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太田昌国のコラム : 歴史教科書から消された表現=「従軍慰安婦」「強制連行」
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 ●第59回 2021年9月10日(毎月10日)

 歴史教科書から消された表現=「従軍慰安婦」「強制連行」

 この社会に生きる者のうち99.99%とも言うべき圧倒的多数が投票する権利すら持たない一政党の新総裁選びの騒動が、テレビ・新聞などのメディアをジャックしている。立候補すると明らかにした者、党内情勢を値踏みはしているがまだ立候補の意思を明確にしていない者たちに若い記者たちが群がってマイクを突きつけている情景を見ると、心が塞ぐ。こんなもの/こんな人物は、報道するにも値しない。話題に上っているかの女や彼らは、いずれも、「差別と分断」が渦巻く現在の日本の社会状況をもたらすうえで大きな役割を果たした前政権と去りゆく現政権の時代に、閣僚として、あるいは党役員として、責任ある地位に就いていた者たちだ。この9年間に何が行われたのか――それを、冷静に振り返る視点など、この騒ぎの中にあろうはずもない。過去を忘却の彼方に押しやり、現在を問わず、目新しいことを追い求めて、またぞろ、先へ、先へと急ぐばかりなのだ。*写真=9/9「東京新聞」

 そんな渦中の9月9日、小さな新聞記事が目についた。上に触れた「この9年間に」行われた「何か」と深く関わる事柄である。「何か」とは「閣議決定」である。中学・高校の歴史教科書の記述が、今年4月の閣議決定に基づいて変更されたという内容である。「従軍慰安婦」は「誤解を招く恐れがある」ので「従軍」が削除され、単に「慰安婦」と表現されるようになった。戦時中に朝鮮半島の人びとを日本で働かせたことを「強制連行」と表現することも「適切でない」ので、「徴用」「動員」などの語句に変更された。山川出版社など教科書を発行する出版社5社が、文科省の指示に基づいて訂正申請を行なったのである。

 この閣議決定の経緯を調べていたら、共産党の吉良よし子議員のツイートに行き着いた。この閣議決定が出されたのは「維新」の一議員が質問主意書を出したことがきっかけで、質問主意書に対する答弁書は必ず閣議決定されることから、このような事態になった。「維新」と自公政権による酷い歴史修正――とするのが、吉良議員の説明だった。そこに付されている衆議院の情報サイト https://t.co/S7KFqUsF5X?amp=1 へ行くと、「質問答弁経過情報」が出てきて、確かに今年4月16日付けで「維新」の議員・馬場伸幸が『「従軍慰安婦」などの表現に関する質問趣意書』なるものを提出しており、そこでは、wam(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」)http://www.wam-peace.org や吉見義明や外村大などによって積み重ねられてきている、「日本軍慰安婦」や「強制連行」についての歴史研究の成果に無知な、曲解と歪曲に満ちた馬場の持論が展開されていて、内閣から「最初から仕組まれていた」かのような答弁を引き出す構造が透けて見えた。*写真=日本軍慰安婦の写真(wam)

 歴史教科書に「従軍慰安婦」「慰安婦」「強制連行」などの記述がなされたのは1997年だが、これに危機感を持った人びとが直ちに「新しい歴史教科書をつくる会」や自民党議連「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成した。後者の中心にいたのが、国会議員になって4年目の安倍晋三や、故・中川昭一だった。当時のふたりは、自ら認めていたように、自民党内でも極右派だった。それから4半世紀あまりのあいだに、安倍が自民党総裁になり、長いこと首相の座にあったことに象徴される、自民党ばかりではない、日本社会の「急変ぶり」に改めて目を凝らしたい。安倍の後継者であることを自負する女性が今次総裁選に立候補する事実も含めて。

 思えば、安倍政権は「閣議決定」を乱発した。2014年7月1日、当時の安倍内閣は、歴代内閣が「憲法上許されない」としてきた集団的自衛権の行使を、閣議決定によって「許される」と一変させた。あの頃、このように歴代自民党政権ですら守ってきた規準を易易と変えてしまう安倍政権のやり口を見て、知り合いのジャーナリストは言ったものだ。安倍はボリシェヴィキ路線の忠実な後継者ですよ、と。彼は、私と同じように、ロシア革命のまっとうなる深化を期待した立場に立つひとだと思うが、革命初期から、「革命派」が守るべき公正な規準を蔑ろにして、多数派(=まさに、ボリシェヴィキ)としての専横を恣にした当該党派が採った政治手法に、安倍のそれを擬えたのである。安倍の自己確信の強さなど犬にも食わせたくないが、革命派が確信する「自己の絶対正義」が人類史に与えてきた打撃と害悪を思い、私は、笑うに笑えぬこの「例え」を苦く噛み締めた。私は、2018年に「未来からの透視−−ロシア革命百年」と題する6回の連続講座を某所で行なったが、そのときに、左派のあいだではボリシェヴィキとレーニンを絶対視する史観が、まだまだ根強いことを実感しただけに。

 歴史改竄派とのたたかいでは、相手を徹底的に批判するだけでは済まない。私たちの従来の歴史観をも再審にかける態度が必要なのだ。 


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