小倉利丸ブログ:接触者追跡とプライバシーの権利―監視社会の新たな脅威 | |
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小倉です。ブログに表記の原稿を掲載しました。以下、目次と冒頭部分だけ紹介します。 長いので、残りはブログでお読みください。 1. はじめに 感染経路追跡とプライバシーの権利 2. これまでの監視システムが全体としてグレードアップしている 3. コロナ感染防止を名目とした網羅的監視 4. 感染者追跡は必須か。 COVID-19パンデミック第二波となっている現在、政府(国であれ自治体であれ)と資本の対 応に一貫性がみられなくなっいる。しかし、そうしたなでも、誰もがほぼ間違いなく「正 しい」対処とみなしているのが、陽性とされた人の濃厚接触者を特定し追跡することだ。 これが感染拡大を防止するイロハとみなされている。しかし、わたしはこの政策には疑問 がある。この考え方は、人々が濃厚接触者が誰なのかを、正直に保健所当局に告白すると いう前提にたっている。この考え方は、濃厚接触者を網羅的に把握できなかったばあ、つ まり漏れが少しでも生じれば、代替的な防止策がとれないで破綻するということ。実際最 近の動向は、感染経路が追えないケースが増えていることを危惧する報道が多くなった。 濃厚接触者追跡というモデルは、現実の人間をあたかも実験室のモルモットであるかのよ うに扱う現実性に欠けた人間モデルであると同時に、上述のように、濃厚接触者を告白し なかった場合、当該の人物はあたかも犯罪者であるかのように指弾されかねないというも うひとつの問題がある。そもそも誰が濃厚接触者であったのかを保健当局が判断するには 、感染したと思われる時期に本人がとった行動や接触した人を網羅的に全て列挙して、そ のなかから濃厚接触とみられる人物をリストアップすることになる。 私たちの日常生活の経験からみても思い当たることだが、すべての人間関係をつつみかく さず、公的機関に告白できる人はどれだけいるのだろうか。人間関係の隠蔽は政治家たち の習性であり、またそれ自体が政治の戦術でもある。労働者が雇用主に内密で労働組合に 労働問題を相談する、DVの被害者が加害者に知られないよう支援組織と接触するといった 人権に関わる問題から、ごく私的で他人に知られたくない性的な関係に至るまで、多様で 様々な人間関係がある。 プライバシーの権利は、個人の生活における自由の基本をなす。他人に詮索されたり覗か れたりせずに自由に行動できる権利としてのプライバシーの権利は、同時に、自分に関す る情報を自分がコントロールできる権利と表裏一体である。このプライバシーの権利は、 感染経路を追跡するために自分の行動や親密な人間関係を告白するように道徳的にも強制 するような感染症パンデミックの状況では極めて脆弱になる。公共の福祉のために、個人 のプライバシーの権利は制約さるのはいたしかたないという社会の合意がありそうにも思 う。 しかし、そうだとしても、またプライバシーの権利などという権利を公言することがない としても、他人に秘匿される親密な人間関係はなくなることはない。感染経路追跡という 戦略は、プライバシーの権利を軽視しているだけでなく、そもそもの人間関係に関する基 本的な理解が間違っている。この間違いは、人間の行動を実験室のモルモットの行動から 類推するとかコンピュータで解析可能なシミュレーションのモデルにむ無理矢理押し込め るといった専門家にとっての都合に基くものだ。 プライバシーの権利と感染防止を両立させることは不可能なのか。そうではない。後述す るように、匿名で網羅的に検査し、陽性となった者が、自らの判断で医療機関で治療を受 けられるような広範で大規模な医療体制をとればよいだけである。私が陽性になっても、 誰から感染させられた可能性があるのかを告白しなくてもよいのは、網羅的に皆が検査し ているからである。必要なことは感染経路ではなく、感染者の治療であり、感染させない ような対処をとることである。このためには莫大な人的物的なコストがかかるが、生存の 権利を保障するために国家がなすべき責任の観点からすれば、このコストは先進国であれ ば国家財政で対処可能であり、途上国を支援する余裕も十分にある。 プライバシーの権利と感性拡大阻止の両立を妨げているのは、三つの要因による。ひとつ は、集団免疫への願望が地下水脈のようにこの国の政権のなかに存在しつづけているので はないか、ということ。第二に、GO TOキャンペーンは国土交通省であり、国土交通省は 感染症対策に責任を負わない役所であるように、各省庁は自らの利権を最優先に行動し、 政府の予算措置も既存の利権を保持したまま、追加予算措置として臨時に感染症対策を計 上するにすぎない。結果として、国家予算は不必要に膨張し、感染症が拡大したとしても その責任を負う必要がない官僚制の巧妙な責任回避のシステムができあがっている。第三 に、市場経済もまた、COVID-19がビジネスチャンスであれば投資するという態度が基本で あり、生存の経済よりも資本の収益を最優先し、この危機を競争力の弱い資本の淘汰の格 好のチャンスとみていること、である。この結果として、すべての犠牲は、社会の最も脆 弱な人々に押しつけられることになる。 こうした全体状況をみたとき、感染経路追跡は深刻なプライバシーの権利の弱体化を招く だけでなく、その結果として、予防しえたはずの感染症の蔓延による健康と生存の権利が 脅かされ、労働者の権利、女性やこども、性的マイノリティの権利、知る権利、集会・結 社の自由、通信の秘密などなど広範な私たちの権利をも侵害されることになる。 繰り返すが、感染経路の追跡や、濃厚接触者確認のアプリは不要である。むしろ網羅的な 検査を無料・匿名で実施する体制をとるべきである。この点を踏まえて、以下では、より 立ち入って感染症問題と監視社会について述べてみたい。 以下、ブログお読みください。 https://www.alt-movements.org/no_more_capitalism/blog/2020/07/26/cocoa-privacyri ghts/ Created by staff01. Last modified on 2020-07-27 08:59:45 Copyright: Default |