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〔週刊 本の発見〕ハーマン・デイリー『〈定常経済〉は可能だ』
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毎木曜掲載・第123回(2019/8/29)

新しい「豊かさ」を求めて

ハーマン・デイリー(聞き手・枝廣淳子)『〈定常経済〉は可能だ』(岩波ブックレット、2014)/評者:菊池恵介

 世界気象機構(VMO)によれば、今年6月は、ヨーロッパやインドなどが激しい熱波にさらされた結果、過去140年の観測史上、最も暑い6月になった。近年、このような記録的な気温上昇が進んでいる背景には、産業革命期以降の化石燃料の大量消費があることはいうまでもない。このまま温室効果ガスの排出量が増え続ければ、北極や南極の氷床の融解、干ばつや集中豪雨などの異常気象、生物多様性の危機、大量の気候難民の発生と地域紛争など、破局的な事態を招きかねない。

 もしこの有限な地球で無限に成長を続けることができないとすれば、どうするべきか。その一つの打開策として提唱されるのが、「定常経済」への移行である。本書は、その提唱者として知られる環境経済学者ハーマン・デイリーへのインタビューを通じて、定常経済のエッセンスを紹介する入門書である。

 既存の経済学は、経済成長こそ、あらゆる問題への万能薬であると想定してきた。たとえば、格差や貧困が問題であれば、モノとサービスの生産を増やし、消費を増やせばよい。こうして社会全体のパイが大きくなれば、底辺層にも富が浸透し、生活水準が底上げされるだろう。また、失業問題を解決するには、金利を下げることで投資を促進すればよい。そうすれば景気が回復し、雇用も増えるはずだ、と。

 たしかに経済成長により、解決された問題も多い。第二次大戦後、先進国は経済成長を通じて豊かになったからこそ、大都市のスラムを解消することに成功し、栄養失調で亡くなる子どもの数も減らすことができた。この点で言えば、「発展途上国など、貧困にあえいでいる国々では、いまでも経済成長が必要なことを明らか」だとデイリーは主張する。しかし、地球全体で見たとき、経済成長が万能薬だった時代は終わったことを理解する必要があるという。

 それでは、なぜいま「定常経済」への移行なのか。その背景には、私たちの世界が「空(す)いている世界」から「いっぱいの世界」に移行したことが挙げられる。かつて、世界人口も、自動車や家、テレビや冷蔵庫などの人工物の量も、地球の規模に比べると相対的に小さなものであった。ところが、第二次大戦後、世界人口は3倍に膨張し、生産物の量に関しては指数関数的に増大し続けている。こうして「空いている世界」から「いっぱいの世界」に移行すると、経済の制約要因も「人工資本」から「自然資本」へと変化する。たとえば、漁業における漁獲量を制約する要因は、かつて漁船だったが、いまでは海洋の魚の数とその繁殖能力にシフトしている。乱獲により、海洋資源が減少していけば、漁船の数をいくら増やしても漁獲量は増えないのである。にもかかわらず、私たちはかつてと同じように「漁獲が減ったなら、漁船を増やせばよい」と発想し、巨額の人工資本の投下により、天然資源の略奪を続けているのだ。


 *by ハイムーン(高月紘)

 このような歪な経済の拡大の在り方を、デイリーは「不経済成長」と呼んで批判する。一般に「経済成長」という言葉には、「経済の成長」という意味のみならず、「経済的な成長」というニュアンスが含まれる。この場合、「《経済的な成長》とは、そのために必要な費用よりも、得られる便益の方が大きい」ことを示唆する。だが現実には、「経済の拡大が《経済的》とは限らない。拡大することの費用よりも便益の方が大きい場合もあれば、逆に費用の方が便益よりも大きい場合」もある。ただそのことが認識されないのは、私たちが「生産の便益だけを測って、環境的・社会的なコストを測っていないから」である。

 生態系の危機から雇用環境の悪化まで、「豊かさの代償」は、いくらでも挙げることができる。もしこれらの環境的・社会的負荷を勘案し、経済的なコストとして内部化すれば、先進国はすでに大幅な「不経済成長」に突入していることがわかるだろう。このように費用が便益を上回るのを避けるためには、経済成長がもたらすプラスとマイナスが交差するところで成長を止め、定常経済へと移行する必要がある。

 定常経済(Steady state economy)とは、「一定の人口と一定の人工物のストックを、可能な限り低いレベルでのスループットで維持する経済」と定義される。デイリーによると、人間も人工物も、いわゆるエントロピーの法則に従っている。人間は生まれてから成長し、やがて年老いて死んでいく。また、家具などの人工物も老朽化し、取り換えなくてならなくなる。したがって、人口や人工物を一定に保つためには、メンテナンスをしたり、いずれは置き換えたりするための資源が必要になる。この資源を地球から取り出し、汚染物や廃棄物として地球に放出するまでのプロセスを「スループット」と呼ぶ。定常経済では、この資源のスループットを地球が支えることができる範囲内に保ちながら、人口や人工物のストックを維持することを目指すというのである。

 一般に「成長しなくなる」ことは「貧しくなる」ことだと理解される節があるが、本書によれば、それはGDPと「幸福度」を混同することから生じる誤解である。「様々な幸福度の研究によると、幸福度の自己評価は、一人あたりのGDPが年2万ドルぐらいになるまでは、一人あたりのGDPとともに上昇」し、それ以上は伸びなくなる。充足ラインを超えると、人々の幸福度の尺度は「友人関係、結婚、家族、社会的な安定性や信頼、公正さ」などに移っていくというのだ。したがって、経済成長は一定のレベルまでは必要であるが、充足ラインを超えた後、定常化することは「豊かさ」の感覚に影響を及ぼさない。むしろ、競争原理が緩和され、労働時間などが短縮されれば、人々の生活の質は向上し、「豊かさ」が増進するとも考えられるだろう。

 いまや経済成長のための費用の方が便益よりも大きくなっており、定常経済に移行する必要があるという本書のテーゼには、大きな説得力がある。また、経済成長が一定の水準に達すると、人々の幸福度との相関関係がなくなるという指摘も、GDPに代わる新しい「豊かさ」の指標を構想する上で示唆的である。しかし、定常経済への移行に向けて、本書が打ち出す提言(基本的な資源に対するキャップ・アンド・トレードの制度の創設、環境税の導入、所得格差の幅の制限およびに税制による富の再分配、自由貿易や国際資本移動の規制など)の実現は一筋縄ではいかないだろう。なぜなら、成長至上主義は、単なる「神話」や人々の主観的な思い込みではなく、資本主義の「鉄の法則」でもあるからだ。たえず生産体制を合理化し、利潤を拡大しなければ、淘汰される熾烈な競争システムからいかに脱却するか。脱成長や定常経済に立ちふさがる大きな難問である。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美、根岸恵子ほかです。


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