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半世紀、筋の通った生き方貫く/ドキュメンタリー映画『日本原 牛と人の大地』
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半世紀、筋の通った生き方貫く〜ドキュメンタリー映画『日本原 牛と人の大地』

森 健一(岡山県牛窓町在住)


 イントロは、逆子で生まれる仔牛を主人公の内藤秀之(1947年〜)と監督の黒部俊介(1980年〜)が引っ張りだすシーンだ。岡山県津山市と奈義町にまたがる日本原演習場の町道のゲートでなぜ日米共同訓練の際は、入会地や自家耕作地にも地元農民が入れないのか、と内藤の長男・大一が陸上自衛隊の幹部を糾す場面がある。憲法が変われば、土地収用も勝手にできる、今はまだ貴方〔自衛隊〕と対等な交渉ができるが放っておけば、戦前〔旧帝国陸軍〕と同じく、問答無用になる、と。

 1969年11月、大阪扇町公園での反安保闘争で内藤は、デモに誘った糟谷〔かすや〕孝幸(1948年生まれ、当時21才)を機動隊の暴行で失う。内藤は岡山大学の医学生であることを辞め、 日本原演習場反対闘争で演習地内に残った農家である内藤太・勝野夫妻の次女、早苗さん結婚、婿養子となった。

 内藤家は、乳牛を飼い、低温殺菌の「山の牛乳」は地元で親しまれていた。心に病をもつ次男・陽さんらが各戸に牛乳配達する。旧友の水田では合鴨農法で有機米が作られ、演習地内ではサツマイモを育てる。地元の宮内地区では区長を務め、神社祭礼を守る。演習地内の入会地を管理し、地元の消防団を担う。中国山地からの局地風「広戸風」に備える。

 保守系も強固で自衛隊と「共存共栄」の奈義町だが、“ヒデさん”の筋の通った生き方を見て、陰口を言う人はいない。

 私は、4年半前、同じ岡山県でも南部の地にUターンして、2021年の市長選挙の裏方を務めて感じたのだが、全国の町村にあっては、その人物を地元の立場から見なければ、政治信条で優れていても直ちには聞いてはもらえないことだ。

 生家の向かいに見える香川県小豆島でもオリーブ栽培で地域に定住できる雇用を創り、都会地に農産品を送り出す、中堅の経営があってこそ一目置かれている。内藤(旧姓、青井)は隣の鏡野町から婿入り、代々で酪農業を営み、地元で心の問題を抱える若者らに「山の牛乳」の配達という雇用の場を創っている。

 総じて、保守系とされる地方議員らは代々、地元で家業を営む。津山市や奈義町は、岡山3区、戦前の平沼騎一郎から戦後の平沼赳夫、正二郎と親・子・孫、3代の国会議員らと結ぶことで補助金、給付金など(「箇所付け」と呼ぶ)を得る。奈義町も自衛隊駐屯地ゆえに地元に交付金は多く、洒落た現代美術館もある。この映画の作中にあるように奈義町の夏祭りには、国会議員の阿部俊子が自衛隊員の家族らに声援をかける。

 こうした地域の政治構造に対抗することを先の「政治の季節」が青春であった者の多くは関心を払わなかったのではないか。水俣や原発、地域の問題に深く根差そうとした者たちが時代をつないだと言えよう。内藤は日本原闘争で現地入りした学生で一人残った。義母となる内藤勝野は早くから見抜いていたという。

 岡山での封切りに際して、内藤を古くから知る同窓生や作品中の弁護士、僧侶らが上映館に駆けつけていた。満員立ち見の会場(110席)の熱気といい、やはり半世紀もの間、芯の通った生き方をして息子たち、さらに若い農業移住者に戦前、旧帝国陸軍の土地収用、戦後も演習地化に反対した内藤家の父祖、祖母らの抵抗の志は脈々と伝わっている。

 エンドロールは、雪降る中、岡山県北の地区労(県教組美作支部、国労岡山など)が主催する日本原演習場・日米共同訓練反対の「2・11」集会での、内藤の切々としたスピーチだった。参加者には温かい「山の牛乳」が紙コップでふるまわれていた。黒部監督の2020年2月にかけて1年間の内藤家への泊まり込み取材、そして編集を介して、平和、いのち、土地、食、ノーマライゼーション・・多様な視点から各々のテーマが意外なエピソードやおかしみを加えながら通じ合うものへと仕上げられていた。

*映画『日本原 牛と人の大地』公式サイト|監督:黒部俊介 (nihonbara-hidesan.com)言い放つ陸自幹部


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