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〔週刊 本の発見〕『デコちゃんが行く−袴田ひで子物語』
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毎木曜掲載・第166回(2020/7/23)

希望を決して失わない姿

『デコちゃんが行く−袴田ひで子物語』(発行・編者 いのまちこ/漫画 たたらなおき 静岡新聞社 2020年5月 1364円+税):評者=佐々木有美

 この漫画の主人公は、袴田秀子さん(87歳)。1966年静岡県清水市で起きた一家四人殺害事件の犯人として死刑が確定し、現在再審請求中の袴田巌さん(84歳)の姉だ。秀子さんに直接会ったことはないが、TVなどで彼女を見るたびに、その笑顔と歯切れのいい物言い、希望を決して失わない姿に魅了されてきた。弟の冤罪をはらそうと歩んだ54年間はどんな道のりだったのか、この漫画が教えてくれる。

 秀子さんは、幼いころから「自分のことは自分で決める」子どもだった。こんなエピソードがある。戦争中の空襲のときも、防空壕はいやだと一人で家で寝たそうだ。翌朝目覚めたら、周りをタンスで囲まれていた。母親が心配して屋根が落ちても大丈夫なようにと置いてくれたのだ。秀子さんは、すぐ下の弟の面倒をよく見た。中学を卒業して税務署に就職、結婚そして離婚。その後経理事務所に勤務。仕事をテキパキとこなし、職場ではたよりにされる存在だった。

 独身生活を謳歌していたとき、弟の巌さんが、勤務するみそ会社専務一家の強盗殺人放火犯として逮捕される。まったく身に覚えのないことだった。家族も取り調べを受けた。元プロボクサーだったことで、メディアの格好の標的にされた。巌さんは、警察による長時間の取り調べ、自白の強要に耐えられずもうろうとした意識の中で自供する。1968年、静岡地裁は死刑判決を下した。

 気丈な秀子さんも、夜眠れなくなり、アルコールにたよる日々が3年続いたという。それを救ったのが、徐々にひろがりつつあった巌さん支援の輪だった。署名活動への誘いを受け、秀子さんは、「私がだめになってどうする」とアルコールを断つことを決意。運動に邁進した。しかし、1976年の東京高裁の控訴棄却、1980年の最高裁の上告棄却で死刑が確定する。再審請求もことごとく棄却された。


*ひで子さん(左)・NHK−ETV特集「雪冤(せつえん)〜ひで子と早智子の歳月〜」より

 巌さんは、長期の勾留のため、拘禁症状が進行し、秀子さんの面会にもほとんど応じなくなった。驚くのはそうした状況の中でも、彼女が一つの夢を持ち実現したことだ。秀子さんは、いつか巌さんと一緒に暮らそうと1994年にマンションを建てた。61歳のときだ。勤務する会社の倉庫にタダで住みながら、マンションからの家賃収入でローンを返済。自身が入居したのは2012年、79歳になっていた。

 2014年、再度の再審請求を、静岡地裁がついに認める。同時に巌さんの釈放を認めた。しかし2018年東京高裁は再審を認めず、秀子さんは「50年間闘ってもまだ勝てない。それなら100年闘います」と訴えた。再審請求の裁判は最高裁に移っている。今は、巌さんと二人でマンションに暮らす日々。拘禁症から抜け出せない巌さんは、一日中歩き回る。「イワオは48年間も監獄で苦労した。なんでもイワオの好きなようにさせてやろう」と言う。そのおおらかさに心を打たれる。

 秀子さんの「やるまいか」(何でもやろうという静岡方言)精神は現実を切り開いてきた。でも人は一人だけでは闘えない。警察が出した証拠も支援者の粘り強い証明実験で捏造が証明された。これがのちに巌さんの釈放につながる。地元の人、弁護士、政治家、巌さんのボクサーの仲間たち、多くの人が彼女を支え続けた。漫画を読むとそれがよくわかる。森友問題で、夫の自死を裁判に訴えた赤木雅子さんが、メディアの前に姿を現す決意をしたのも、たくさんの人の励ましがあったからこそだという。コロナ禍、自然災害、一人ひとりが重荷を背負わざるを得ないいま、人間同士の支え合いの大切さを思う。

 編者のいのまちこさんは、地元浜松の支援組織の代表。秀子さんから聞いた話を「私一人で聞くのではもったいない」と、この漫画を企画、自費出版した。絵は静岡市のたたらなおきさん。漫画ならではのユーモアが暖かい。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、ほかです。


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