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〔週刊 本の発見〕吉村昭『長英逃亡』
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毎木曜掲載・第163回(2020/6/25)

生きるためには破獄しかない

『長英逃亡』(吉村昭、毎日新聞社)評者:大山千恵子

 ずいぶんと前に吉村昭の「破獄」
https://blog.goo.ne.jp/chieko_oyama/e/3a76727867d79fb80aa25e904135457f
の4回脱獄実話に感銘を受けたが、これは蘭学者の破獄と逃亡小説。江戸時代、外国船が何隻か来るようになった水野忠邦老中の時代。医者であり日本随一の語学の天才と称された長英が、外国船打ち払い令に反対する「夢物語」を書いたために獄に繋がれる。永牢という無期懲役の刑なのだ。最低最悪の衛生状態の監獄ゆえ、実質は死刑なんだよ。がーん。医者ということ人望もあるしで牢名主にまで登りつめたが、いずれ牢のなかで罹患して死ぬしかない。そうだ、生きるためには破獄しかない。

 どうすれば出られるか。お江戸は紙と木でできた家ばかりの町。火事になれば、どんどん延焼する大火事で死者が多数でる。わざと監獄に火をつける。特例で牢から出してもらって3日位内に戻れば罪を軽くする特例制度を利用する。でも長英の場合は、戻っても罪が軽くなる訳がないから逃げる。火付けは大罪で捕まれば火炙りの刑になるけど、逃げるしかない。生きるんだ。日本には自分が必要なんだという強い使命感もある。そして6年を超えて逃げ続ける。(右=高野長英)

 逃げるにあたって協力者がでてくる。政治犯の手助けをしたら酷い扱いを受けると知っていても、逃亡を助けるひとがいる。牢獄であった侠客も、その親分も、数百人の弟子を持つ和算家も、貧乏な下働きのひとも、いろんなひとが助けてくれる。それも命懸けで。浦和の医者は拷問を受けても口を割らなかったために、歩けなくなり早死にする。

 逃げた2ヶ月後に奉行が変わって、助命嘆願が可能な情勢に変わる。でも、もはや既に火付け逃亡の大罪をしているから間に合わない。長英の開明的発想、国防への視点、兵術を高く評価する大名もいる。なんたってアヘン戦争で、眠れる大国「清」が英国に破れたんだよ。あやういぞ日本。いやいや、ともかく逃げなきゃ長英。でも、内密に逃げ続けるのは困難きわまる。

 長英も、そんな旅のなかで成長していく。更に辞書がほしい、翻訳がしたい。お金がなくなったけど妻子を養わなくちゃで町医者をしたい。人相書きが出回っているので、薬品で顔を焼いて医者になる凄まじさ。兵書の翻訳を企てている勝麟太郎(海舟)に逢いにいき、手持ちの写本を贈呈する。そんな場面もあったのさ。波乱万丈。

 奉行所は、人相書きから数年を経て顔が変わっているかもしれないと囚人をスパイにする。トップは遠山の金さんだ。長英を見つけたら無罪放免にしてやると町に放す。見つかった長英は十手で散々に痛めつけられ、ことごとく歯は砕ける無惨。逮捕時の暴行で死んでしまうのだが、役人は「刀をふるって三人の捕方に傷を負わせ、逃げることはかなわぬと諦めて自ら咽を突き」などと大嘘こんこんちき報告を書く。なんだい、いまの警察と同じ じゃん。

 長英は死んでも、判決を出すために死体は塩詰めにされる。あああ、今の役人を連想するぞい。そして死罪になり、斬首の刑。刑場で遺体の首を、大太刀で切る形式主義。あくまでも死体晒しに意味があるのだろう。その後に娘は吉原遊郭に売られ、安政の地震で発生した大火事で死んでしまう。逃げないように穴蔵に押し込められた遊女たちの、ひとりだった。享年17、痛ましすぎる。否、あなたたちの志は継ぐよ。だって、知ってしまったんだもの。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美、根岸恵子、杜海樹、ほかです。


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