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9条改憲阻止の会 メール通信 20220111
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本年もよろしくお願いいたします。

引き続き、三上さんの『改憲阻止の総括と展望』(第7回)をお送りいたし
ます。 (メール通信担当)

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改憲阻止の総括と展望(7回)
   ―安倍政権の憲法改定の挫折と改憲の今後―
                                                               三上治
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(8)
 自民党は結成以来、憲法改正(自主憲法の制定)を党肯としてきた、だから
自分も憲法改正を目指す、とは岸田首相の言だがこれはそのまま受け取るわけ
にはいかない。何度も指摘してきたことだが、自民党は結党以来、憲法改正を
掲げてきたことは事実だが、それを政治課題としてとりあげてきたかというと
そうでもないのである。1955年に自民党が結成されて以降、鳩山一郎−岸信介
までの民主党系のヘゲモニーで憲法改正が政治課題とされていたが、岸の後の
池田首相以来長きにわたって憲法改正の動きは封印されてきたのである。これ
は戦後の吉田茂の系譜の自由党系が自民党のヘゲモニーを握ってきたことに他
ならないが、この動きは2000年までのほぼ40年近く続いたのである。よく言わ
れるように自民党のハト派と言われる面々が政権の座にあり、彼らは憲法擁護
派だった。彼らはアメリカの日本への戦争加担(戦争参加)要請を、憲法9条を
盾にして拒んできた。アフガニスタンへのソ連の侵攻(1980年)に対ソ聖戦が生
まれ、これに支援する動きがアメリカを中心に始まつたが、日本はこれに加わ
らなかった。宮沢喜一が時の首相だったが、「戦後の日本は価値観の判断には
加わらない」として参加要請を拒否したのである。

 こうした中で、湾岸戦争(第一次湾岸戦争、1990年イラクのクェート侵略に
対し国連が多国籍軍を組織して展開された戦争)が起こった。よく知られてい
るように(最近のアメリカの外交文書でも明瞭になった)、アメリカはこの戦
争に日本の軍隊(自衛隊)の海外派兵の要請をした。日本の首相は海部であっ
たが、日本は軍隊(自衛隊)の派兵を拒否し、多額の軍費(130億ドルと言
われる)で応じた。だがこの戦争に対する評価として日本は冷たく処された。
そこで様々の議論が出てきた、よく知られるのは小沢一郎の「普通の国」にと
いう意見であり、国際貢献論であった。そして、日本は一国平和主義であると
いう日本の外交路線の批判である。これらは何を意味していたのであろうか。
 憲法9条は国際紛争に加わらない、そのために交戦権を否定し、戦力の非保
持をうたってきた。これは自国への侵略に対する抵抗(自衛の戦争)とそのた
めの軍隊は否定しないという解釈を入れることで自衛隊の存在を認める解釈を
ほどこしてきた。専守防衛論である。そこでは海外の紛争(国際紛争)には自
衛隊の派遣は禁じられてきた。1960年代のベトナム戦争への軍隊派遣の要請に
対する拒否にもこれは働いたとおもえる。最も、この時の首相は佐藤栄作であ
り、彼はアメリカの要請に対応する気がなかったわけではない。そう思える。
ただ、この時はベトナム反戦闘争の盛り上がりがあり、それが拒否の力になっ
た。佐藤のアメリカの要請に応じようとすることを押しとどめる力になった。
  
 湾岸戦争の影響というのはその後に国際貢献論などの議論を生み、自衛隊の
海外派兵と活動(PKO活動)の規制の緩和などに結果してが、一国平和主義批判
(積極的平和主義)の考えを生む契機になった。安倍晋三の「積極的平和主義」
はいうまでもなくここからきている。専守防衛の限定した自衛隊の行動を広げ
る、いうなら国際紛争(戦争)に参加させるようにすることである。後に詳し
く論じるが、安倍の「集団的自衛権行使」の憲法解釈の変更や戦争法の制定は
この流れにあるのだ。戦後の戦争は国家間戦争が核戦争に上昇すると同時に、
地域戦争(地域的な宗教的・人種的紛争)に下降する形で続いてきたのだが、
戦後の日本は憲法9条で地域戦争には参加しないできたことが、崩されようとし
た。湾岸戦争はその契機になった。

 憲法9条は日本のかつての戦争、帝国主義化の下での戦争に対する反省とし
て出てきた。だから、戦争の放棄が国際紛争への関わりの否定としてでてきた
のである後の戦争は核保有国の核戦争になり、これが主権国家間の戦争の主要
な形態となったときに日本は潜在核戦力の保持(いうまでもなく原発保持で核
兵器への転用の可能性保持)する対応をしてきたが、地域紛争(戦争)に参加
しないできた。地域間紛争はかつて大国の地域支配のための行為によって引き
起こされなされたことがあり、その反省から生まれた憲法9条はこの面では機
能してきたのである。戦後の地域間戦争は宗主国と言われる帝国主義国から植
民地支配を受けていた地域住民の独立(独立を目指す民族解放戦争)の段階が
あった。これを経て、地域住民がどのように統治国家を形成するかの紛争(戦
争)が出てきた。ユーゴスラビアの宗教的・人種的紛争がそうだったのだが、
大国はそれにどう関係するのかが問われた。アメリカは世界警察的な機能とし
て介入するという立場での介入をしてきた。かつての大国の植民地支配(帝国
的支配)ではなく、地域の諸国の安定と平和をもたらすためという。アフガニ
スタンやイラクに自由をもたらすための戦争というわけである。言うまでもな
く、そんなことが可能なわけがない。戦争や軍事介入が自由で民主的な国家を
もたらすというのはあり得ないし、平和をもたらすことはない。アメリカのイ
ラク介入はアメリカの帝国主義的野望によるものであるあった。アメリカのイ
ラク戦争(第二次湾岸戦争)についての当時のコメントを採録しておきたい。
「アメリカのイラク侵攻時に掲げた「イラク自由化」「中近東自由化」という政
治理念が一面であり政治経済的理由が詮索されたのは当然であった。これはイ
ラクや中近東の石油支配であると言われた。アメリカがイラクに仕掛ける戦争
の政治経済的な理由としてはそれしか見当たらなかったというべきである。た
だ、この場合にアメリカがかつての帝国主義的な領土支配による石油《資源》
支配を目指したのでないことは留意して置く必要がある。アメリカがイラクで
目指したのは資源としての石油の直接支配ではなく金融商品化された石油市場
の支配維持である。この点は1990年代後半のアメリカの金融帝国化と関連する。

それならば何故にイラクのフセイン大統領はアメリカに狙われたのであろうか。
それはフセインが石油の決済をドルからユーロに切り替えると発言しそれを画
策したからである。ユーロは1999年に決済用仮想通貨として導入され、2002年
に正式に通貨として誕生した。これはアメリカのドルに対抗する第二の基軸通
貨といわれた。当時は国連管理下におかれていたイラクの石油の決済であるが、
この決済の通貨をドルからユーロに替えることはアメリカにとって許し難いも
のだった。これはドルが石油市場での支配力を失うことにつながるし、またド
ルの基軸通貨としての力を失うことを意味したからである。1990年代後半以降
にアメリカは第二次産業経済(製造業)での衰退を金融経済《金融立国、あるい
は金融帝国化》乗り切ることを加速させていた。ドル基軸通貨の基盤は第二次
経済産業でのアメリカの衰退で必然化したが、これに対して経済の金融化で対
応しようとしたのである。軍事力とドル基軸通貨がその場合いの要であった。
僕はアメリカのイラク戦争が半分はドイツや日本に向けられたものであると書
いた。ドイツというのはユーロ圏という意味でもいいし、日本とはドル離れと
アジア接近をはかろうとする部分に対してという意味でいいのだ。アメリカは
イラクに侵攻してフセインの動きを封じ込めるとともにヨーロッパや日本での
ドル離れを封じ込めようしたのである。アメリカイラクに対する侵攻はアメリ
カが冷戦体制崩壊後の地域紛争とテロの発生を組み込んだ戦略とともに金融経
済を軸にする経済的支配力の再編の戦略に基づくものであった。アメリカは世
界の護衛官であるとともに、世界の経済的発展を牽引するというのが理念だっ
た。冷戦体制後の地域紛争も含めた政治的な再編、高度経済成長を経てきた諸
国の経済的停滞の中でのアメリカの戦略的再編に基づく行動といえた。イラク
戦争とアメリカ金融投機経済の破綻はこの帰結であり結果を示した。」
(2012年)

1900年代の湾岸戦争から始まる時代の動きは憲法9条に対する批判の動きを生
み出す契機になった。「積極的平和主義」の動きがその一つだったといえる。
この積極的平和主義にについて2009年ころだが短い論評がある。ここに収載し
て置く。

「選挙前から民主党の弱点の一つは外交―安全保障問題にあるといわれてきた。
鳩山政権の動きを見ているとなるほど思わせるところがあるが、これは民主党
の問題というより自民党政権から引き継いできた問題である。アメリカのオバ
マ政権がブッシュ政権の戦争の継承と清算で遭遇しているのと同じである。さ
らに言えばアメリカのアフガニスタンやイラクでの戦争の始末があり、歴史的
には冷戦構造後の現在的の戦争の処理の問題がある。日本は今後の外交―安全
保障の針路をどうするかということにほかならない。

前回、日本国際フォーラムの提言を取り上げて論評した。これは混迷する日本、
あるいは民主党の外交―安全保障戦略を的にしたものである、と見受けられた
からだ。オバマ大統領の訪日を睨んでとも言えるが、積極的平和主義(?)を
標榜した危険な構想であると診断できる。積極的というところが怪しいのであ
るが、外交―安全保障問題ではむしろ「消極的」である方が結果として積極的
であること考えた方がいいのである。戦後の日本のこの領域での国家戦略意味
があるとすれば、消極的(?)などと評されてきたことであり、そこは積極的
に継承すべきことだ。

 この提言では基本的な枠組みは戦後の日本の取ってきた外交―安全保障戦略
を「消極的平和主義」〈一国平和主義、一国防衛主義〉とし、これに「積極的
平和主義」を対置する。これは地域紛争と9月11日事件を経て確立されたアメ
リカの反テロ戦争戦略を現在的な安全保障―平和戦略として評価し、これに対
応した小泉―安倍などの路線を、衣を替えて継続する主張である。「第二の敗
戦」といわれる状態の継続である。戦争への踏み出しを「積極的平和主義」と
いう理念でまぶしたのだ。そしてその具体的構想は非核三原則などの見直し、
集団自衛権の行使禁止の緩和、武器輸出三原則の見直しなど、日本国家が戦争
に積極的に踏み込んで行く道筋が「積極的平和主義」として提起されている。
今、何故、こんな国家戦略が提言されるのかと首を傾げたくなるが、現在の日
本のこの領域の国家戦略の低迷に危機感があるためだろうか。「下手に動くな」
ということは軍略では重要なことだが、アメリカの戦後の政治経済の主導性の
終焉期の今、消極的でいいから、混迷の中に身を沈め、そこから浮上すること
を模索すべきだ。」(2009年)これは民主党政権の頃に書いたものだが、やが
て安倍晋三の理念的立場となる。

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