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〔週刊 本の発見〕阿波根昌鴻『命こそ宝―沖縄反戦の心』
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毎木曜掲載・第255回(2022/5/26)

ただ一人でも最後まで耐えるなら

『命こそ宝―沖縄反戦の心』(阿波根昌鴻 著、岩波新書、1992年刊) 評者:佐々木有美

沖縄の本土復帰50年を前に、5月9日沖縄出身で大学院生の元山仁士郎さんが、政府に辺野古基地断念などを求めて、たった一人のハンガーストライキに突入した。元山さんの行動を前に、わたしは反戦地主として沖縄の基地反対闘争の先頭で闘った阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さん(写真)のことばを想起した。「ただ一人でも最後まで耐えるなら、勝利は絶対確実である」。不退転の決意は、本土の「無関心」と沖縄の「あきらめ」とも言われる中で、半世紀以上の歳月を経てつながっていた。

1992年に出版された本書は主に復帰後の阿波根さんの活動をまとめたものである。阿波根さんは、復帰で米軍の基地もなくなり平和に暮らすことができると信じていたが「沖縄県になったことで自動的に適用されたのは、平和憲法ではなく安保条約でありました」と皮肉を込めて書いている。復帰後、「島ぐるみ闘争」と呼ばれた反基地闘争は勢いを失い、反戦地主の数も激減した。物価高、生活苦のため軍用地契約をせざるを得なくなった地主たち、一方で政府は基地周辺整備などの名目で金をバラまいた。

こうした困難な状況の中で、阿波根さんは「命より大事なものはない。もう二度と戦争はあってはならない」の決意の下、反戦平和資料館「ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家」を地元の伊江島に作り、交流と学びの場にしようと立ち上がった。阿波根さんは若い時、ペルーやキューバに出稼ぎに行った。沖縄に戻ってからは、デンマーク式の農民学校を作ろうと準備を進めていたが、実現の直前に戦争が始まり、その学校の教員になるはずだった19歳の一人息子を沖縄戦で亡くした。彼の反戦平和運動の原点には、息子を失った親としての痛恨の思いがある。

反戦資料館で何より目指したのは、戦争の根本の原因を明らかにすることだった。原爆の写真には「原爆を落とした国より、落とさせた国の罪は重い。」のことばが添えられている。阿波根さんは、戦争を起こした日本の責任、天皇の責任を徹底して追及した。「戦争をやめさすときは、天皇の考えでできたのに、戦争をやったときには責任はないというのは何事か」。

資料館の入り口には「すべて剣をとる者は剣にて亡ぶ(聖書)。基地をもつ国は基地にて亡び、核を持つ国は核で亡ぶ」の言葉とともに、米軍に訴えるときの「陳情規定」(写真下)を掲げた。「会談のときは必ず座ること」「耳より上に手をあげないこと」「大きな声を出さず、静かに話すこと」「道理を通して訴えること」「人間性においては、生産者であるわれわれ農民が軍人に優っている自覚を堅持し、破壊者である軍人を教え導く心構えが大切であること」などが記されている。非暴力と高い倫理性に支えられた運動は、何より人間(命)を大切にする思想につらぬかれている。

クリスチャンである阿波根さんは青年時代、京都の奉仕団体・一燈園でも学んだ。その時に習った「詫びあい」つまり、他を責めないことが彼の生き方の基本になった。それではわたしたちが本当に闘わなければならない相手は誰なのか。阿波根さんは書いている。それは「戦争をやりたがっているアメリカと日本の、人間の顔をした悪魔に対してであります」と。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志水博子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、ほかです。


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