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太田昌国のコラム : 人間が「可変的である」ことへの確信が揺らぐ中で
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 ●第42回 2020年4月10日(毎月10日)

 人間が「可変的である」ことへの確信が揺らぐ中で

 のっけからこんな書き方をするとおこがましい物言いに聞こえるだろうが、私には、人間としての「更生」を願って、長い時間をかけて、その立ち居振る舞いや言動を注視してきた人物がいる。率直な批判もたびたび行なってきた。可能性は少ないがもしそれが目に留まって、深読みできる人間なら、「助言」と思って受け止め、それを活かすことができるような形で。

 その人物は、2002年、内閣副官房長官として首相に随行してピョンヤンへ行き、先方の首脳との会談にも同席した。相手国との間で解決すべき重要な案件の一つとなった拉致問題について、彼は相手国に対する最強硬派として際立つ存在となった。この問題をめぐる彼のさまざまな発言が私の耳目にも入るようになった。例えば、「北朝鮮なんて、ぺんぺん草一本生えないようにしてやるぜえ」という言葉だ。仲間内での空威張りだが、これが政治家の発言と思うと、絶望的だと思った。同じ時期、当時の拉致被害者家族会事務局長の発言にもたびたび触れる機会があった。「平和憲法を唱えている間にも日本人の人権は侵されている。憲法9条が足かせになっているなら由々しき問題だ」。この案件のまっとうな解決方法を模索する上で、この二人の発言はいずれも論外だと私には思えた。2003年に刊行した拉致問題に関する本の中で、私は二人の考え方を厳しく批判した。

 前者の政治家は、2005年にもメディアの前面に出てきた。2000年末に開かれた「国際女性戦犯法廷」の内容――それは、天皇裕仁の戦争責任および「慰安婦」問題における日本軍=国家の責任を認定するものだった――を報じる予定の2001年1月のNHKテレビ特集番組に関わって、その「偏向性」を問題視し、NHK幹部に改変するよう圧力をかけたのがこの政治家だったとする記事が朝日新聞に出たからである。当時自民党幹事長代理だった彼は、いわゆるワイドショー番組に出ては、およそ論理にも倫理にも適っていない「反論」を繰り広げた。だが、筑紫哲也氏以外のキャスターは、件の「戦犯法廷」そのものに無知だったから彼に真偽を問い質すこともできず、彼の言いたい放題だった。虚しさを堪えながら、この時も私は彼の言い分に対する批判提起を行なった。

 後者の家族会事務局長とは、その後対話が成立した。2002〜03年当時は、この人の顔がテレビに映ると、すぐチャンネルを切り替えていた。言うことはわかっていた。でも、雑誌や新聞での彼の発言にはその後も注目して、読んでいた。テレビとは違って、当方も少しは冷静に接することができるから。いつの頃からか、彼の言うことが変わった、と感じた。もちろん、私も、意見を異にする他者との対話可能性に関する考え方を改めた。その人、蓮池透氏と直接会い、対話を申し込んだ。半年後『拉致対論』という共著が成った(太田出版、2009年)。

 「拉致問題の解決は私の手で」と自負する前者の政治家がこの本を読んでくれたなら、真の解決のための道筋を見つけることができようと思えることを、蓮池氏と私は語り合った。これまた、道ならぬ道に迷い込んでいる政治家が「更生」できるよう、主権者の立場からできる批判的な働きかけのつもりであった。その後10年以上が経過したが、その間に件の政治家は首相に返り咲いた。そして、何があったかを誰もが思い起こすことのできる、彼=安倍晋三政権下の8年近くの歳月が過ぎつつある。

 去る4月7日の、コロナウイルス対応緊急事態宣言を出す際の首相演説(記者会見とは到底言えない)を読んだ。この人物が政治哲学を欠き、思いやりのかけらもなく、悪意と卑劣さの塊そのものであることが全開していた。それを再確認したと言うべきだろう。

 私の死刑廃止論は、人間は「可変的である」という信念に基づいている。この論理の中にあっては、死ぬまで自らの戦争責任を認めなかった天皇裕仁ですら、条件によっては「変わり得た」と考えるのである。安倍晋三に関しても、例外ではない、論理的には。だが、私のこの信念は、無責任さを心身全体で体現し続けている彼を前に、儚く、脆い。痛い目に合わせなければ――言うまでもなく、身体的な意味ではない――彼は変わりようもない人間である以上、彼の「暴政」を許してきた主権者としての私たちが「可変的」であることを示すほかはない。


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