「死んでも、死なない金福童」/希望のたね基金2周年シンポジウム | |||||||
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「死んでも、死なない金福童」〜希望のたね基金2周年シンポジウム6月9日、早稲田大学・戸山キャンパスで、女性人権運動家キムボクトンさんを記憶する追悼会がおこなわれました。主催した「希望のたね基金」は、日本の若者が「慰安婦」問題について学び、性暴力のない社会づくりに役立てるための基金で、日韓の若者間の意識ギャップを埋めて、「終わらせる」のではなく「記憶・継承」することで、二度と同じような被害を生まないための取り組みをしています。 金福童(キムボクトン)さんは、1926年生まれ、満14歳の時に日本軍「慰安婦」にされました。1992年に名乗り出て、世界各地を周りながら日本軍「慰安婦」問題の解決と戦時性暴力の根絶、人権が尊重される平和な世界の実現を訴えて活動しましたが、今年2019年1月28日に逝去されました。 ボクトンさんに娘のように慕われ、共に活動してきた「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」代表のユンミヒャンさん(写真中央)から「女性人権運動家・キムボクトン」の講演がありました。プサンに住んでいたボクトンさんとの出会い、ソウルに出てきて証言、被害申告して5年たっても解決しそうもない現状に、プサンに帰ってしまったこと。白内障で目が見えなくなり手術でまたソウルに来たこと。回復して快活になったことなど話しました。ボクトンさんは毎週水曜デモでマイクを握り、支援に来た労働者を励まし、学生たちに日本軍「慰安婦」問題について話しながら「平和」を語り、「南北統一」を語ったとのこと。そして日本大使館に向かって、大使のなすべき役割はここ平和路で上がる声を正しく伝えることだと叫んだそうです。 2012年3月8日のナビ(蝶)基金の発足式でボクトンさんは、「私たちは、日本政府に犯罪の認定と公式謝罪と法的賠償を要求したのだ。お金がほしくて闘ってきたわけではない。だから、もし日本政府が賠償したら、その賠償金全額を世界の戦争下で私たちと同じような被害にあっている女性たちを支援することに使いたい」と表明しました。ナビ基金への寄付金は、コンゴの内戦で性暴力にあった被害者やウガンダ、ナイジェリアなどの被害女性を支援し、勇気と希望を与えてきました。また2015年の「日韓合意」についてボクトンさんは、国連や米国、欧州、日本に飛んで「『合意』は私たち被害者が望んだものではない」と訴えました。癌が進行する状態でありながら先頭で闘いました。ユンミヒャンさんはボクトンさんのたくさんの写真を紹介しながら遺言と思われる言葉を紹介しました。「最後まであきらめるな。私に代わって朝鮮学校のこどもたちを支援してほしい。日本政府の悪い奴ら」と。ボクトンさんの壮絶な闘いとその思いに、涙が抑えられませんでした。 中央大学名誉教授の吉見義明さんから「金福童さんの証言の歴史的意義」について講演がありました。ボクトンさんの証言を裏付ける資料の紹介や、「軍服をつくる工場へ行く」とだまして連れて行ったのは誘拐罪であることや、14歳の少女にとってどれほどの恐怖であったか、軍人の言うことを拒否すれば殴られ食事も与えられなかったことなどが話されました。 会場には被害者ハルモニたちを支援している企業「マリーモンド」のエコバッグや携帯ケース、キーホルダー、靴下、ボールペンなどの展示即売会もあり好評でした。 今回ユンミヒャンさんは成田空港の入国管理局に2時間も留め置かれたとのこと。「入国目的」などしつこく聞かれたそうですが、ミヒャンさんはキムボクトンさんがどうやって生きてきたか、どんな活動をしてきたかその生きざまや、日本の人権問題についてなどしっかり話したと語っていました。さすが、どこでもきっちりと主張するその闘う姿をまぶしく感じました。(尾澤邦子) Created by staff01. Last modified on 2019-06-10 13:13:41 Copyright: Default |