは自分のがんばりが足りないからだと懸命にいろいろな資格をとる。山上被告も、測量士補、宅建、ファイナンシャルプランナーなどいくつもの資格をとっていた。しかし不安定雇用から抜け出ることはできなかった。共著者で、ロスジェネ世代の親の世代である池田香代子は「この国は…若者の生き血を吸い見殺しにすることで延命を図ってきた」と言う。

 山上被告は、2019年に『ジョーカー』(写真)を観ている。ツイートで彼は「ジョーカーという真摯な絶望を汚す奴は許さない」と言っている。貧困と不遇の中でいくつもの殺人を犯してしまうピエロの主人公を、彼は他人事と捉えることはできなかった。五野井によれば、ロスジェネ以降の世代も、生きづらさという点では変わりはなく、世の中に放り込まれたときのハードさは、現在のほうがひどいという。一触即発。「ちょっと針を突いただけで破裂しそうな何かがわれわれのまわりにある」。だから「ものすごく簡単に言ってしまえば、この社会はテロリズムを生む社会になっている」と。

 統一教会が山上被告に与えた苦難は筆舌に尽くしがたい。しかし彼を犯罪においやったのは、統一教会をも含めた「失われた30年」という時代だった。今年の4月15日、和歌山市で岸田首相に爆発物を投げつけた青年は24歳だった。動機は定かではないか、こうした形でしか自己を表現できなかった心情は、山上被告と重なるように思える。

「世界を支配するのはデタラメ。表層しか見ない無関心とそれに基づいた感情、最後まで生き残るのは搾取上手と恥しらず」

「残念ながら氷河期世代は心も氷河期」

 山上被告のツイートである。多くの若い世代をこうした状況に突き落としたのは新自由主義のもたらした社会構造だが、その下手人は、人間の顔をした歴代自民党政権と経済人たちなのだ。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。


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