〔週刊 本の発見〕『あのとき子どもだったー東京大空襲21人の記録』 | |
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毎木曜掲載・第154回(2020/4/16) 大切なのは声を上げること『あのとき子どもだったー東京大空襲21人の記録』(東京大空襲・戦災資料センター編、績文堂出版、2019年3月刊、1500円)評者:志真秀弘新型コロナウィルスが暴れ出して3月は瞬時に過ぎ、ここ千葉はすでに葉桜の季節になってしまった。自粛・休業の要請はするが補償はけしてしない,首相は家で犬を抱いてくつろぐ、民は自分で身を守れ!これが政府の方針である。これほどはっきりと棄民政策を公言している国は、いまさしあたって日本以外に見当たらない。 カレンダーをひと月前に戻してみよう。75年前、1945年3月10日は東京大空襲だ。B29の大編隊はマリアナ基地をたってその日午前0時過ぎ、東京に襲来し、いまの台東区、墨田区、江東区、中央区、荒川区、千代田区などの下町一帯が焼野原になった。消失家屋は27万戸、罹災者100万人、死者は10万人に及ぶ。『あのとき子どもだったー東京大空襲21人の記録』は、このとき10歳になるかならぬかの人たち21人の証言集である。 深川区白河町(現・江東区)で被災した亀谷敏子さんは、当時13歳、明川(めいせん)国民学校高等科1年だった。母は「今夜の空襲はひどいようだから」と6人の子どもたちを連れて避難所に指定された末広味噌屋ビルの地下室に向かう。「今頃サイレンがなっているよ。日本の軍部は何をしているのかねぇ・・」 その後父と夫を亡くし、今は「天涯孤独の生活」を送っているが、良き友と良い趣味があり、美味しいものも食べられ「とても幸せ」ですと記し、それもすべて平和であるからこそで、「土台となっている平和憲法」だけは守っていかねばと亀谷さんは結んでいる。 執筆者21人のうち2人が大空襲で両親を失い「戦災孤児」になっている。そのひとり元木キサ子さん(本所区菊川・現墨田区)は太平洋戦争で、12万4000人近い子どもたちが両親を奪われたと記している。彼女は2007年に民間の空襲被害者131名が、国を相手に謝罪と補償を求めて起こした裁判に原告として加わる。地裁、高裁も敗訴し最高裁に上告したが却下され裁判は13年に終わる。「昭和28年(1953年)から軍人や軍属への手厚い補償は今も続いている」が空襲犠牲者には今に至るも何もなく、法の下の平等は何処と元木さんは憤る。 21人の筆者は、日本国憲法によってこそ平和が守られてきたと一人残らず書いている。民主主義の広がりこそが、これまで平和を支えてきた。が、いまこの国は、戦争を「無かった事にさえしようとしている」〈藤間宏夫(日本橋区浜町・現中央区)と怒りを抑えきれない。 本書を読むと、どんな状況にあっても声をあげることが大切で、それが生き延びることにもつながると実感される。そして声によって人は励まされ、広がりができ、さらに為政者を動かすことができる。かつて、声は力で封じ込まれた。が、いまは違う。グローバリゼーションのもたらした一体化によって国際機関や諸国政府・ジャーナリズムの目も光っている。ネットをはじめ民衆が訴える手段は多様にある。新型コロナウィルス襲来下での棄民をくいとめることは可能だ。 ●もう一冊のおすすめ本 *「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美、根岸恵子、杜海樹、ほかです。 Created by staff01. Last modified on 2020-04-16 10:38:30 Copyright: Default |