
投稿者 : Josep M. Boixareu(カタルーニャ州バルセロナ)
カタルーニャ、7回目の独立
2017年に自己決定を問う住民投票が実施されたことで世界中の話題を集め、現在もスペイ
ン国家から厳しい弾圧を受けているカタルーニャの独立運動は、決して新しいものではな
く、数世紀前に遡る長い歴史の軌跡を持つものである。カタルーニャは常に自由、独立を
目指し、より公平な社会を作り、住民の生活を向上させるという志を持って共和政を形成
しようとしている。実際、カタルーニャはすでに何度か独立した国家になっている。
1-1988年からボレル2世伯爵はアンジュー家から独立した。これは、フランク族がアラブ人と
の戦争に協力しなかったためである。彼は、単独であるいは半島にある他の領土と連合し
て独立を保つカタルーニャを形成した。1714年になってブルボン家のフィリップ5世が、
フランスの祖父ルイ14世から送られた軍事援軍のおかげでバルセロナに入城し、その後、
カタルーニャ人との協定をすべて破った。事実上、8世紀もの間、独立を保っていたので
ある。
2-1793年から1871年にかけて、フランス革命と同じように、カタルーニャではカタルーニャ
共和国の樹立を目指した陰謀が行われた。1810年から1812年にかけて、ナポレオンの保護
下でカタルーニャ共和国が宣言され、兄のスペイン王ジョセフ・ナポレオン1世の怒りに
触れた。
3- 1873年、Diputació de Barcelonaによりカタルーニャ国が宣言される。
4- 1928年、キューバで、亡命したカタルーニャ分離派の憲法制定議会によってカタルー
ニャ共和国が宣言された。
5- 1931年4月14日、フランセスク・マシア大統領はカタルーニャ共和国を宣言したが、後
にこれを撤回した。
6-1934年10月6日、リュイス・クンパニィス大統領は、スペイン共和国の中にカタルーニャ
国家を宣言した。彼は投獄され、数年後の1940年、フランスでゲシュタポに逮捕され、ス
ペイン独裁政権に引き渡された後、独裁者フランコによって銃殺された。
7-最後に、2017年10月27日、カタルーニャ大統領カルレス・プッチダモンは、10月1日に
行われた自己決定住民投票での圧倒的な「賛成」に基づき、議会の本会議で、共和政とし
てのカタルーニャの独立を宣言したが、スペイン国家の権力者、中でも同じブルボン家の
フェリペ6世から、この宣言を実行すればカタルーニャで血祭りに上がると脅迫されて中
断した。
カタルーニャがヨーロッパの中で主権国家を実現するまで挑戦し続けることは明らかであ
る。今、私たちカタルーニャ人はスペインの中で苦しんでいる。それは、押しつけ、画一
化、差異の拒絶、王権と寡頭政治への依存に基づくカスティーリャの世界観の表出である。
一方、カタルーニャ社会は、空気を吸うように、条約、民主主義、多様性の尊重、社会
正義に基づき、何世紀にもわたって築き上げてきた世界観に従って生きることができるこ
とを必要としているのである。
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Last modified on 2022-09-29 09:57:38
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