〔週刊 本の発見〕『私は本屋が好きでしたーあふれるヘイト本、作って売るまでの舞台裏』 | |
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毎木曜掲載・第150回(2020/3/19) 差別を生む社会への憤り、そしてネットへの批判的視点『私は本屋が好きでしたーあふれるヘイト本、作って売るまでの舞台裏』(永江朗、太郎次郎社エディタス、2019年11月刊、1600円)評者:志真秀弘淡々とした語り口であるにもかかわらず、そこから逆に強い憤りが伝わる。これはそういう本である。 著者は、日本で最も書店事情に通じたひとりといってよい。「どうしてヘイト本は本屋に溢れているのだろう」と書店、取次、出版社、編集者、ライターへと取材していく。何年も前から本屋に立ち寄るとヘイト本が平積みになり、場合によってはコーナーまでつくられている。「ヘイト」などと外国語で曖昧にしてしまうのがいけない。その人の意思では変えられない属性―たとえば民族、国籍、性別、身体的特徴、疾病・障害などなどーを攻撃することばは差別であり、「差別本」あるいは「少数者攻撃本」と呼ぶべきだ。著者は愛する書店にそうした本が置かれるのに耐えられない。書店の与える社会への影響力は、大きい。なのに、そうした本がならぶのはなぜだろうか。 背景には、出版不況による売り上げ至上主義の蔓延がある。新刊書店は、ピーク時の1990年代なかばに比べると半減し、いまは1万店足らずになっている。一方で発行部数は、雑誌、書籍、コミックスなど合わせると10万点近い。40年前に比べて3倍強。ところが総売り上げはほとんど変わらない。 再販制(定価販売制)と委託制(返品条件付き仕入れ)が一体となった流通の仕組みによって、出版社は経営が苦しいと一冊でも多く本を出してとりあえずお金をえようとする。書店は苦しくなるとどんどん返品してお金を戻させる。本に携わる人は、考える余裕などなくなって、どんな本でも売れればいいと状態になっている。だが、「商売だから」という言いわけは「その本で傷ついたり怯えたりする人がいても売りますよ」という開き直りに等しい。それでいいのか。著者はそうした意識の退廃こそ問題の核心と指摘する。無関心こそが悪事に加担する。そう言われると、これは出版業だけの問題ではない。あらゆる仕事に関わる職業倫理の問題である。 実際にヘイト本を買っているのは、中年以降のそれもホワイトカラー層に多いとの書店員のことばは、評者にも意外だった。が、うなずける面もある。現政権を支える階層の中で、実際本を買うのはそのあたりだろうから。マスコミのもたらす微温的な嫌韓・反中の風潮に飽き足らず、より過激な主張を求めているのもかれらだということか。不況のなかで〈ジャパン・アズ・ナンバーワン〉の位置からはとっくに転げ落ちてしまった。そんな劣等感を慰撫するために、傲慢な「日本人」意識と愛国心とで身を固めたい、という欲望がそこに透けてみえる。そうなると、当然といえば当然だが、若い世代にむしろ可塑性があるということになる。 「ネトウヨ」層にも中高年男性が多いとされる。ヘイト本を求める層と重なりそうだ。著者は、「憎悪と差別、攻撃の広がりはインターネットなしにはありえなかった」と指摘する。ネットのありかたそのものも、問題なのだ。既存の媒体と異なる自由に発信できる仕組みは、ひとりひとりが自制心を欠くなら、あっという間に弱いものいじめの場となりかねない。双方向であることは、かえって野蛮な差別の場を招き寄せる。ネット万能の時代といって済まされない問題が、そこに内在している。 本書は本を巡る現場を訪ねながら、そこに浮かび上がる社会思想状況のアクチュアルな課題を鋭く突きつけている。 *「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美、根岸恵子、杜海樹、ほかです。 Created by staff01. Last modified on 2020-03-19 10:14:23 Copyright: Default |