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〔週刊 本の発見〕画家は愛する者しか描けない/『追想美術館』
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毎木曜掲載・第199回(2021/4/8)

画家は愛する者しか描けない

『追想美術館』(志真斗美恵 著、1800円、績文堂出版、2021年2月刊)評者:根岸恵子

 「追想美術館」とは旨いことを言ったもんだ。なるほど、このコロナ禍、ステイホームで自宅軟禁を余儀なくされ外出を控えている諸氏にとって、行きたくても行けない美術館巡りを回想して案内しようというのだから面白い。実際この本を読んで、まさに美術館を探訪している気にさせられるのだからね。作者の志真斗美恵さんにとっての追想が、読者にとっては優れたガイドを伴った美術館巡りになる。

 作者の志真斗美恵さんはドイツ文学専攻で、著書に『ケーテ・コルヴィッツの肖像』『芝寛 ある時代の上海・東京—東亜同文書院と企画院事件』などがある。企画院事件は戦前の治安維持法による弾圧事件。志真さんは、体制に抗い弾圧される思想家や労働者の側に立ち、底辺に生きる人々の苦悩を理解し、それを表現する芸術家に深い関心と共感を持ち続けているのだと思う。特にケーテ・コルヴィッツには多くのページを割き、コルヴィッツに対する思い入れの大きさが窺い知れる。

 ケーテ・コルヴィッツと言えば、1992年だったか日本で巡回展を行った時に朝日新聞が出版した画集の冒頭に寄せた解説に、「ドイツを代表する芸術家はケーテ・コルヴィッツとアルブレヒト・デューラーの二人」なる文言があったように記憶している。ドイツには多くの巨匠がいるにもかかわらず、なぜデューラーなのかコルヴィッツなのか。その時は思ったものだが、コルヴィッツの作品は本当に心を揺さぶる。彼女の作品を見ていると腹の底から力が湧くような、踏ん張るような力強さを感じる。それが愛する者たちや弱者へ向けられた彼女の表現であるのだろう。本書の中にコルヴィッツの言葉がある。「わたしがプロレタリアアートの生活を描くことへ向かったのは、同情や共感といったものではなく、それを理屈抜きに美しいと思った」からだ。長野・上田の戦没者画学生の作品を展示する「無言館」の碑には「画家は愛する者しか描けない」とある。コルヴィッツが描いた愛する者たちへの思いは志真さんの文章から痛いほど感じる。そしてその思いが、志真さんの目を通して、本書で紹介される他の作家の作品へとつながる。一人を除いて。


*ケーテ・コルヴィッツ「種を粉に挽いてはならない」(1941年・佐喜眞美術館所蔵)

 さてその一人とは藤田嗣治である。彼はプロレタリア芸術家でもなく、志真さんはなぜ藤田をこの本で取り上げたのだろう。藤田はこの本のなかで浮いていた。それは彼の人生のように。藤田は晩年、宗教的な絵画に祈る自分の姿を描いており、私はそれが藤田の何らかの贖罪だと思ってきた。しかし、志真さんが捉えるナルシスト藤田が求めた利己的な救済を神が受け入れたかはわからない。『アッツ島玉砕』は私も上野の東京都美術館で見た。累々とする死体に圧倒されてしばし絵の前で立ち止まってしまった。藤田らしからぬ絵だった。そしてその中に銃剣を振りかざす軍人の姿に私は「平頂山事件」を思った。

 さて美術館の長い回廊を歩くように、この本をめくっていくと、様々な作家に出会うことができる。知っている画家もいれば初めて出会う作家もいる。そういえば富山妙子の絵がwam(女たちの戦争と平和資料館)にかけてあるのを思い出した。富山が「戦争の惨禍を見てきた私には、栄光とは犠牲の上に築かれた塔のように思われた」と書いているように、徹底した反戦と反権力の思想によって動かされた魂が彼女に絵を描かせたのだろう。

 ベン・シャーンはこの本に何度も出てくるが、私も好きな画家である。子供のころ絵画全集を眺めているのが好きだった私は、ベン・シャーンの「赤い階段」という絵に魅了され、ずっと眺めていたことがある。廃墟となった淋しい景色に白い壁と赤い階段。片足のない男が松葉杖をついて登っていく。その時は分からなかったが、戦争によって足を失った男が戦争によって破壊された町の中で抱く不条理と不安を描いている。本書では第五福竜丸の乗組員で米国の水爆実験で被爆した久保山愛吉さんを描いた「ラッキードラゴン」を取り上げている。ベン・シャーンもまた常に社会の底辺でうごめく人々に視線を向ける。社会問題はいつも彼のテーマである。

 サルガドはこの中で唯一写真家である。彼の展覧会はほとんど観に行っているので、本書を読みながら、私も追想した。「人間の大地」はもちろん観に行った。衝撃を受けた。写真が伝える重みに潰れそうになった。以来フォトジャーナリズムに興味を持ち、フランス・ペルピニャンで開かれるVISA報道写真展に行ったこともある。写真はストレートに人の心を射る。本書を読んではじめて知ったのだが、サルガド自身ルワンダの虐殺を被写体としてとらえ心を病んでしまったのだという。彼は枯れた大地に木を植える。根付くまで何度も何度も。地はやがて自然を取り戻すだろう。

 さて、この本ではほかに多くのプロレタリア芸術家や社会に鋭い目を向ける作家たちを紹介している。全部を紹介できないが、ぜひこの本を読んでほしい。そして、コロナ収束後、美術館に足を運んで実際の絵を見てほしい。志真さんは自分がケーテ・コルヴィッツに惹かれたのは、ケーテが社会的貧困や虐げられた人間の悲しみを見つめて作品にしたからだと講演で述べている。ケーテは激動の世界を生き、彼女の目で現実と真実を見つめた。魯迅は言う。「人間のための芸術は、別の力でそれを阻止することはできない」と。 芸術家は声を上げることができなかった人々に声を与える。その声を聞き取るのが、美術館に訪れた人々である。その声を広めるためにも、追想でもいい、美術館に行こう!

績文堂出版HP

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子・志水博子、ほかです。


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