レイバーネット合宿―秩父事件・歴史巡検―参加記 | |
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レイバーネット合宿―秩父事件・歴史巡検―参加記森 健一(もと高校日本史教員)〈秩父困民党とはコミューンの思想〉 1884(明治17)年11月に秩父地方で武装蜂起した1万余の困民党が率いる軍勢は、西洋式のスピンドル銃をもつ薩長藩閥政府(内務卿・山県有朋)の憲兵隊の追撃に敗れたが、「革命本部」と名乗った困民党の思想は現代につながり、私たちの中に生きている。 神山征二郎監督『草の乱』(2004年)をDVDで事前学習した。ながく日本史を授業してきたが、困民とはコミューンのことだとレイバーネット合宿でやっと気付かされた。 〈江戸時代から続く一揆の作法〉 高利貸しを襲撃、借金証文を破り、隣家には延焼させない、略奪行為をしない。私的な怨恨を晴らすことや、酒宴や女色を犯す者は斬(軍律5か条)。 〈吉田椋神社の龍勢――ロケット花火〉 私たちは昼、井上伝蔵商店を模した龍勢会館を後にして吉田郷の椋神社を見学した。江戸時代以来、難しい黒色火薬の調製から打ち上げの当日まで、秩父地方の集落ごとに技と団結力を競いあった。これは困民党の蜂起の素地となった。この伝統技法は中国・雲南省やインドシナ半島に及ぶとのこと。山岳の狩猟民の生活様式が垣間見える。東大・航空工学科も協賛で参加するが伝統技法には及ばない時もあったと地元ボランティアの方から聞いた。 〈一揆の統領たる者――北海道に渡った井上伝蔵〉 司令官に従わない者は斬(軍律)とある。秩父吉田の椋神社に集まった諸隊を前に「困民党総理・田代栄助、参謀長・菊池貫平・・」と読み上げられ、軍律と共に盟約しあった。会計長の井上伝蔵(緒方直人が演じる)は事件後、2年の間、地元の同志に匿われ、変名して北海道・野付牛村(現・北見市)に渡った。そこでも高浜商店として事業に成功している。逃亡先でも才覚と人望で慕われたに違いない。北見時代の妻・高浜ミキを田中好子が演じている。俳句を好んで詠んだ伝蔵は、郷里・秩父の甥と俳誌を通じて連絡を取っていた(乱鬼龍氏の説)。伝蔵は息を引き取る際、家族に写真を撮らせ、秩父の親族に引き合わせた。 〈自由党の解散――準備そろわぬまま秩父困民党のみが蜂起〉 板垣退助らは、秩父困民党の一揆の企てを聞き、自由党解散を決める。政商である三井から洋行の費用を得、フランスに渡ってしまった。窮した困民党幹部は、信州・佐久地方や群馬・高崎、南多摩・町田の自由党員に使者を派して、信・武・上州の三国にまたがる広域連合で東京の藩閥政府に勝つとの軍略を建てた。しかし、革命本部の幹部の命に従わず、気負いから一部は先に高利貸しを襲撃してしまう。結果、秩父困民党だけの武装蜂起となった。 まとめ 1890(明治23)年、自由党や立憲改進党の流れをくむ民党が優勢な帝国議会が開設される直前、10月31日に発布された教育勅語がながく国民思想として内面を支配してきた。2022年9月27日の安倍元首相の「国葬儀」も日本国憲法が禁じる、内面、良心の自由への支配に他ならない。山本五十六を除けば、薩長出身者、公家などが「国葬儀」となった。 Created by staff01. Last modified on 2022-08-23 17:28:37 Copyright: Default |