木下昌明の映画の部屋 第260回 : 中村義洋監督『決算!忠臣蔵』 | |||||||
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●木下昌明の映画の部屋 第260回 : 中村義洋監督『決算!忠臣蔵』 仇討ちもソロバンで少年のころよくみた映画に「忠臣蔵」ものがあった。片岡千恵蔵、市川右太衛門、長谷川一夫、八代目松本幸四郎らが、それぞれ大石内蔵助に扮して、時代劇スターそろいぶみで正月映画を飾ったものだ。「忠臣蔵」ものとは、いわずとしれた四十七士が、主君の仇討ちをする赤穂事件の実話をもとにしている。家臣が主君にいかに忠義をつくしたか――それは封建時代に武士道の範をたれた見本として後世にまでたたえられた。 「忠臣蔵」映画は、明治のサイレント草創期の時代からすでにつくられていたというから驚きだが、特に流行したのは戦前の一時期と戦後の講和条約が成立して、日本がアメリカの占領のくびきから解放された直後だった。占領下では天皇や主君への忠義を誓うモラルは禁止され、それと同時に刀をふるうチャンバラものも禁じられていた。講和条約によってこれらが解放されると、人々は旧時代の文化にとびついたわけである。 その格好のドラマが「忠臣蔵」もので、映画各社は手を替え品を替えてつくってきた。それはアメリカ映画のように個人が主体的に行動するよりは、上からの命令を受けて、集団で一丸となって何ごとかをなすということの方が、これまでの日本人のつちかってきた精神にぴったりきたからだ。 それでも長く時をへるにしたがって、しだいに「忠臣蔵」的思考は飽きられ、忘れさられていった観もある。それなのに、またもや「忠臣蔵」が公開されるというのだから驚かされた。まるで亡霊ではないか、と思いつつもみにいった。ところがどっこい、これがおもしろかった。 同じ「忠臣蔵」ものでも、タイトルに『決算!忠臣蔵』とある。この奇妙なタイトルが気にいった。これまで、「忠臣蔵」といえば、武士道精神をうたったものばかりだった。ところが、これはそれらとは違って、いったい仇討ちにいくらかかったか、というカネ勘定に力点をおいた作品だった。これまでは経済的側面などそっちのけであったが、ここでは元藩士らの食う着る寝るに比重をおいているのがよかった。 わたしは映画のパンフレットの「そんな予算ありまへんで」とか「仇討ちやめとこか」のキャッチコピーにまずひかれた。片岡千恵蔵や長谷川一夫時代の重々しいセリフとは違って、関西弁丸出しの応酬で、その場の雰囲気も軽くなっているのに共感した。これは関西ふうの商人的発想が取り入れられているからだ。 元禄時代(1688〜1704年)、日本では上方を中心に貨幣経済が盛んになっていた。そのための計算道具であるソロバンも中国から貿易商人を介して渡っていて、商人はもとより城の「勘定方」も使用していた。城内のまかないは、勘定方に負うところが大きかった。 その時代、貨幣価値は米による石高(こくだか)が基準だった。主食が米であれば当然のことといえる。この映画では、米と並んで庶民の食べものであるソバの値段を基準に、その時代の貨幣価値を計算している。ソバ一杯16文で、それを現代に直せば480円となり、銭一文が30円となる。これを基に当時の貨幣価値を計算してみようということだ。 実は、これは中村監督の独創ではなく、山本博文の『「忠臣蔵」の決算書』(新潮新書)という原作があって、そこで山本が検証した史料をもとに脚本化したものである。だから、これまでなら大石内蔵助(堤真一演)を筆頭に、腕の立つ元藩士を二番手の主役にすえるところなのに、ここではソロバンをはじくしか能のない?勘定方の矢頭長助が二番手に選ばれている。しかもその役に、これまで時代劇とは無縁だったナインティナインの岡村隆史を起用している。岡村はそれらしくふるまおうと、終始しかめ面でソロバンに向かっていた。 山本が史料にしたのは大石内蔵助がのこした『預置候金銀請払帳』によるが、それには討ち入りまでの軍資金約690両の使用がつづられている。たとえば、赤穂から江戸までの旅費をはじめ、元藩士たちの貧しい生活費の手当てなどだ。山本はこれらの諸費用を分析しながら大石らの行動記録を調べている。これがおもしろくないわけがない。小説より迫真にとんでいる。 それを中村監督は、数字をもとにいろいろアレンジしながら、画面上に人物を躍らせている。元藩士の江戸への旅のシーンでは、かれらが旅するその背中に36万円などという数字を貼りつけ、数字も一緒に歩かせるのだ。また、藩士が独断で自らの忠誠心を示そうと赤穂に戻ってきたりすると、それが予算からはみ出してしまう行動なので、大石にしてみれば「なんで帰ってくるんだ」ということになる。このように忠誠心もカネを介してみると余計なものにみえてしまうところが笑っちゃう。 その点では、討ち入り前の武具装備に何をそろえるかで一堂に介して議論するシーンもおもしろい。あれを買おう、これをそろえようと藩士たちが提案するたびに予算がどんどんふくらんでいく。それを黙って聞いている大石が、内心悲鳴を上げているところなど爆笑ものである。 なかでも、そうなのかとわかったのは、藩士たちが討ち入りのときにまとっている奇抜な衣装はどうして生まれたかというところ。実は、浅野家が江戸火消しの担当のときに使っていた衣装だったということを、わたしははじめて知った。 ――という具合に、藩士たちが何か行動したり何か買ったりするたびに、画面に字幕でいくらいくらと値段が出てくる。それによっていつの間にか仇討ちの悲壮感は消えて、仇討ちってカネがかかったんだなあ、と「忠臣」という重々しい精神はどこかにふっとんでしまうのだ。 それにこの映画、ラストに吉良上野介を討ちとるはずのクライマックスシーンが出てこない。敵役はどこへいった! これまで敵役といえば月形龍之介、進藤英太郎、滝沢修といった芸達者が憎々しげな表情で演じ、赤穂浪士たちに囲まれて首を打たれていたのに、ここでは上野介の姿かたちもない。復讐に焦点をあてなかったのがいい。 それにしても、はじめの方で、主君が切腹して赤穂城お取りつぶしとなったとき、画面に字幕で「倒産」と出たのにはあぜんとした。うーん、いいえて妙ではないか。 ※11月22日から新宿ピカデリー他で公開中 〔追記〕これは『月刊東京』11月号より転載したものです。転載にあたって大幅にカットしました。 Created by staff01. Last modified on 2019-11-24 14:22:20 Copyright: Default |