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●田中洋一メールマガジン「歩く見る聞く 99」(2023年12月28日号)より

「年の差」夫婦が命がけで訴えたこと〜横浜事件の木村まきさんを偲ぶ


*木村まきさん(左)と亨さん

 34歳も年の差のある夫婦が、文字通り命がけで社会に投げ掛けたメッセージとは何だったのだろう。そして、その訴えを私たちはどれだけ受け止めることが出来たのか。そう振り返っている。

 夫は木村亨(とおる)さん(1915−98)。妻まきさんは74歳でこの夏に亡くなった。二人の出会いから永久の別れまでは9年しかなく、そのうち結婚生活はわずかに6年間だった。

 二人を結びつけたのは、言論弾圧として知られる横浜事件だ。中央公論社で言論を生業としていた亨さんは、特高(特別高等警察)により、共産党の再建準備との濡れ衣を着せられ、1943年5月に治安維持法違反の容疑で逮捕される。27歳だった。

 2年3か月余りの未決勾留では凄惨な拷問を受け、敗戦直後の45年9月15日に横浜地裁の執行猶予つき有罪判決を渋々受け入れて拘置所を出た。検挙された60数人のうち4人が獄死し、1人が出獄直後に亡くなった。

名誉を回復しない再審免訴

 看護系の出版社に勤務していたまきさんは、亨さんたち横浜事件の被害者が再審裁判を求めていることを知る。第1次再審請求は1986年7月に行われたが、棄却されている。横浜事件が大手メディアに取り上げられるようになったのは、この頃からだ。

 まきさんは横浜事件の記録を残す重要性を直感していたようだ。その後、裁判記録の本2冊と、亨さんが書き記した記事類をまとめた本の、いずれも分厚い計3冊を自費出版する。出版を仕事にしていたとはいえ、しっかりした内容で、本稿でも引用している。

 それだけでなく、まきさんは目の前で進む再審請求の動きを動画と音声で残そうとした。まきさんを偲ぶ集いが東京で今月開かれ、ビデオジャーナリストの松原明さん(72)に教えてもらった。

 きっかけは松原さん制作の『横浜事件を生きて』(1990年)の試写会だった。まきさんはこれだと思ったのだろう。さっそく松原さんのビデオ講座を受講し、基礎技術を身につける。

 松原さんは振り返る。「まきさんは試写会で亨さんに出会い、同時にビデオの力を知る。それからは亨さんの追っかけですよ」

 国内での再審請求がなかなか進まない中で、亨さんは支援者や弁護士と共に1991年と92年の夏にジュネーブの国連欧州本部へ出かけ、拷問を受けた場面を再現し、日本の人権状況を訴える。まきさんは記録係として同行し、一部始終を記録した。

 そして92年3月、二人は横浜事件の関係者に祝福されて結婚する。亨さんの初婚の妻は病没していて、34歳の年の差を乗り越えての結婚になった。どちらから働きかけたのか、当時の私に聞き出す勇気はなかったが、ビデオの中でまきさんは語っている。「結婚は私の方から言い出し、木村さんは認めてくれました」

 これは許せないと思ったら、相手が誰であろうと、とことん突き詰めて追及する亨さんの一途な思いと行動力に惹かれたに違いない。そして、横浜事件にみる不正義を亨さんと共に正すことこそ、自らの進むべき道だと確信した。そこから先は二人三脚だ。

 まきさん初のビデオ作品『人権ひとすじ』(1998年)は二人の出会いから、亨さんの追悼までが描かれている。ナレーションも彼女自身で、撮影者と被写体の距離感がとても近く、舞台裏も所々に顔をのぞかせて興味深い。


*『横浜事件を生きて』『人権ひとすじ』を上映したギャラリー古藤の追悼企画展(2023年12月21日)/写真提供=永田浩三さん

 横浜事件の再審請求は3次に及び、2003年4月に横浜地裁で実を結ぶ。治安維持法違反に基づく原判決の謄本が添付されていないと棄却されてきたのだが、実は裁判所自身が敗戦直後に焼却していたのだ。併せて戦後、亨さんたちの告訴に基づき、拷問した特高刑事3人が有罪判決を受けて確定していることが突破口になった。

 再審開始の狭い扉はこじ開けられる。だがその時点で既に、横浜事件に巻き込まれた被害者の再審請求人は、亨さんをはじめ全員が鬼籍に入っていた。

 迎えた再審公判では、亨さんの遺志を汲んだまきさんたち遺族が前面に立つ。だが、亨さんたち被害者(元被告人)全員の無罪判決を求めたのに対し、横浜地裁が2006年2月に言い渡した判決は免訴だった。免訴が確定すれば、元の有罪判決は失効すると理由づけされた。東京高裁も最高裁も同趣旨の判断をして確定した。

 聞き慣れない免訴とは、治安維持法が廃止されたので実体的な審理はせず、つまり有罪か無罪かという判断は示さずに、裁判を打ち切ることだ。

 これに対し、まきさんは東京高裁に要望書を出す。「『免訴』とは、私には、罪があるが免じてあげると、高い所から言われている気がしますし、名誉回復とはほど遠い」。そう反発する。「横浜事件の被害者は犯罪行為(治安維持法違反)を行っておりません。拷問による虚偽の自白だけに基づいて有罪とされました。そういう被害者に対しての免訴判決は、さらに深く傷つけられる……」(横浜事件再審ネットの2007年4月19日付ニュース)

現代の治安維持法も視野に

 この後、亨さんたち元被告の名誉回復を求める国家賠償訴訟を最後に、横浜事件を法的に問い直す場は閉じる。まきさんは、現代の治安維持法にもつながり、言論弾圧になりかねない動きに注意を払うようになる。共謀罪の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法の改定が最たるもので、メディアの取材に応じ、記者会見を開く。

 でっち上げ捜査は今も絶えない。警視庁公安部の捜査官が「捏造ですね」と認めざるを得なかった大川原化工機”事件”で逮捕と起訴は違法との判決が東京地裁で言い渡されたのは昨日のことだ。

 まきさんといえば、小柄な身体に資料があふれそうに詰まった肩掛けで現れる姿がまぶたに焼き付いている。だが、数年前から身体の不調を訴えていた。私は元気そうだと安心していたのだが。

 疲れがたまっていたのだろう。「危険な暑さ」のこの夏、東京都清瀬市の自宅マンション室内で倒れているところを8月14日に発見される。既に息絶えていた。事件性はなく、自死でもなく、亡くなったのは7月末か8月初めと警察は判断したそうだ。熱中症で倒れたのではないか、と関係者は見ている。

 それを知り、私はまきさんが手掛けていてやり残したことがあるのではないか、と思った。でも、まきさんにビデオを手ほどきした松原明さんは、こう言う。

 「まきさんは(やるべきことをやって)燃え尽きたと思う。亨さんが亡くなってからは孤軍奮闘だった。今回の展示も7月に打ち合わせている。この集いはまきさんを励ます会になるはずだった」

*田中洋一さんは埼玉県在住のジャーナリスト。福島原発問題などをテーマにメルマガを発行している。 tanaka@wb3.so-net.ne.jp


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