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〔週刊 本の発見〕竹内好『日本とアジア』
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毎木曜掲載・第218回(2021/8/19)

中国を鏡として映る日本の姿

『日本とアジア』(竹内好、ちくま学芸文庫)評者:加藤直樹

 何度も読み返してきた本である。
 ある世代より上の人々には、竹内好について説明する必要はないだろうが、若い世代であれば聞いたこともない人が多いかもしれない。竹内好(1910―77年)は、中国の文学者・魯迅の多くの著作を翻訳し、日本に紹介した人であり、戦前から戦後の激動の時代にあって中国理解について日本の読者に訴え、また、「中国」を軸に思想し続けた人だ。人物事典などでは「中国文学者」とか「評論家」などと説明されているが、私は「思想家」と呼ぶのがふさわしいと思う。

 竹内は、中国ウォッチャーの類いとは全く違う次元で中国と向き合い続けた。彼はどこかで、自分の側に「問題(意識)」がないものは中国をいくら眺めても何も見えないと書いている。彼にとって中国と向き合うとは、中国を鏡として、そこに映る日本の姿を見定めることだった。

 彼はそこにどんな日本を見出しただろうか。西洋近代を何の抵抗もなく受け入れた「優等生文化」「主体性の欠如」である。そしてその分、「抵抗を放棄した優秀さ、進歩性のゆえに、抵抗を放棄しなかった他の東洋諸国が、後退的に見える」視界の歪みである。竹内に言わせれば、「日本的進歩主義は、進歩とは関係ないばかりでなく、反動(=抵抗)とも無縁であること。したがってそこからは創造のエネルギイは出てこない」「日本は西欧的進歩を踏襲してアジアにおける反動となった」ということになる。*写真=竹内好

 竹内は、そうした日本像を、西欧的な進歩に対する激しい抵抗、思想的対決を通じて進む近代中国の歩みを鏡とすることで掴み取った。それは、日本人の自己認識、アジア認識を相対化しようとする試みだった。

 だが、近代日本の歴史がつくった歪んだ視界を内側から脱ぎ捨てていこうとする竹内の文体は、おのずと複雑にのたうちまわることになる。難しい言葉はほとんど使っていないのにもかかわらず、決して分かりやすくはない。

 戦後の一時期は非常によく読まれていたという竹内だが、その後の日本人の自己認識、アジア認識の変わらなさを見るとき、一体どう読まれていたのか疑問に感じなくもない。だが、もしかしたら21世紀の今、新しく竹内好を読む読者こそが、彼のメッセージを素直に理解できるのかもしれない。というのは、日本の「優等生」的近代だけがアジアにおける近代ではないといった彼の指摘は、今では誰の目にも見える現実になっているからだ。

 たとえば韓国だ。韓国は、近代日本への「抵抗」たる1919年の三一独立運動を通じて「民主共和国」の成立を宣言し、植民地支配からの解放後は上からの近代化である開発独裁への民衆的「抵抗」を通じて「民主共和国」を現実のものに育て上げた。

 一方、「優等生文化」を誇る日本では、自由民権運動から150年が経った今も、共和制を夢にも描けない状態が続いている。その事実は、日本を進歩的と捉え、東アジア諸国を劣ったものとする日本の自己認識(学問や思想を含む)の失当を突き付けている。

 日本の私たちは、まだまだ竹内好を接種すべき段階にある。複雑にのたうつ竹内の文章には無限の滋味があり、分かりにくいままに読み進めていけば、いつの間にか、当たり前のように信じてきた日本中心主義への抗体ができているはずだ。今こそ読んでほしいと思う。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志水博子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、ほかです。加藤さんは偶数月第三木曜を担当します。


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